情報と信念
僕は本屋に入ると、気分が悪くなることがある。
その感覚を言葉にするなら「世の中に、こんなに自分の知らないことが溢れているのか」と思うと、圧倒されてしまうのだ。
「100万個もある知識や情報の中で、1個も知らない自分」が強調されて、自分が取るに足らないような存在に感じられるのだ。
情報と信念
最近思うのは「情報というものを、どう理解しているか」が、とても重要だということだ。
「情報との付き合い方が、まるで変わってしまう。
たとえ情報とうまく付き合いたくても、間違った信念を抱いたままだと、いわばハンディを背負ったまま戦い続けることになる。
そして、長期的に見れば負け戦が多くなる。
間違った信念は、僕らが自由に羽ばたくのを妨げる。
ずっと地面にくくりつけようとする、足かせみたいなものだ。
もし情報が恋人なら
たとえば、僕は情報との付き合い方に「痛み」を覚えている。
こいつ(=情報)とは長い付き合いだけど、今は、、完全に楽しい付き合いを出来ているわけではない。
もし仮に、情報が恋人みたいなものだとしたら、根本にある問題には目を伏せたまま、 長い時間を過ごしてしまった感じだ。
でも、もし今ここで、恋人とちゃんと話し合うことができれば。
もし仮に、それでベースにある問題を取り除くことができれば。
情報に対する信念を書き換えることができれば、情報との関係性は、どれだけ楽しくて、幸福なものになるだろう。
信念の種類
信念というのは、人がほぼ無意識に持っている、考え方のベースのことだ。
たとえば、
「情報があればあるほど、幸福になれる」という信念を持っていれば、
「情報が足りないと、不幸になる」という信念も同時に持つことになる。
たとえば「情報が恐い」「情報は役立たない」という信念を持っていれば、
そもそも、情報収集をしようとしなくなるだろう。
少しだけの信念の違いが、人の行動に少しずつ影響を及ぼして、感じ方や、行動形態を変えることになる。
だから僕は、より情報に対して適切な理解をしたいと思った。
信念の影響
たとえば間違った信念が、望まない結果を引き起こしている例。
間違った信念「情報があればあるほど幸福になる」
「情報をたくさん得ているのに、なんだか幸福な感じがしない」
「どんなに情報を手に入れても、まだ知らない情報が山ほどある」
「幸福になるのに、こんなにたくさんのことを学ばなければいけない」( = 「幸福になるのは大変なことだ」という信念を育てることになる)
これは「情報を知っていればいるほど人の価値が高い」などという信念にも当てはまる。
この信念を持っていると、情報のラットレースにはまりこむことになる。
間違った信念「情報が恐い」「情報は役立たない」
「どれだけ勉強しても、幸福には役に立たないし、コストパフォーマンスが悪い」
「どうせ、どんなに勉強しても、人間は最後には死んでしまうから意味がない」 ( = 「今の自分の幸福には意味がない」という信念を育てることになる)
この信念を抱いていると、たとえば「新しいことを知って、ワクワクする」ということもないし、情報を他の人に役立てられることもない。
情報は王様か
なぜ情報との付き合い方が重要だと思うかというと、現代の社会では、情報が王様の位置に踊り出ているからだ。
既に「お金」よりも権威が大きいかもしれない。
つまり、パワーがあるものは、すなわち諸刃の剣だ。
逆に情報とうまく付き合うことができれば、大きな力を手にすることになる。
(それは人より偉くなるためのものでも、人を傷つけるためのものでもない。より幸福に生きるためのものだ)
モデルを書き換える
この記事は長くなった。
具体的な新しいモデルの話は、また別の記事で書くことにする。