愛は最強のマインドフルネス
ここでは「愛」という一般的な言葉を、モラルとしてではなく、歌の歌詞ではなく、思考としてでもなく、マインドフルネスの実践として話そうと思う。
仕事
たとえば、
- 仕事が嫌いで毎日行くのが辛い
- 仕事が嫌いなので、最低限の業務しかおこなわない
- 仕事の成長のために、あまり好きじゃない勉強をする
- 仕事の成長は、自分のキャリアに役立つと理解して、モチベーションを上げ、長期的に勉強する
- 仕事を愛して、毎日を愛のために奉仕する
どれが最強の仕事方法だろうか?
僕は最後だと思う。
人間関係
たとえば、
- 人が苦手だけれど、緊張しないように努力する
- 人と普通に接することは出来るが、影響力は与えられない
- あらゆるコミュニケーション方法を駆使して、良好な関係を築くことが出来る
- 他の人に対して、常に、心に深い愛情を持ちながら接する
どれが最強の人間術だろうか?
僕は最後だと思う。
愛は上位概念
愛は最強だ。
だからといって、簡単に実践できるわけではない。
たとえ
「愛が大事なんだ」
「そうだ、今日から仕事や人を愛することにしよう」
と心に決めても、たぶん10秒ぐらいで失敗してしまうだろう。
なぜなら、愛自体はとてもシンプルで簡単だけど、その実践は簡単じゃないからだ。
最終的に「愛の実践が簡単になる」までには、ちゃんとした基礎の積み上げや、心の安定や、多くの練習を必要とする。
「愛」が現れてくる、心のトレーニングを積んで、すごく多くの荷物を降ろしたあとに、ようやく現れるものだと僕は思っている。
だけどいざ準備が整ってしまえば「愛のある状態」は、とても心地良くて、本当に楽なのだ。
それはただのリラックス状態じゃない。
「平穏な状態」や「安心している状態」にも近いけれど、それよりももっと、上位の概念として位置する。
愛はどこにある?
愛というのは「思考の世界」「言葉の世界」とは、最も遠くに存在するものだ。
実感していなければ何の意味もないし、言葉ではなくて、実感の中にだけ存在する。
愛を感じている人にとっては、愛という言葉はしっくり来る。
愛を感じていない人にとっては、この言葉はしっくり来ない。
愛を感じている人にとっては、愛は手にとることができる、具体的な形だ。
愛を感じていない人にとっては、愛はどこにも存在しない、ただの概念だ。
そしてマインドフルネスの世界では、愛のある状態さえも、練習によって身につけるものだ。
愛は最も優れたイメージ
たとえば、何かに対して、愛を感じようとしてみる。
それで心があたたかくなるようなら、それは準備が整っている証拠だ。
逆に反発を感じるようなら、それは準備が整っていない証拠だ。
たとえばスポーツの世界と同じで、マインドフルネスの世界では、経験を積むほど、イメージの重要性が高まってくる。
いったんいろいろなテクニックを身に着けてしまうと、そこから重要になるのは、複数の要素をどうやって、総合的に機能させるかということに変わるからだ。
その最上位の概念が「愛」というイメージなのだと僕は理解する。
たとえ話
まだ何か、言い足りていないことがある気がする。
それだけ「愛」というトピックは微妙で、誤解されやすいものだ。
たとえばの話、職場に行くのが毎日、辛いとする。
無意識に「職場は怖い場所」という信念を持ち、仕事のメンバーを「敵だ」「自分を脅かすものだ」と感じているとすれば、これは愛のない状態だ。
だけどたとえば「職場は安心できる場所」という信念がベースにあり、
「仕事のメンバーは、仲間みたいなもの」「家族みたいなもの」だと実感していたとすれば、これは「愛」を感じている状態だと言える。
愛は単一には存在しない
- 呼吸が整っていて、乱れることがない
- 世界を敵だと感じるのではなく、味方だと感じて、心が安心している状態
- 自分の状態を観察し、他の人の状態も観察することが出来る
- 目の前のことに集中し、同時に、周りの状態を意識することが出来る
- 「ここではないどこか」ではなく、今の瞬間に存在している
- 刺激やショックに対して適切な対応をとり、平静さを保つことが出来る
こういった数々の条件を揃えることで、はじめて「愛のある状態」というものが、輪郭として現れてくる。
ベースの部分の安定があるからこそ、他の人にも優しくできるし、脅えずに、快適に過ごすことが出来る。
愛は直接的に目指すものではない。
だけど、もし物事の多くがうまく運ぶように感じられるなら、それはきっと「愛を感じている状態」なのだ。