マインドマップよりずっと強力な、自分で出来る「モデルの描き方」
マインドマップというのは、物事を整理して理解するための、有名な手法だ。
だけど僕は、なんかしっくり来ない。
「役に立つのは分かるけど、なんか自分の肌には合わないな」といった感じ。
だけど、最近気付いたのは、マインドマップよりもずっと強力で、原始的な手法があるということだ。
(ちなみにここでいう「原始的」というのは褒め言葉だ)
マインドマップというのは、図の描き方の、1種類のフォーマットにすぎない。
あまりに限定的なやり方だと思う。
だから役に立つこともあれば、立たないこともあるし、フォーマット特有の限界もある。
モデルは自分で描ける
だけどもっとプリミティブなのは、
「絵を描く」「モデルを描く」という行為そのものだ。
僕が思うに「フリーフォーマットで、絵を描けるようになる」のが、一番強い。
「自分で出来るようになる」のが最強で、最も応用が効くし、なおかつシンプルだ。
たとえば芸術家が、白紙のキャンバスに絵を描いていくように。
昔の人が「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」と言ったように。
絵を描く技術。
モデルを描く技術。
この技術は、いったん身につければ、世界を理解するために、本当に役立つスキルだと感じている。
モデルと無意識
「モデルだって? 馬鹿らしい」
「絵を描くのは、自分には合っていない」
と、人によってはそう思うかもしれない。
だけど、事実は。
たとえふだん、意識していなくても僕らはイメージやモデルを使って世界を理解していることに代わりはない。
僕らが「モデルで世界を理解している」ということさえ気づいていないだけだ。
絵やイメージで世界を理解するということは、僕らが普段、日常的におこなっていることだ。
(その絵やイメージが間違っているか、適切であるかはさておいて)
間違ったモデル、適切なモデル
たとえば、具体的な例を出そう。
これはかなり古いモデルだが、今でも無意識に信じている人もいるかもしれない。
「お金があればあるほど、比例して幸福になれる」というモデル。
だけど事実としては、年収と幸福度は、ある一定のラインからは相関関係をなくすことが知られている。
これがより適切モデルであり、より現実を反映した理解だ。
たとえば別の例。
昔は精神と肉体が、完全に二つに分かれるものだと考えられていた。
だけど今では、科学的にも、心と体は分け隔てられない部分が多く、より曖昧模糊としたものだと考えられている。
(もしくは1個のものだと考えられている)
このように、僕らは無意識に何らかのモデルを描き、そのモデルをフィルタとして、世界を理解している。
あるモデルは学校で教えられたものかもしれない。
あるモデルは科学者が考えたものかもしれない。
あるモデルは個人が、人生の中で偶然身についたものかもしれない。
僕らが「モデル世界を理解している」ということは、隠された秘密なのだ。
モデルを描く技術
だけど、モデルというものは、そもそも間違っている場合がある。
間違ったモデルを描いたままだと、物事はなかなかうまく進まない。
(間違った地図で目的地にたどり着くのが難しいように)
なので「より適切なモデルで世界を理解すること」は、あらゆる物事において、間違いを避けたり、達成したりするために、大いに意味がある。
モデルの描き方がうまくなれば、僕らは歪んだ地図を修正できる。
そうすれば、自分が望む方向に、自分の足で歩いていけるようになるはずだ。
だけどひとつ問題がある。
それは、僕らはほとんどの場合、適切なモデルを描くための、適切な手段を持ち合わせていないということだ。
本とモデル
たとえば優れた本を読めば、絵や図として、何らかのモデルが描かれていることもあるだろう。
だけど文章が書かれているだけで、具体的なモデルが図示されない本のほうが一般的だ。
この場合、僕らは頭の中にモデルを描き出すしかない。
これがうまい人はうまくできるだろうが、下手な人は文章を頭に通過させるだけで終わってしまうかもしれない。
仮にこの世の中に
「自分が求めるような、適切なモデルが描かれた本」が存在するとしても、
いつでも適切な本に巡り会えるとは限らない。
その本に巡り合うまでに、膨大な時間がかかるかもしれない。
それに、もしかしたら、そんな本は世界に存在しないかもしれない。
それならば「自分自身でモデルを描いてしまう」方が手っ取り早いじゃないか。
人類はモデリングに長けている
このスキルは非常に強力だ。
そもそも自分が深い知識を持ち合わせていない分野にも、インスタントなモデルを描くことが出来る。
逆に、本などで読んだ情報を頼りに、それをイメージとして、より深い理解に落とし込むことも出来る。
いわば、サバイバル術だ。
日本人というものは特に、絵や図を描いてモデルで世界を理解するというプロセスが苦手だというイメージがある。
僕自身がまさにそうだった。
物事に対して平面的な理解をすることが多かった。
だけど人類の歴史でいうと、文章が生まれたよりも、ずっと昔に「絵を描く」という行為は存在したはずだ。
つまり、モデリングは文章理解よりも、ずっとプリミティブな行為だ。
やってみよう
ところで、自分でモデルを描くための、具体的な方法。
僕らは普段、自分が無意識に描いているモデルを、世界そのものだと思い込んでいる。
まず、この心的イメージに気付くことが重要だ。
(間違いに気づいていないものは、意識的に修正できない)
だけどよく意識のプロセスを観察してみると、
それは自分が描いているイメージに過ぎず、世界をフィルタリングしているモデルにすぎないと分かる。
(「自分はどんなイメージで○○を理解しているだろう?」と問いかけてみると良いだろう)
次に、それに替わるモデルはないだろうかと、イメージしたり、考えてみる。
(本を読んだりして、情報収集をするのは大きな助けになる)
練習をしてないと、最初はうまく思いつかないかもしれない。
だが「今、自分が持っている課題」に関連する本を読んだり、
仮設を立ててみたり、心に問いかけたりすることで、新しいイメージが浮かぶこともあるだろう。
そして新しいモデルが気に入ったり、
それがより適切な世界を描いてくれていると思ったら、新しいものを採用すれば良い。
こうして僕らは「新しい世界の理解」を手にすることが出来るのだ。
課題解決とモデル
これは別に、なりふりかまわず、何に対してでもモデルを描いてみろ、という話ではない。
(そうしても良いだろうけど)
僕らがいま、問題意識を感じている事柄。
「試行錯誤しているけれど、どうもうまくいかないな」と感じている、根の深そうな課題。
その基礎には「間違った心的イメージ」「間違ったモデリング」が存在して、
それが課題解決の最大のネックになっていることが本当に多いと思う。
だから
「自分はどんなモデルを描いているだろう?」
「新しいモデルは描けないだろうか?」というアプローチを取ってみるのが良いと思うのだ。
これは問題解決の大きな武器になる。
手を動かしてみよう
ポイントは、実際に自分で絵を描いてみることだ。
ツールとしては、紙でも、タブレットでも、スマホでも良いと思う。
僕の場合はまず、頭だけでモデルを描いてみる。
今時分が感じている課題に対して「今僕は、どういう間違ったモデルで、それを理解しているだろう」と考えてみる。
(たとえばエネルギーについてとか、休息についてとか)
そして、自分が納得いくまでイメージを描いたり、仮説を立てて捨てたりする。
そしていったん
「これが正解かもしれない」というモデルをイメージできたら、それを実際の絵に落とし込んで見る。
(ちなみにiPad mini のMemopadというアプリを愛用している)
手で描いてみて、それを自分の目で見て、脳に染み込ませるイメージだ。
モデリングは超基礎スキル
学校では教えてくれない。
誰もやり方を教えてくれない。
世間で話題にものぼらない。
「自分でモデルを描く」という行為。
だけどこれは、人の意識が関わるものなら、あらゆる分野に応用できる超基礎スキルだ。
(人の意識に関わらない活動なんて、果たしてあるだろうか?)
ただし、モデルは戯画に過ぎない
ひとつ注意。
たとえ、どんなモデルを描いたとしても、
それは「この世界を理解するための、かなり単純化されたものに過ぎない」ということだ。
なので、どんなに良いモデルが描けたと思って、完全に正解というものはない。
どんなモデルでもある程度は間違っているし、ある程度は正解だと言える。
なので僕らに出来ることは
「適切なシンプルさを持った、最も有効に働くモデルを描くこと」なのだ。
(世界というものは、そのままでは複雑すぎて、理解することすら出来ないから)
ところで、マインドフルネスは
トレーニングを続けていると、心的イメージを描いたり、それに意識的にアクセスしたりするのがうまくなる気がする。
マインドフルネスは心的なもの全般に対するトレーニングなので、当たり前と言えば当たり前かもしれない。
ストレスが減って、しかも世界をより良く理解できるようになるなんて、やっぱりマインドフルネスは悪くないやつだ。