マインドフルネスやってみた

瞑想と人生のレシピ作り

抵抗を感じる=習慣作りは成功

習慣作りがうまく行き始めているサインは「抵抗感が弱まること」だという。

 

私の経験では、習慣になる前の最初の兆しはやりたくないという抵抗が弱まることです

 

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これを逆から考えてみる。

「いま抵抗を感じる」ということは、つまり、習慣作りをすれば「だんだんとそれが弱まる」ということだ。

 

抵抗を感じることは、全く悪いことではない。

「いま抵抗を感じる」ということは、「習慣作りに必要なブロック」だ。

邪魔をするのではなく、ジャンプ台になってくれる。

 

抵抗は、良いものだ。

 

「抵抗を感じること」を、体内感覚で肯定できるようになれば、習慣作りはさらに加速することだろう。

 

 

たとえば具体的な話。

あなたが何か運動の習慣をつけたくて、エスカレーターではなくて階段を使うようにしようとする。

この習慣を作り始めたばかりの時は、階段を登ろうとするたびに、体の内部に抵抗を感じるだろう。

 

だけどあなたは「抵抗を感じる」=「習慣作りに成功」だと理解しているので、階段を上りながら、その抵抗感すらも楽しむことが出来る。

「抵抗」=「嫌なもの」ではなく、「抵抗」=「成功の証」ということを、思考ではなく、体で理解することが出来るのだ。

 

抵抗は、良いものだ。

 

階段を登り続けることで、抵抗はどんどん弱まっていき、最後には何も感じないレベルにまで変化する。

こうやってあなたは「習慣作り」というゲームが上手になっていく。

 

マインドフルネスの観察

マインドフルネスでおこなうことは、一貫している。

自分自身に起こる「体の反応」を観察して、それを「外部化」してやるのが基本だ。

 

「いま感じている抵抗は、永遠のものではない」

「いま感じている抵抗感は、変化し続ける」

「1週間前に感じた抵抗よりも、今日の抵抗は弱まっている」

「今日感じている抵抗よりも、1週間後の抵抗はもっと弱まるだろう」

「抵抗感は、自分自身ではない」

 

マインドフルネスは習慣作りに役立つ

本当にそう感じている。

マインドフルネスは自分の体や脳と、上手に遊ぶ方法だ。

 

習慣作りにおいて、自分の内部に発生する「抵抗」を認知して、外部的なものとして、客観的に扱ってやる。

たとえば「階段を登る前の感覚」「階段を登っている最中の感覚」「階段を登り終えた時の感覚」を、冷静に観察して、その変化を感じ取ってみる。

 

すると「階段を登ること」は、「階段を登る前」に思い描いていたほどには、恐くないことだとがよく理解できる。

 

でもマインドフルネスの手法を取らない場合、思考のノイズに邪魔されて、「恐くないこと」を「恐い」と思ったままかもしれない。

認知のエラーを発生させたままだと、習慣作りに障害が起こっても不思議はない。

 

 

 

 

感情予測のエラー

「感情予測のエラー」という言葉がある。

 

僕らというものは、未来の自分の感情を、正確に予測できない。

常にエラーを繰り返しているという話だ。

 

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 (良い習慣、悪い習慣―世界No.1の心理学ブロガーが明かすあなたの行動を変えるための方法)

先日乗った飛行機で、ティーンエージャーの団体と席が近くなった。見たところ、大半が飛行機は初めてらしい。離陸、眼下のアルプス、乱気流、着陸……すべてがドキドキする体験だ。救命具の説明にさえ興奮している。この若者たちに、将来はそんなもの何とも感じなくなるなんて想像できるだろうか? これが心理学者の言う「感情予測のエラー」である

 

ハーバード大学のダニエル・ギルバートらは、被験者にネガティブな事象をいくつも示し、それらが自分にどんな影響を及ぼすかを予測してもらった★9。恋人と別れる、子どもが死ぬ物語を読む、不採用通知を受け取る……。何度やっても同じ傾向が見られた。つまり、実際以上に悲しい気持ちになると予測したのである。ポジティブな出来事に対する反応を予測するときも、まったく同じエラーが起こる。昇進、新しい車、新しい恋人……どれもしばらくは人を幸福にするが、じきに慣れが訪れる。  物事の影響を過大評価し続け、その変化に適応し続けているのに、なぜ学習しないのか

 

この感情予測のエラーは、ものすごく小さなレベルでも繰り返されているということに、僕は最近気付いた。

 

たとえば、ずっと面倒くさいと思っていた部屋の片付けが、やり始めたら止まらなくなったり。

たとえば、一見入りづらいカフェに入った瞬間、その場所が気に入ってしまったり。

人は膨大な数の予測と、そしてエラーを繰り返している。

これが「感情予測のエラー」だ。

(と僕は理解した)

 

感情というに限らず、予想エラーというものは頻繁に起こっている。

たとえば「自分は影響は受けないだろうな」と思いながら読んだ本から、人生を変えるような影響を受けたり。

「子供だましだ」と思ったゲームをいざやってみたら、 熱を上げてはまってしまったり。

 

この「予測エラー」のロジックを理解することは、習慣作りや、自分の行動を決めること全般に役立ちそうだ。

 

小さな習慣

習慣作りの話をする。

 

たとえばの話。

「カラダを鍛えるために、腕立て伏せを習慣にしたい」と思っている時。

そして、実際にしてみようとする時。

 

僕の脳は「腕立て伏せは、苦しいだろうな」という予測をする。

体の中に「苦しそうだな」というリアルな感覚が生まれる。

 

だけどたとえば、少しだけ試しに、自分の状態を変えてみる。

試しに体を舌に折り曲げて、自分の足先を触ってみる。

その次に、腕立て伏せのポーズだけを取ってみる。

脳と体に対して「ほんの少しだけの変化」を与えてやる。

 

すると、1秒で「腕立て伏せに対する感情」は、さっきよりもプラスのものに変わってしまう。

「腕立て伏せはまったく恐くない」という体内感覚が生まれるのだ。 

すると次の瞬間、気づけば、もう腕立て伏せを始めている自分がいる。

 

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このように、僕らは自分たちの、次の1秒の感覚さえ、正確には予測できない。

予測がエラーを繰り返しているのに、それが正しいと思い込んでいるだけだ。

 

マインドフルネスと予測エラー

 

「予測エラー」を理解することは、マインドフルネスの実践に役立つ。

 

なぜなら予測は常に、未来に対しておこなわれる。

未来予測のせいで、現在から心が遊離することも多い。

 

だけど「予測はエラーを繰り返す」ということを理解していれば、未来を信用しすぎることを避けられる。

未来予測への依存を減らすことが出来るだろう。

それは「今現在」に生きるための強力な鍵だ。

 

予測は現実そのものではない。

それさえ体で理解できれば、僕らはもっと怖がらずに、思うような行動ができるはずだ。

予測の罠にはまらずに、自分の進みたい方向に進めるようになるだろう。

 

瞑想と予測エラー

 僕は瞑想中にも、予測エラーを発見する。

 

たとえば頭が「闘争モード」にあると感じた時、心を落ち着けるために瞑想をする。

その時「たった数十回の呼吸では、とても心は落ち着かないだろうな」という予測を立てる。

 

だけど30回も呼吸をするうちに、まったく脳や体の状態は変わってしまう。

闘争モードから平穏なモードへと、不思議とスイッチが切り替わる。

 

30回と言わず、10回、5回の呼吸でも、脳の状態は刻々と変わっていく。

こうやって予測エラーをダイナミックに体験できるのも、瞑想の特徴だ。

 

 

 

 

天国にインスタ映えする写真を送る

すごく綺麗な景色を見た時、僕らはスマホで写真を撮る。

何か変わったものを見つけた時、スマホで写真を撮る。

そしてソーシャルでシェアする。

まるでソーシャルに存在しないものは、世界に存在しないかのように。

 

だけどそれで、体験の扉が閉じられてしまってはもったいない。

薄められたスープを飲むのは美味しくない。

 

それよりも美しいのは、自分の感覚を通して、決して消えない世界に体験を送ることだ。

それを「天国」と呼んでも良いだろう。

(とても美しい経験は、天国の近くにあるように感じられるから)

 

ソーシャルよりも、自分の感覚を信用することは、美しい。

目の前で起きている現象を通して、世界にアクセスすることは美しい。

それはスマホを通して世界を見るよりもずっと大きな体験だ。

 

決して「スマホで写真を撮るな」とは思わない。

僕もスマホで写真を撮るのは好きだ。

だけど、それよりも大事なのは、体験の扉だということは覚えておきたい。

スマホが主役の場に踊り出てきてしまうのは、何か違う。

主役はあくまでも自分たちの、一瞬一瞬の感覚だ。

 

それに、いくらスマホで写真を撮っても、いつかは僕らの肉体も、スマホもインスタも消えてしまうのだ。

だけど僕らが「体験」に集中する時、それは永遠の世界に対して写真をアップロードしているのと同じだ。

 

もちろんこれは例え話だけど、僕はなんだかそんな感覚がした。

 

 

 

 

小さな部屋のドアを開ける ( 疲労困憊している時の瞑想 )

疲れ果てている時に瞑想をするのは難しい。

そもそも意志の力を使い果たしていたら、瞑想をしても逆に消耗してしまう。

 

だけど望みがないわけじゃない。

エネルギーをほとんど使い果たしていても、やり方によっては、瞑想で回復することが出来る。

 

コツは体の中に「小さな部屋」を見つけることだ。

 

普段エネルギーが余っている時は、体全体に意識を向けて「大きな瞑想」をしていると思う。

だけどエネルギーがすり減っている時は、体のほんの一部分だけに意識を向けて「小さな瞑想」をすると良いと思う。

 

たとえば、指先の細かな感覚、足先のほんの小さな感覚に、最小限の意識を向けてみる。

エネルギーをなるべく使わないように、ローリスク・ローリターンの瞑想をしてみる。

 

要するに、そうやって

 

消耗 > 回復

 

から

 

回復 > 消耗

 

の状態にしてやれば良いのだ。

 

これは繊細なコントロールは要求されるけれど、わずかずつでもプラスが続けば、だんだんと疲労から回復することも出来る。

 

瞑想にも「大きな瞑想」と「小さな瞑想」。

「オフェンス」と「ディフェンス」の違いがあるのだ。

 

ただし、これは瞑想の他に回復方法がない時の手段だと思っている。

 

たとえば街中で疲れ果てた時、だけど眠れる場所もない時に、僕は少しだけ腰を下ろして目を閉じてこの瞑想をしたりする。

場所はどこか座れる場所を見つけたり、カフェに入ったりして。

(もちろん、あぐらをかいたりはしない)

 

眠い時は眠るのが最善だし、腹が減ったら食事をすれば良い。

だけど精神が疲れ果てて仕方ない時、この「小さな部屋」の瞑想を知っていれば、大きな助けになるはずだ。

 

 

 

モチベーションを無視するマインドフルネス学習法 (つまり習慣術)

勉強をする時は、習慣化が一番重要だ。

他のことはどうでも良い。

まずは習慣作りだ。

 

これは80対20の法則だ。

20%の習慣作りが80%の効果を生むことになる。

 

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事の重要さでいうと「習慣化」が80%を占める。

具体的なやり方や、モチベーションなど、他の要素の影響度は20%に過ぎない。

 

勉強というのは、究極的には習慣作りの手法だ。

 

  • 勉強法 > 習慣作り (間違った理解)
  • 習慣作り > 勉強法 (正しい理解)

 

上手な「習慣化」さえしてしまえば、あとのものは、おまけで全部付いてくる。

 

習慣化が給与で、残りの要素はボーナスだ。

ちゃんとメインの仕事をこなしていれば、ボーナスは自動的にもらうことが出来る。

 

 

習慣を制するものは学習を制する。

20%の習慣作りにコミットして、80%の効果を上げよう。

 

モチベーションはギャンブル

 

何が一番学習のじゃまになるかというと、「モチベーションを上下する思考、そして情動」だ。

そして、モチベーションを基準にした学習の仕方は、勉強の障害ポイントになる。

 

「英語を勉強するにはモチベーションが必要だ」

「モチベーションが低い時は勉強をやめておこう」

「楽しく勉強をするためにモチベーションを高めよう」

 

こういった「モチベーション基準の価値観」が心理のベースに潜んでいると、なかなか学習がうまく進まないように思う。

だけど4回に1回は成功しているように見えるから、なおさらたちが悪い。

 

ギャンブルというものは、トータルでは負けると決まっているけれど、たまに勝つからやめられない。

これと同じで、モチベーション基準の学習方法は、4回に3回は負けるゲームみたいなものだ。

 

もしうは麻薬やお酒、スタミナドリンクのようなもので、飲めば飲むほどあとで副作用が出てくるようだ。 

 

僕の考える「マインドフルネスな学習法」は、自分の情動やモチベーションにまったく左右されず、たんたんと勉強を続け、習慣作りをしていくことだ。

 

 

マインドフルネスは学習に役立つ

マインドフルネスが学習に役立つのは、自分の思考や情動を受け流しやすくなるからだ。

僕は何か勉強をする時、特にモチベーションに関する情動は、なるべく無視したり、受け流すようにしている。

 

仮にそれがプラスのものであれ、マイナスのものであれ。

「モチベーション基準の思考」に決して力を与えず、コミットしないようにするのだ。

 

たとえば僕が英語の本を読んでいる時、

英語の学習そのものに対する「メタ的」な思考や情動が、次々に湧き上がってくる。

 

「今、以前よりも英語がスラスラと読めた気がした」

「今、英語の楽しさを感じている」

「こんな感覚でずっと英語に接することが出来たら、勉強はパラダイスかもしれない」

「だけどなんだか文字を読むのが疲れてきた」

「そもそも、こんなに簡単な本を読んでいたら、学習が進まないかもしれない」

「他の本に切り替えたほうが良いんじゃないだろうか」

「英語を勉強することに何の意味があるんだっけ」

「英語を勉強したら今後の人生に役立つんだろうな」

「そういえばずっと昔からダラダラとやってるけど、全然成果を出せていない」

「もっと英語を愛せれば、モチベーションをあげられるかもしれない」

 

だけどこういった情動全てに、コミットしない。力を与えないようにする。

そうではない。重要なのは「習慣作り」で、それだけが基礎だと理解しているから。

「今、英語の本を読んでいる」という時点で、たとえそれがどんな読み方であろうとも、習慣作りには100%成功していることになる。

 

情動は無視して良い。

モチベーションは学習に全く影響を与えない。

自分が力を与えなければ、力を持たない。

淡々と習慣だけを構築して、続けていくことだけが肝心だ。

 

これは普段からのフォーマルなトレーニングが役立つと思うが、慣れてくれば、勉強をしている最中でも自分の情動をキャッチして、受け流せるようになってくるだろう。

 

ところで、勉強の合間に100呼吸ぐらいの瞑想をおこなうのも、脳がリフレッシュしてかなりオススメだ。

小さな習慣

この偉大な本にすべてが書かれている。

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瞑想が続かない人、挫折してしまう人のための続ける習慣

瞑想は僕にとって、本当に素晴らしいものだ。

トレーニングを重ね得るほど、脳に経験が積み立てられて、毎日が楽しく、じわじわと輝きに満ちていく感覚がある。

 

けれど人によって瞑想が「肌に合う」「合わない」の違いはあるみたいだ。

 

たとえば僕が瞑想の話をすると「じっとしているのが苦手だから、絶対に無理」という人もいる。

興味はあって始めたは良いけれど、なかなか習慣づかないという人もいるだろう。

 

 

小さな習慣

物事を続けるというのは、ある意味「瞑想」というトピックからは外れる。

瞑想に限らず、新しい習慣を身につけるには、ちょっとしたコツが必要みたいだ。

 

習慣づくりに関しては「小さな習慣」という偉大な本がある。

 

- 馬鹿馬鹿しいほど小さな目標を作る

- 抵抗を感じる行動を、驚くほど小さなステップに分解する

- 絶対にモチベーションには頼らない

 

というようなことが述べられている。

これを瞑想の習慣にも適用してみると良いだろう。

 

 

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たとえば、

 

- 1日に1分、瞑想をすると決める

- それでもハードルが高く感じられるなら、1日に1回、1呼吸分だけ瞑想をする

- それでも難しく感じられるなら、1日に1回、座って目を閉じるだけで良い

- それでも難しく感じられるなら、1日に1回、瞑想のことを考えるだけで良い

 

どうだろう。

この目標は「馬鹿馬鹿しい」と思えただろうか。

もしそうなら、目標作りは大成功だ。

 

あとはタイミングのトリガーを作る。

「朝起きて、すぐにやる」

「風呂に入った後に、必ず座る」

「仕事の昼休みに会社のソファーで瞑想する」

など、自動的に実行されるようなトリガーを作ってやると効果的だろう。

(習慣作りの一番の敵は「やり忘れてしまうこと」だからだ)

 

ところでマインドフルネスの本「たった一呼吸から幸せになるマインドフルネス JOY オンデマンド」でも、

そのタイトルのとおり「1日1回だけ、マインドフルネスな呼吸をする」という習慣がオススメされている。

 

 

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マインドフルネスと習慣作りの相乗効果

ひとつ信じてほしいのは、マインドフルネスのトレーニングを積むと、そもそもの「習慣作り」もぐっと上手くなるということだ。

 

その理由は、

 

 

  • 客観性が増して、新しい習慣を定着させるまでの「否定的な思考」や「抵抗」を受け流しやすくなる
  • 自己洞察力が上がり、やりすぎることが少なくなる
  • ひとつの行為(たとえば瞑想)をおこなった後の満足感を、意図的に強く感じたり、増幅出来るようになる

 

 

というようなものだ。

 

瞑想のタイプを変えてみる

好きなことは続きやすい。

 

 

  • 座る瞑想(フォーマルな瞑想)
  • 歩きながらする瞑想
  • 寝ながらする瞑想
  • 音楽を聴きながら瞑想する
  • たとえば、綺麗な景色を眺めることも瞑想になる

 

どれか気に入るものをがないか、試してみると良いだろう。

 

トレーニングを始める時のポイントは、なるべく「自分が好きなもの」を選び「自分が心地良いと思う環境」を選ぶことだと思う。

瞑想に対してストイックなイメージがあるかもしれないけれど、それはイメージにすぎない。

 

たとえば僕の場合、カフェでコーヒーを飲みながら、音楽やざわめきに身を任せて、100回ほど呼吸の数をかぞえるのが好きだ。

こんな軽い瞑想なら、楽しみやすいんじゃないだろうか。

 

(ところでトレーニングを積むと、だんだんと、どんな場所でも瞑想がしやすくなってくる)

 

 

最後に

瞑想がどんなに素晴らしいものだとしても、これは決して義務じゃない。

自分に合わないと思ったら、瞑想はせず、他の方法でマインドフルネス(あるいは広義での幸福)に近づく方法は、確実に存在する。

(もちろん、マインドフルネスを手に入れなくても死にはしない)

 

たとえばアスリートも、集中力のゾーンに入った状態は、行動な瞑想状態とよく似ていると言う。

仕事でフロー状態に入っている時も、(ゾーン状態よりは軽い)瞑想的な状態にあると言えるだろう。

 

瞑想には本当にグレートな効果があるけれど、どうしても自分に合わないと思ったら、無理に続ける必要はないかもしれない。

 

 

「幸福度の50%は遺伝子で決まる」はデタラメだと思う

50%は遺伝子が。

10%は環境が。

残り40%は自分次第だ、という話。

 

僕個人は「自分次第」のパーセンテージはこれより遥かに高いんじゃないかと思っている。

(まあ、40%が自分次第というのは、充分に大きな数字かもしれないけれど)

 

なぜなら、「幸福度の50%は遺伝子で決まる」という話をスポーツでたとえるなら、

まったく運動の訓練をしていない母集団から統計を取って、

「運動神経の50%は遺伝子で決まる」

と主張するようなものじゃないだろうか。

 

この手の統計から広まった話は、誤った解釈というか、早とちりの風説も多いというイメージだ。

(僕自身も、早とちりの解釈に対して、早とちりの反論をしている可能性もある)

 

そもそも僕らのほとんどは、心の訓練、マインドフルネスのトレーニングを積んでいない。

だから「訓練されていない状態」での統計がどれぐらい役に立つのかは疑問だ。

それはあくまで現状の平均を示すものであって、限界を示すものではないはずだ。

 

(あとはそもそも「幸福度」というものが計測できるのかどうか、パーセンテージで割り切れるようなものなのか、という根本的な疑問もあるけれど)

 

たとえば運動が苦手な人も、適切な手順にのっとってトレーニングを積めば、上手になる。

幸福度が低い人であっても、適切な手順にのっとってトレーニングを積めば、幸福度を高めることが出来る。

これは「スタート地点がどこか」(運動が苦手か、得意か)ということにはほとんど関わらないはずだ。

 

(「やり抜く力 GRIT(グリット)」を読んでみよう)

 

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ということでマインドフルネスのトレーニングを続ける僕は、瞑想にもっと大きな期待を抱いている。