心のオーバーフロー
心がオーバーフローする瞬間を見つけることがある。
その瞬間はとても不快なもので、一瞬で心のエネルギーが失われる。
もともと思考というものは、コントロールを失いがちだ。
あれもこれも、過去にも未来にも、何百ものことを数秒で考えるようでは、とても、ひとつの心には収まりきらない。
たとえば僕なら、短い間隔でブログを書いたり、ウェブサイトをいくつも開いたり、本も片手に置いて、マルチタスクをしようとしている最中は、心はオーバーフローを起こしやすい。
心にはシングルタスクがとても似合っている。
「今への集中」には、美しいものがすべて含まれている。
美しいものは「ひとつの流れ」の「ひとかたまり」のものだ。
複雑なものが統一的に機能しているものだ。
もし美を味わいたいならば。
たとえば、アイスコーヒーとホットコーヒーを混ぜ合わすようなことがあってはならない。
たとえば、ディナーとデザートを1秒ごとに交互に食べるようなことがあってはならない。
心がオーバーフローした時は、マルチタスクからシングルタスクへと、何度でも盾戻そう。
オーバーフローした心はとても支配的だ。
だけど「溢れていること」にさえ気付ければ、それ以上溢れることは防げる。
目を閉じて呼吸が出来るなら、そうしてみよう。
信じよう。
心が家を見つける度に、そこに帰りやすくなると。
僕らは、帰り道を覚えてゆく。
「目の前のことに集中する」のではなく、「目の前に存在しないものに集中しない」という感覚が近いかもしれない。
気付いているだろうか。
目の前に究極の美があるのに、僕らはそれをついに、手に取らないままだ。