マインドフルネスやってみた

瞑想で人生のレシピ作り

これからは「時間管理術」より「エネルギー管理術」だ。 (疲労困憊の対策)

いま「成功と幸せのための4つのエネルギー管理術」を読んでいる。
これは、エネルギーに対する理解を根本から覆す本かもしれない。

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疲労困憊の日


僕は、最近「仕事で疲れ果ててしまう現象」に悩んでいた。

特に午後に、疲労困憊のレベルが高い日がある。

 

幸いにも、午前中はエネルギーがフルチャージされた状態で、仕事をスタートできることが多い。

本当に体も心も軽くて、心地良く、清々しい状態。
「今日はなんだか一味ちがう」「この調子なら、1日最高の状態でいられそうだ」と思う。

 

だけど、1日の終わりにかけて、想定よりも速いスピードで、だんだんと疲労が溜まってくる。


あんなに清々しかったコンディションがだんだんと陰り、エネルギー状態は坂を転がるように悪化する。

むしろ、午前に高いエネルギーがある日こそ、仕事終わりには疲労困憊することが多い気がしていた。

 

疲労は不思議

こんな現象がなぜ起こるんだろう。

 

「自分への過信で、スピードを出しすぎているのだろうか」
「やはり仕事というものは、疲れるものなのだろうか」

 

などと考えるけど、なかなか答えが出ない。

 

疲れ果てる日と、そうでない日の違いがよく分からない。

同じように働いているつもりでも、疲れる日と疲れない日がある。


知識がない状態では「人体の不思議だ」と片付けるしかなかった。

回復行為の実践

しかし「4つのエネルギー管理術」を参考に、意識的に「回復の儀式」を実践してみたところ、驚くべき効果があった。
「こんなにも頭が冴えるのか」「こんなにもエネルギー状態が違ってくるのか」と強く実感した。

 

僕に必要なのは「回復に対する理解」と「適切な回復計画」だったのだ。

具体的な方法

僕の場合は、次のとおりに回復行為を実践した。

 

「業務中、常に自分の呼吸を意識して、息が乱れないように気を遣う」 

「肉体の疲労を感じたら、5分ほどパワーウォーキングする)」(肉体の回復)

「頭の疲労を感じたら、ぼーっとしながら、ゆっくりと外を眺める」(頭脳の回復)

「眠気を感じたら、5分だけ目を閉じて休む」

 

これを必ず「疲労を感じ始めた時」「疲労レベルが低い間」に実行するのだ。

自分が必要と感じる見積もりよりも、ずっと早く回復をおこなう。

 

そして「今、どれが適切な回復方法だろう」ということも考える。

 

これが本当に効いた。 

休憩なんて取るに足らない?

「休憩なんて、皆していることだ」って思うかもしれない。

だけど本当に重要なのは、ただ休むことじゃない。

 

回復の「種類」「質」「頻度」「量」「タイミング」を適切な管理して、実践する ということだ。

 

必要なタイミングで、必要な量だけ、必要な種類の回復をおこなうことで、休憩の威力は数十倍にもなる気がした。

 

直線的な理解 

僕らというものは普段、エネルギーに関して直線的な考え方をしがちだ。
「いつ休憩しても、だいたい効果は同じ」「回復量も同じ」だと考えている。

 

だけど人間の体はそういう風には出来ていない。
たとえば疲労困憊した後に1時間の休憩をとるようでは、あまりにも遅すぎる。

 

それよりも、疲労を感じる前に、5分の休憩をした方が良い。

そして、だいたい僕らの疲労に対する対応は「遅すぎる」から、素早く対応をおこなうようにする。


(タイミングで命運が分かれる)

 

実践しなければ効果はない

 

もしかしたら、こんな情報は「話には聞いたことがある」という人もいるかもしれない。
だけど重要なのは「頭では分かっていること」を「本当に必要だと理解」して「実践に落とし込めるかどうか」だ。

 

会社などで、複数人で働いていると、大胆な回復計画をとるのは、なかなか勇気がいることだろう。

 

疲れを感じ始めても、その事実を否定して「まだ作業を続けよう」とか。
「ぼーっと外を眺めたりしたら、さぼってると思われないだろうか」とか、社会的ハードルはあるかもしれない。

 

だけどいざ、自分の行動体系を変えて、高いエネルギー状態を経験すれば、もう元には戻れなくなるはずだ。

 

そして、エネルギー状態を改善することで、結果的には、業務に大きく貢献することになる。
(逆にエネルギー状態を管理しなければ、業務に悪影響を与えていることになる)

 

回復の地位を高めよう


僕らは休憩や回復を、重要なファクターだと理解していない。
働くことの「おまけ」のようなものだと考えている。

 

だけど僕らは、もっと回復について理解して、もっと心地良く、幸福に働くことが出来るはずだ。

良い回復

  • 「仕事は長距離走ではなく、短距離走の繰り返しだと理解する」
  • 「疲労を感じる前に休憩する」(疲労状態を否定しない)
  • 「短いインターバルでも良い、必要な回復をこまめにおこなう」
  • 「適切な種類の回復をおこなう」(ぼーっとする、仮眠、運動など)
  • 「良質な回復の時間、場所を持つ」(儀式にする)
  • 「回復が完了してから、仕事を再開する」 

悪い回復

  • 長距離走のように仕事をすると、エネルギー状態は下降の一線をたどる」
  • 「疲労困憊してから休むのは最悪」
  • 「クオリティの低い回復方法では、エネルギーは取り戻せない」
  • 「回復の種類を選び間違えると、回復しづらい」(たとえば、眠くないのに仮眠したり)
  • 「回復が完了する前に、仕事を再開してはいけない」

 

 

 

情報の教科書 〜直線的なモデルを描くのをやめよう〜

 

 

まず大前提として、この世界はあまりにも複雑だ。

なので僕らは、世界を理解する時に、特定のモデルを使う。

 

どんなモデルを採用したにしても、それはあくまでも世界を単純化して、理解しやすくしたものにすぎない。

だが時に、あまりも単純化されたモデルは、現実の理解に大きな弊害を起こす場合がある。

 

純化されすぎたモデル

 

現在では、多くの「直線的で、単純化されすぎたモデル」が、大きな誤りを持っていることが分かってきている。

 

たとえば僕らは「お金があればあるほど幸福になれるはずだ」というモデルを、少なからず、無意識に描いているかもしれない。

 

「お金が10倍あれば、幸福度は10倍になる」

「お金が100倍あれば、幸福度は100倍になる」

 

ここまで直線的とは行かないまでも、多くの人が「幸福度に対するお金の影響度」を、高く見積もりすぎていることは事実だ。

 

お金と幸せの関係はとても複雑ですが、様々な研究を概括すれば、お金と幸せの相関係数は0・10~0・20ととても低く、年収が高い人は少ない人よりも「やや幸せ」というくらいの結論になるようです

(「ハーバード流 幸せになる技術」より) 

 

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直線的なモデルは人間にマッチしない

 

特に、人間自体に関する限り、この「直線型のモデル」の適用は、まず間違ってると考えて良い。

他の分野に対しては、ある程度正解なモデルであっても、人間そのものにも正解であるとは限らない。

 

たとえば、

 

  • 栄養を取れば取るほど健康になる
  • 運動量が多ければ多いほど健康になる
  • 激しいトレーニングをひたすら繰り返せば物事は上達する

 

このような直線的なモデルは、間違えであることが分かっている。

 

じゃあ一体、どうすれば良いのか?

まずは「人間に対して、直線的なモデルを描くこと」自体を見直すべきなのだ。

 

 

たとえばエネルギーの管理

たとえば「4つのエネルギー管理術」によると、人間のエネルギーは直線的には出来ていないという。

 

人間のエネルギーに重要なのは「リズム」だ。

「エネルギーの消費」と「回復」のリズムを適切に繰り返すことで、頭脳面、肉体面、情緒面、精神面でのエネルギーを増大させることが出来るという。

 

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モデルは無意識に描かれる

一番の落とし穴は、

「モデルを描く」という行為が、ほぼ無意識におこなわれ、僕らの信念になっているということだ。

 

 

「単純化されすぎたモデル」は、シンプルなだけに、とても理解しやすく、意識に刷り込みやすい。

だがそれを安易に採用してしまうと、間違ったモデルに沿って進むことになり、間違った結果を引き起こすことになる。

(たとえばビタミンの過剰摂取などは分りやすいが、分かりにくい例もたくさんある)

 

もっとも重要なのは、この世界は、実はものすごく複雑なプロセスで動いているという事実を認識すること。

そして、その世界を理解するために、適切な複雑度、適切なシンプルさを持ったモデルを採用することだ。

 

そして、情報を得て勉強するということは、より適切なモデルを獲得するために役に立つ。

 

 

情報に対する信念のモデルを書き換えよう

自分のKindleのライブラリを見ると、自己改善に関する本がギッキリと並んでいる。

そんな時、僕は喜びを感じるというよりも、自己疑惑に陥ってしまう。

 

「なんでこんなに、自分を良くしようとしてるんだろう?」

 

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情報は幸福に役立つ?

新しいことを覚えるのは好きなのに、時にはすごく嫌いな気がする。

情報や知識は幸福に役立つはずなのに、時には全く役立たない気もする。

 

 

僕は情報が好きなのだろうか?

それとも嫌いなのだろうか?

情報は幸福に役に立つのだろうか?

それとも役に立たないのだろうか?

情報が幸福に役立つとしたら、情報がない人は幸福になれないのだろうか?

 

こんな風に、情報に対して、様々な疑いが湧き上がってくる。

だけど実は「情報に対する信念」が、この問題を引き起こしていたのだ。

間違った信念

僕は「自分が情報に対して、何を感じているか、何を考えているか」ということを、ゆっくり観察してみた。

(目を閉じて、座って瞑想をしながら、ゆっくり心に質問をしてみた)

 

そのところ、僕が持っている信念のせいで、情報とうまく付き合えていないということが分かった。

その間違えは、次のようなものだ。

 

  • 情報は集めれば集めるほど、賢くなり、幸福になれる (間違い)
  • 幸福になるには、こんなに多くのことを学ばなければいけない (コストパフォーマンスに対する徒労感)
  • 情報を得るのは、人より優れて勝つための手段だ (競争)
  • どんなに勉強しても、勉強で成長した気がしても、必ず自分より成長がうまい人がいて、負けてしまう (比較と劣等感)
  • 自分が全く知らなかったことは、間違えだ (今までも、それなりにうまくやっていたのに、もっとうまい方法があるなんて、信じたくない)
  • 自分が全く知らなかったことを知ると、損をしたような気分になる (最初から実践していれば、どれぐらい「得」が出来ただろう)

 

この弊害はすごく大きくて、時には、まったく読書を楽しめないどころか、勉強をするのがとにかく虚しく、つらい状態になることもあった。

(つい昨日まで、すごく楽しかったのに!)

 

信念の置き換え

そして、僕は信念を置き換えることにした。次の通りに。

 

僕にとって情報とは

 

  • 間違ったモデルを、より適切なモデルに置き換えるための手段
  • 自分自身や、世界や、意識のプロセスを正しく理解するための手段
  • 物事を正しく理解した結果として、自分や他人を、より幸福にするための手段

だ。

 

この理解はかなり、心にしっくり来た。

このことで、情報に対して、今までよりも「愛」をもって接することができそうだと思っている。

 

新しいモデルの作り方

これは、どこにも感じていない「なんだか目新しいモデル」をでっち上げたわけではない。

自分の心に対して、率直な質問をしてみた結果だ。

 

具体的には、自分に対して次の質問をしてみた。

 

「自分が、情報に対して、最も心地良く接している時は、何を感じているのだろう?」

「自分が、情報に対して、虚しさや辛さを感じている時は、何を思い描いているのだろう?」

 

重さと軽さ

その結果、わかったこと。

 

僕にとって、情報というのはコレクションみたいに、量を積み上げるものじゃない。

重荷を降ろして、より軽快になるためのものなのだ。

 

たとえばの話、より適切な食習慣のための情報を得て、それを実践すれば、体はとても「軽く」なるだろう。

たとえば、人間関係の本を読んで、それをうまく実践して関係が改善されれば、関係性はとても「軽く」なるだろう。

 

重くなるためのものじゃなくて、軽くなるためのもの。

知識を増やすためのものじゃなくて、間違え減らすためのもの。

 

それが僕にとっての「情報」の位置づけだ。

 

一般的なイメージと本質

情報や知識というのは「積み上げ型」というイメージがあるので、これが落とし穴になっていた。

このように、「自分にとっての本質」と「一般的なイメージ」が真逆にあると、落とし穴にはまりやすいように思う。

 

 

 

愛は最強のマインドフルネス

ここでは「愛」という一般的な言葉を、モラルとしてではなく、歌の歌詞ではなく、思考としてでもなく、マインドフルネスの実践として話そうと思う。

仕事

たとえば、

  • 仕事が嫌いで毎日行くのが辛い
  • 仕事が嫌いなので、最低限の業務しかおこなわない
  • 仕事の成長のために、あまり好きじゃない勉強をする
  • 仕事の成長は、自分のキャリアに役立つと理解して、モチベーションを上げ、長期的に勉強する
  • 仕事を愛して、毎日を愛のために奉仕する

 

どれが最強の仕事方法だろうか?

僕は最後だと思う。

人間関係

たとえば、

  • 人が苦手だけれど、緊張しないように努力する
  • 人と普通に接することは出来るが、影響力は与えられない
  • あらゆるコミュニケーション方法を駆使して、良好な関係を築くことが出来る
  • 他の人に対して、常に、心に深い愛情を持ちながら接する

 

どれが最強の人間術だろうか?

僕は最後だと思う。

愛は上位概念

愛は最強だ。

だからといって、簡単に実践できるわけではない。

 

たとえ

「愛が大事なんだ」

 

「そうだ、今日から仕事や人を愛することにしよう」

と心に決めても、たぶん10秒ぐらいで失敗してしまうだろう。

 

なぜなら、愛自体はとてもシンプルで簡単だけど、その実践は簡単じゃないからだ。

最終的に「愛の実践が簡単になる」までには、ちゃんとした基礎の積み上げや、心の安定や、多くの練習を必要とする。

 

「愛」が現れてくる、心のトレーニングを積んで、すごく多くの荷物を降ろしたあとに、ようやく現れるものだと僕は思っている。

だけどいざ準備が整ってしまえば「愛のある状態」は、とても心地良くて、本当に楽なのだ。

 

それはただのリラックス状態じゃない。

「平穏な状態」や「安心している状態」にも近いけれど、それよりももっと、上位の概念として位置する。

 

愛はどこにある?

 

愛というのは「思考の世界」「言葉の世界」とは、最も遠くに存在するものだ。

実感していなければ何の意味もないし、言葉ではなくて、実感の中にだけ存在する。

 

愛を感じている人にとっては、愛という言葉はしっくり来る。

愛を感じていない人にとっては、この言葉はしっくり来ない。

 

愛を感じている人にとっては、愛は手にとることができる、具体的な形だ。

愛を感じていない人にとっては、愛はどこにも存在しない、ただの概念だ。

 

そしてマインドフルネスの世界では、愛のある状態さえも、練習によって身につけるものだ。

 

愛は最も優れたイメージ

たとえば、何かに対して、愛を感じようとしてみる。

  

それで心があたたかくなるようなら、それは準備が整っている証拠だ。

逆に反発を感じるようなら、それは準備が整っていない証拠だ。

  

たとえばスポーツの世界と同じで、マインドフルネスの世界では、経験を積むほど、イメージの重要性が高まってくる。

いったんいろいろなテクニックを身に着けてしまうと、そこから重要になるのは、複数の要素をどうやって、総合的に機能させるかということに変わるからだ。

 

その最上位の概念が「愛」というイメージなのだと僕は理解する。

たとえ話

まだ何か、言い足りていないことがある気がする。

それだけ「愛」というトピックは微妙で、誤解されやすいものだ。

 

たとえばの話、職場に行くのが毎日、辛いとする。

無意識に「職場は怖い場所」という信念を持ち、仕事のメンバーを「敵だ」「自分を脅かすものだ」と感じているとすれば、これは愛のない状態だ。

 

だけどたとえば「職場は安心できる場所」という信念がベースにあり、

「仕事のメンバーは、仲間みたいなもの」「家族みたいなもの」だと実感していたとすれば、これは「愛」を感じている状態だと言える。

 

愛は単一には存在しない

  • 呼吸が整っていて、乱れることがない
  • 世界を敵だと感じるのではなく、味方だと感じて、心が安心している状態
  • 自分の状態を観察し、他の人の状態も観察することが出来る
  • 目の前のことに集中し、同時に、周りの状態を意識することが出来る
  • 「ここではないどこか」ではなく、今の瞬間に存在している
  • 刺激やショックに対して適切な対応をとり、平静さを保つことが出来る

 

こういった数々の条件を揃えることで、はじめて「愛のある状態」というものが、輪郭として現れてくる。

ベースの部分の安定があるからこそ、他の人にも優しくできるし、脅えずに、快適に過ごすことが出来る。

 

愛は直接的に目指すものではない。

だけど、もし物事の多くがうまく運ぶように感じられるなら、それはきっと「愛を感じている状態」なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

情報と信念

僕は本屋に入ると、気分が悪くなることがある。

その感覚を言葉にするなら「世の中に、こんなに自分の知らないことが溢れているのか」と思うと、圧倒されてしまうのだ。

 

「100万個もある知識や情報の中で、1個も知らない自分」が強調されて、自分が取るに足らないような存在に感じられるのだ。

 

情報と信念

最近思うのは「情報というものを、どう理解しているか」が、とても重要だということだ。

「情報との付き合い方が、まるで変わってしまう。

 

たとえ情報とうまく付き合いたくても、間違った信念を抱いたままだと、いわばハンディを背負ったまま戦い続けることになる。

そして、長期的に見れば負け戦が多くなる。

 

間違った信念は、僕らが自由に羽ばたくのを妨げる。

ずっと地面にくくりつけようとする、足かせみたいなものだ。

 

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もし情報が恋人なら

たとえば、僕は情報との付き合い方に「痛み」を覚えている。

こいつ(=情報)とは長い付き合いだけど、今は、、完全に楽しい付き合いを出来ているわけではない。

 

もし仮に、情報が恋人みたいなものだとしたら、根本にある問題には目を伏せたまま、 長い時間を過ごしてしまった感じだ。

 

でも、もし今ここで、恋人とちゃんと話し合うことができれば。

もし仮に、それでベースにある問題を取り除くことができれば。

情報に対する信念を書き換えることができれば、情報との関係性は、どれだけ楽しくて、幸福なものになるだろう。

 

信念の種類

信念というのは、人がほぼ無意識に持っている、考え方のベースのことだ。

 

たとえば、

「情報があればあるほど、幸福になれる」という信念を持っていれば、

「情報が足りないと、不幸になる」という信念も同時に持つことになる。

 

 

たとえば「情報が恐い」「情報は役立たない」という信念を持っていれば、

そもそも、情報収集をしようとしなくなるだろう。

 

 

少しだけの信念の違いが、人の行動に少しずつ影響を及ぼして、感じ方や、行動形態を変えることになる。

だから僕は、より情報に対して適切な理解をしたいと思った。

 

信念の影響

たとえば間違った信念が、望まない結果を引き起こしている例。

 

間違った信念「情報があればあるほど幸福になる」

「情報をたくさん得ているのに、なんだか幸福な感じがしない」

「どんなに情報を手に入れても、まだ知らない情報が山ほどある」

 

「幸福になるのに、こんなにたくさんのことを学ばなければいけない」( = 「幸福になるのは大変なことだ」という信念を育てることになる)

 

これは「情報を知っていればいるほど人の価値が高い」などという信念にも当てはまる。

この信念を持っていると、情報のラットレースにはまりこむことになる。

 

 

間違った信念「情報が恐い」「情報は役立たない」

「どれだけ勉強しても、幸福には役に立たないし、コストパフォーマンスが悪い」

「どうせ、どんなに勉強しても、人間は最後には死んでしまうから意味がない」 ( = 「今の自分の幸福には意味がない」という信念を育てることになる)

 

この信念を抱いていると、たとえば「新しいことを知って、ワクワクする」ということもないし、情報を他の人に役立てられることもない。

 

情報は王様か

なぜ情報との付き合い方が重要だと思うかというと、現代の社会では、情報が王様の位置に踊り出ているからだ。

既に「お金」よりも権威が大きいかもしれない。

 

つまり、パワーがあるものは、すなわち諸刃の剣だ。

逆に情報とうまく付き合うことができれば、大きな力を手にすることになる。

 

(それは人より偉くなるためのものでも、人を傷つけるためのものでもない。より幸福に生きるためのものだ)

 

モデルを書き換える

 

この記事は長くなった。

具体的な新しいモデルの話は、また別の記事で書くことにする。

 

 

 

呼吸のトレーニングの基本 ( 日常編 )

たとえば、

 

嫌なことを考えている時。

嫌なことをしている時。

嫌いな場所にいる時。

 

呼吸が浅く、苦しくなっているはずだ。

「呼吸が浅くなっている時に、気付く」という習慣をつけるだけで、苦手克服に大きな効果がある。

 

これがマインドフルネスの第一歩だ。

 

 1回やるだけではダメ。

習慣にして、何百回でも、何千回でも気付くことで、経験値が上がっていく。

 

この習慣を身につければ、人生に絶大なリターンがある。

生涯にわたって使える武器になるだろう。

本当に役立つの?

 

たとえば、

「呼吸だって? そんな考えは馬鹿らしい」

「やってみたけど効果がない、腹立たしい」

と思った瞬間、あなたの呼吸は浅くなっているはずだ。

 

平静なところには、必ず穏やかな呼吸がある。

平静じゃないところには、必ず穏やかな呼吸はない。

 

呼吸は感情や、体の感覚と深く連動しているということは、実験によっても証明されている。

 

呼吸でストレス解消する方法 (「自分を大事にする人がうまくいく」より) - NAVER まとめ )

 

その後追加で行われた実験では、研究者は参加者をいくつかのグループに分け、まずはさまざまな感情に呼応するパターンで呼吸をしてもらった。それから、参加者にどんな気分か尋ねた。なんと、参加者は「呼吸のパターンに呼応する感情」を抱きはじめたというのだ! つまり、深くゆっくりと呼吸すると、穏やかな気分になり、浅く速い呼吸をすると、不安や怒りを感じるようになったのだ

 

落とし穴

単に呼吸を大きくしたり、深くしたりしても、気分は変わらないかもしれない。

 

だけどそれは「下手な」呼吸だ。

効果を出すには「上手に」呼吸する必要がある。

 

 

イメージとしては「もし今、自分が、一番リラックスしていたとしたら、どんな呼吸をするだろう」と思い描いてみること。

もしくは、最も心地よい呼吸を探してみること。

 

強さや深さよりも、スピードを意識するのは良いやり方だ。

どうやって身につけるか?

今までに、呼吸の話を聞いたことがある人もいるかもしれない。

だけど多分、1分ぐらいは納得して、その後は忘れてしまったはずだ。

 

僕の場合、たぶん半年に一度ぐらいは、呼吸について書かれた記事か何かを読む機会があった気がする。

そして「よし、呼吸を意識しよう」「いや、やっぱり役に立たない」なんて思って、毎回、すぐに忘れた。

(猫背の人が、半年に一度ぐらい、姿勢を意識するみたいに)

 

だけど平静な心を身に着けたいなら、呼吸を習慣にする必要がある。

 

単に、日常で気をつけるだけだと、きっと忘れてしまうだろう。

なのでまずは目を閉じて、座ってやるタイプの、フォーマルな瞑想をオススメする。

 

瞑想が習慣になれば、このトレーニングも、きっと空気よりも簡単になる。

 

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ヨガの瞑想のイラスト(男性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

トレーニング

箇条書きにするならこんな感じ。

別に、このとおりじゃなくても良い。

 

  • 苦手なことをする前に、自分の呼吸に注意を向けてみる
  • 苦手なことをしながら、呼吸が止まったり、乱れたりしていていないか観察する
  • 呼吸が乱れているのに気付いたら、呼吸のスピードや深さを調整して、気分や体の状態が変わるかどうか試してみる
  • 苦手なことを考えるだけで、呼吸が止まったり、乱れたりするかどうか観察してみる
  • どんな時に呼吸が乱れやすいかを、普段から観察してみる (たぶん苦手なことをするときや、嫌なことを考えたときだ)
  • 「普段の呼吸に戻す」だけでは足りないと思ったら、苦手さのレベルに応じるように、少し深くて、大きめの深めの呼吸をしてみる

 

憂鬱な気分を吹き飛ばして、心を楽にするテクニック (観察・発見・受容)

最近、僕は「受容」のテクニックにはまっている。

こいつはすごく強力で、不安を解消し、心の安定度を高める効果がある。

マインドフルネスの優れたテクニックだ。

 

これをうまく使えば、

「呼吸を整える」
「呼吸を意識する」

というテクニックよりも、はるかに高い効果がある。

 

「自分を受け入れる」って何?

 

これは一般的な言い方をすれば「自分を受け入れよう」ということだ。

 

でも「自分を受け入れる」って、そもそも、どういうことなんだろう。
表現が曖昧で、ぜんぜん分からないと僕は思う。

 

うまく出来る人は出来るし、出来ない人は出来ないだろうって思う。

 

だけどマインドフルネスでは、具体的な練習をおこなうというところが良いことだ。

 

自分が実践している「受容」のテクニックは、心理学的に正しいアプローチなのかどうかは分からない。
だけど実感として「心が楽になる」現象が起きているのが事実だ。

 

1.観察と発見

 

具体的な方法。

「なんだか嫌な感じ」
「なんだか落ち着かない感じ」
がする時に、そっと目を閉じてみる。

 

たとえば、探偵になったような気分で
「一体、どこで、嫌な感じがしているんだろう」
ということを、体の中で、ゆっくりと探してみる。

 

そうして、しばらく「嫌な感じ」の場所を探していると、あるとき「あ、これだ」と見つかる瞬間ある。
その場所は、時には胸のあたりだったり、頭のあたりだったり「どこかの空間」に「何かの形」を持って、存在している。

 

これが第一段階の「観察」と「発見」のプロセスだ。
不思議なのは、こうやって「嫌な感じがしている場所」を突き止めるだけで、そのレベルが、グンとましになるということだ。

なので「発見」をしただけで、もう充分だということも多い。

 

なぜそんなことが起こるんだろう。

 

人間の意識には複雑なプロセスが働いている。これは脳科学の世界では常識だ。
理由は分からないけれど、どうやら心の世界には「発見して、理解するだけで、嫌な感じが弱まる」という現象があるようだ。

 

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2. 受容

 

次に第二段階。

「観察」と「発見」をして、まだ嫌な感じが残っているなら、次に「受容」のプロセスに移る。

この段階では、あなたはもう「嫌な感じ」の場所や、その形を突き止めている。
「嫌な感じ」が「自分自身」ではないことを理解して、「感覚の外部化」が出来ている状態だ。

 

受容のテクニックを試すのは、具体的にはどうすれば良いのだろう。

あなたは既に「自分の反応」を発見している。
だから「嫌な感じ」に対して、逃げようとしたり、避けようとしたりしている自分に気付くと思う。


なのであとは、その反応を変えてみようと試みる。

 

たとえば「嫌な感じ」が「怒っている猫」だとしよう。

あなたは無意識に「恐いから、逃げよう」としているかもしれない。
だけど逆に「なでてあげる」「優しくする」というアプローチを取ってみる。

 

こうやってアプローチを変えて、
そして「感覚」と「自分の反応」の関係性を理解していく。

エッセンスは「自分が無意識に行っているアプローチに気付く」「アプローチを変える」ということだ。

 

受容が成功すると、必ず心は楽になる。
だから、成功や失敗の結果は、自動的に分かる。

逆に、心が楽にならなかったとしたら、受容は失敗だが、逆に経験値は溜まる。
受容が失敗しても、それは「経験を積む」という意味では大きな成功だ。

 

最初からうまくいくわけはないのだから、何度でもやってみれば良い。
何度やってもうまくいかなければ、もっと別のイメージを描いてみたり、アプローチを変えてみれば良い。

 

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繰り返すほどうまくなる

 

コツは「嫌な感じがしている、対象そのもの」じゃなくて
「嫌な感じに、反応している自分」を観察して、その「反応」を受容してみること。

 

たとえば「明日の仕事」を思い浮かべると、嫌な感じがするという場合。

受容するのは「明日の仕事」そのものではなくて、
「明日の仕事が、嫌だなと思う、自分の反応」だ。

 

このテクニックのメリットは、繰り返せば繰り返すほど「嫌な感じ」のレベルが下がっていくということだ。
たとえば僕は以前、休日に「明日の仕事」のことを考えるだけで、嫌な汗をかいて、強いストレスを感じていた。

 

だけど受容のテクニックを繰り返すだけで、だんだんと「嫌な感じ」のレベルが下がり、半年ほどかけて、ついにはほとんど消えてしまった。
10000が1に減った感じだ。

 

ちなみにいったん「受容」しても、それでゲームクリアというわけじゃない。
なんど「受容」してもまた、同じ「嫌な感じ」が現れるかもいしれない。

だけどそのたびに、受容のテクニックを繰り返す。
するとだんだんと、波を描くように「嫌な感じ」のレベルは下がっていく。

 

注意点


このテクニックには注意点もある。

それはなるべく、リラックスできる環境でおこなった方が良いということ。
自分の対処能力を越えるような環境だと、高度なテクニックは難しい。

たとえば気温30度の真夏日に、直射日光を浴びながらというのは難しいだろう。

 

もうひとつは、受容しようとすることで、逆に力が入ってしまうのに気をつけること。
もし何度「受容のテクニック」を試しても、逆に嫌な感じが強まるなら、他のマインドフルネスのテクニックから試した方が良いだろう。

たとえば呼吸を整えるとか、呼吸に意識を集中するとか。

 

まとめ


このテクニックを覚える最大の利点は、自分の対処能力を信頼できるようになるということだ。

もう、嫌なことから逃げなくても良い。回避しなくて良い。
「嫌なことを受け入れられる能力」がそなわれば、本当に最強だと思う。

 


たとえば、いくら借金を背負ったとしても、収入のアテがあればどうにかなる。
たとえば、落とし穴に落ちても、這いのぼれる筋力があればどうにかなる。

たとえるなら、そんな感じだ。

 

そして、この受容のテクニックは「嫌な感じがするもの」であれば、ほとんど扱うことが出来るのも利点だ。
「この問題には対処できて、この問題には対処できない」という区別が、あまりない。

それも、このテクニックが強力な理由のひとつだ。

 

この人生において、今までひとつずつ背負ってきた荷物を、ひとつずつ降ろしていくこと。
間違って歩いてきた道を、少しずつ戻っていくこと。

そして、降ろした荷物の重さに気付くこと。
こうやって、歩くことは少しずつ楽になっていくように思う。

 

イラスト

探偵のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

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