究極の疲労回復方法「シリコンバレー式 よい休息」
「エネルギー状態が高い」ということは、人間にとって最大にも近い喜びだと思う。
- 幸福感を感じながら、色々な物事がうまくいく
- 仕事などで、パフォーマンスの高まりを感じる
- 周囲の状況がよりクリアに、よく観察できるようになる
- クリエイティビティが高まり、コミュニケーションの機転が効くようになる
- 他の人にも、自分にも優しく接することが出来る
- 人生を十分に満喫している実感を得られる
だけど僕らは「最高のエネルギー状態」というものを、一体、いつ最後に経験しただろう。
工夫次第で、この喜びにアクセスできることが出来るはずなのに。
疲労の悩み
僕の場合、仕事が終わった時、疲れ果てて帰る日と、むしろエネルギーを感じながら帰れる日がある。
日によって、まったく逆のエネルギー状態で、仕事を終えるのだ。
この違いの理由が、全く分からなかった。
「体調にはそもそもコントロールできない部分があるのかもしれない」
「人体の不思議だ」と思って、なかば諦めていた。
なぜなら、
睡眠のせいだけじゃない。
食事のせいだけじゃない。
心理状態のせいだけじゃない。
仕事の難易度のせいだけじゃない。
全ての条件が良くても、なぜか疲れる時がある。
逆に条件が悪くても、エネルギーを感じる時もある。
何か、重要なポイントを見落としているような気がした。
これが最近の一番の悩みだった。
「よい休息」との出会い
そんな時、この本と出会った。
「よい休息」
これは本当にすごい本だ。
少なくとも、今の僕の状況に素晴らしくマッチした。
そしてこの本を参考に「休息のとり方」を工夫してみた。
すると
「完全に疲れ果てて帰る日」は減り、
「エネルギーを感じながら帰れる日」が、目に見えて増えてきた。
明らかに今までとは、肉体が「違うパターン」を描いているという実感がある。
玉石混交の数万冊の本の中から、輝く真珠を見つけた気分だ。
休息を工夫する
休息の工夫の仕方。
抽象的に言うと、
- 「回復に対する認識を、根本から改める」
- 「適切なタイミングで回復をおこなう」
- 「適切な種類の回復をおこなう」
- 「適切な時間、回復をおこなう」
というようなことを実践した。
具体的に言えば、
- 「自分の疲労度に対して、より意識的になる」
- 「疲労度に対しての否認をやめる」
- 「休息方法としてウォーキングを取り入れる」
- 「パフォーマンス状態が7ぐらいに落ちてきたら、何らかの休息をとる」(最悪を待たない)
- 「偉大なる昼寝の習慣をつける」(チャーチル大統領もやっていた!)
というような実践方法だ。
疲労の心理的否認
特に僕の場合
「疲労に対しての、心理的否認」が大きく、
これが疲労の一番の原因だということに気付いた。
たとえば
「疲れているように思えるけど、気のせいだ」
「パフォーマンスが落ちてきてきた気がするけど、まだ行けるはず」とか。
そんなことを繰り返して、疲労の崖を落ちていっていた。
合点が行った。
これじゃ「疲労の原因」が分からなくて当たり前だ。
なぜなら、自分自身で「疲労していること」さえも否定しているのだから。
まさにパラドックスだと思った。
そこで僕は「疲労を否認する習慣」を「疲労を回復する習慣」に取り替えることにした。
青信号・黄色信号・赤信号
重要なのは、自分のパフォーマンス状態を、心理的否認を起こさずに、観察すること。
そして適切な回復行動を取ることだ。
僕はパフォーマンス状態には、大きく三つのレベルがあると思う。
「青信号」「黄色信号」「赤信号」だ。
そして重要なのは、
この「青信号」と「黄色信号」の間で、安全にパフォーマンス管理をすることだと思う。
「赤信号」を通り過ぎてしまうと、もう、しばらくは帰ってくられない。
僕はこれを「疲労度の崖」だと思っている。
崖から這い上がるのは大変だ。
まずは「そこに落ちないこと」が重要になる。
陸地まで戻るのは大変だ。
「海に落ちる無謀さ」は要らない。
「陸地を慎重に進む勇気」が必要だ。
この二つは、まったく別のタイプの行動パターンだ。
だから、全く違った結果を生むと思う。
いや、この線の描き方は、誤解を招くかもしれないので少し訂正しよう。
実際には「エネルギーのゆらぎ」自体は、ダイナミズムを大きく取るのが良い。
「エネルギー消費」と「回復」のレンジは大きくて良い。
ただ同時に「赤信号までには達しない」というやり方が良いように思う。
自己観察力
ところで、パフォーマンス状態に対する「自己観察力」というものがあるとすれば、ここにもパラドックスがある。
「自己観察力」は、疲労度に応じて摩耗して、小さくなるということ。
つまり疲労度が「赤信号」レベルまで近づくと、そもそも心理的否認をしやすくなり、自分自身の状態を正確に把握できなくなるのだ。
言うなれば「自己測定不能ゾーン」に達してしまう。
これが「理由も分からず疲労する理由」だと思う。
だからこそ、
まだ自己観察力が残っている「黄色信号」のレベルで、
回復行動を取ることが必要なのだ。
つまりパフォーマンスの最高が10だとしたら、
1とか2まで疲労してから回復しようとするのではなく、
7か8ぐらいのところで、適切な休息をとるようにする。
(この数字に関してはあくまで例なので、実践する時は、最も良いレベルやタイミングを、色々と試してみるのが良いと思う)
回復は技術
そしてもうひとつ、重要な事実は「回復は技術」だということだ。
もし回復行動をとっても、うまく回復できないとしたら、
それは回復の種類や、タイミングが間違っていたり、回復のクオリティが低いせいかもしれない。
僕の場合は
- 「ウォーキング」(肉体的な回復)
- 「目を閉じての瞑想」(心理的な回復)
- 「昼寝」(睡眠的な回復)
の三つを、回復行動の主軸にしている。
これだけ書くと取るに足らない行動のように思えるのが、もっと重要なのは、前述のとおり「タイミング」や「量」や「回数」や「回復行動の質」だ。
特にこのうち最初の二個は、技術的にも磨いていけるものだと思う。
パフォーマンス低下のサインにも注意を払っている。
- 「仕事が堂々巡りを繰り返している」
- 「最高状態のパフォーマンスではない」
- 「心が、疲労を心理的否認しようとしている」
こういう時に回復行動をとると、「自分の予想もつかない効果」が起こり、頭がクリアになり、仕事が快適に進む。
頭では「これぐらい回復するかも」「まったく意味がないんじゃないか」という予測を立てても、体は予測通りには反応しない。
「全く無駄に思える5分のウォーキング」が、時には奇跡だとも思えるパフォーマンス回復をもたらしてくれるのだ。
このように、上手な回復行動を身につけると、自分自身の仕事での幸福にもつながるし、仕事でもパフォーマンスが上がる。
「嘘だろ、こんな世界が広がっていたんだ」という感じだ。
回復の革命
僕らは恐らく、回復に対する心的イメージを、ベースから変えてしまった方が良いのだ。
人間の動物的なリズムは、工業製品のように直線的には出来ていない。
(昼休みが「決められた1時間」なんて、まったく生体を無視したシステムだと思う)
だから個人個人で工夫して「人間の動物的なリズム」や「自然なゆらぎ」を取り戻していく必要がある。
- ひとつは、夜には疲れ果てて、次の日も辛さを感じ、毎日、いつ終わるかを待つような働き方。他の人にも、自分にも厳しくなるやり方。
- ひとつは、常にエネルギーを感じて、幸福で、パフォーマンスも上がる働き方。他の人にも、自分にも優しくなれるやり方。
僕は後者を選びたい。
マインドフルネスのトレーニング
ところ、マインドフルネスの練習を積んでいると、三つの良いことがある。
- 「自己観察力」が高まるので、パフォーマンス低下のサインに気付きやすいこと。
- 常に平静な呼吸を心がけることで、エネルギーの消費を最小に抑えることが出来ること。
- それぞれの回復行動のクオリティを高められること。たとえばウォーキングする時も、最もリラックスできる歩き方を工夫しながら、頭をぼーっとさせることも出来る。
なんとも素晴らしい。
是非「マインドフルネスの技術」を「休息の技術」と組み合わせて使ってみよう。