Q.なぜ本を読むのか? A.読書の本質はマッピング
今日考えたこと。
読書は「地図を描く行為」だと思う。
知識を積み上げる?
こう理解するまでは、読書は「積み上げ型の行為」だというイメージを描いていた。
自分は読書での勉強が好きだと自認しているが、
自分のKindleライブラリなんかを見ると、なんだか虚しく感じることがあった。
「こいつは、これだけ知識を積み上げて、一体何がしたいんだろう」って。
ただ、ちょっとした幸福が欲しいだけなのに、こんなにも膨大なコストをかけて、勉強しなくちゃいけない。
これが、のすごく大変なことに思えた。
なので、勉強することがワクワクすることもあるけれど、
逆にすごく大変で、虚しく感じられることもあった。
1枚の地図を描く
だけど読書というのは、知識を積み上げるのではなく、1枚の地図を描く行為だ。
読書によって僕らは、物事に対する心的イメージを作り、世界観の地図を描いていく。
こう理解すると、本を読むということは、この地図を継ぎ足したり、書き換えたりしていくということだ。
足りない部分は継ぎ足せば良いし、間違っている部分は書き換えれば良い。
そして僕らは、より適切で、解像度の高い地図を描こうとする。
マッピングを続けることで、まだ自分の地図にない、外側の空白地帯にも気付くかもしれない。
本同士は補い合う
こう理解すると、それぞれの本同士は、決して打ち消し合うものではない。
単純に「これが正解」「これが間違い」というものではない。 ひとつの本の中には、正解も間違いも同時に含まれているはずだ。
なので本ごとにマルバツを付けるのは適切じゃない。
そうではなくて、本同士はお互いに補完しあっている。
どの本も「より適切な地図を描くためのピース」として働くことが出来る。
僕の今までの、読書に対する心的イメージは、どこかが間違っていると薄々感じていた。
だけど読書が「地図を描く行為だ」と理解することで、この問題はある程度、解決したように思う。
重要なのは、適切な地図を描けるかどうかであって、ただ多くの本を読んだり、知識量を増やすことではない。
マッピングを基準にした読書法
たとえば心の地図がある程度、完成していると思う部分なら、あえて同じジャンルの本は読まなくても良いかもしれない。
たとえば心の地図がある程度、完成していると思う部分なら、あえて似たジャンルの本は読まなくても良いかもしれない。
もし心的イメージが失われかけている部分があれば、また必要な本を読み直せば良い。
「旅したことのない、より外側の世界を知るため」に、新しいジャンルを読んでも良い。
こう理解すると、今までよりもずっと適切な本の選び方、読み方が出来そうな気がしてきた。
知識に溺れることも少なくなり、ある日は感動的に読めた本が、別の日にはそうじゃない理由も納得がいくだろう。
これから、僕はより適切な地図を描くために、本を選び、読みたいと思う。