マインドフルネスやってみた

瞑想で人生のレシピ作り

心のオーバーフロー

心がオーバーフローする瞬間を見つけることがある。

その瞬間はとても不快なもので、一瞬で心のエネルギーが失われる。

 

もともと思考というものは、コントロールを失いがちだ。

あれもこれも、過去にも未来にも、何百ものことを数秒で考えるようでは、とても、ひとつの心には収まりきらない。

たとえば僕なら、短い間隔でブログを書いたり、ウェブサイトをいくつも開いたり、本も片手に置いて、マルチタスクをしようとしている最中は、心はオーバーフローを起こしやすい。

 

心にはシングルタスクがとても似合っている。

「今への集中」には、美しいものがすべて含まれている。

美しいものは「ひとつの流れ」の「ひとかたまり」のものだ。

複雑なものが統一的に機能しているものだ。

 

もし美を味わいたいならば。

たとえば、アイスコーヒーとホットコーヒーを混ぜ合わすようなことがあってはならない。

たとえば、ディナーとデザートを1秒ごとに交互に食べるようなことがあってはならない。

 

心がオーバーフローした時は、マルチタスクからシングルタスクへと、何度でも盾戻そう。

 

オーバーフローした心はとても支配的だ。

だけど「溢れていること」にさえ気付ければ、それ以上溢れることは防げる。

 

目を閉じて呼吸が出来るなら、そうしてみよう。

 

信じよう。

心が家を見つける度に、そこに帰りやすくなると。

僕らは、帰り道を覚えてゆく。

 

「目の前のことに集中する」のではなく、「目の前に存在しないものに集中しない」という感覚が近いかもしれない。

 

気付いているだろうか。

目の前に究極の美があるのに、僕らはそれをついに、手に取らないままだ。

 

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ミニマリズム + 習慣化

最近、ミニマリズムのおかげで「習慣化」がずいぶん上手く出来ているんじゃないかということを考えた。

普段は意識しないけれど、ミニマリズムも「影響の輪」の中では、かなり大きな存在なのかもしれない。

 

たとえば部屋の状態が片付いていれば「出かける前の習慣」は作りやすい。

 

夜眠る前に、部屋の状態をシンプルに整えておく。

あるべきものはあるべき場所に置かれている。

すると、朝起きても雑然とした物事に心をとらわれることはない。

毎日、自分の決めたルールを忠実に実行できる。

 

これがもし部屋や日常が散らかった状態であれば、

「あっ」といって、習慣を忘れてしまいそうだ。

 

ミニマリズムは自分の行動を変えるための、整えられたベースみたいなもので、この効き目が後からジワジワ出て来るような気がした。

 

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1日の時間を2倍にする30分昼寝の効果

いくつかの本に書かれている通り、30分ほどの昼寝には素晴らしい効果があるようだ。

まるで朝起きたばかりのエネルギー状態が体に戻って、全く新しい1日をスタート出来る感覚。

昼寝の効果を最近、以前にも増して実感している。

 

睡眠はまだ解明されていない部分がものすごく多いらしいが、眠り方によって睡眠の質は千差万別に変わるというのは、本当なのだろう。

僕らは現段階では、科学的研究の成果を待たずに、自分たちで試行錯誤して、自分にとってベストな「睡眠法」を編み出す必要がある。

 

ところで昼寝が有効に機能するには、前提条件があるように思う。

 

あくまで個人的な感覚だが、それは

 

  • 夜にちゃんと良質な睡眠が取れていること。
  • 睡眠負債を返済し終わっていること。
  • 絶妙なタイミングで昼寝をとること。

 

というようなことじゃないだろうか。

 

僕の場合、今まで休日に昼寝をとると、30分のつもりが数時間は眠ってしまって、逆に睡眠のリズムを崩してしまうことが多かった。

昼寝は非常に危険な賭けだった。

たぶん夜の睡眠の質も低く、睡眠負債がたまった状態だったんじゃないだろうか。

 

睡眠の改善のために昼寝を取るのに、そもそも大前提として、良い睡眠を取っている必要があるなんて。

もしこれが本当だとしたら、なかなか難しい話だ。

だが逆に言うと、良質な睡眠さえ取れていれば、昼寝は本当に有効に機能してくれるということになる。

 

人生はいちどしかない。

人生の時間を伸ばすには、睡眠を削るのではなくて、むしろ睡眠の機会を増やすことだ。

そう思わせるぐらい、良い昼寝をとった時の「エネルギーの高まり」には素晴らしいものがある。

 

体の中で消えていた火が、また灯される感じ。

瞑想をしても、エネルギーの高まりと、神性な幸福感を感じられる。

読書をしても、すべての言葉がスムーズに頭に入ってくる。

 

夜の睡眠が技術なら、昼寝も技術であることに疑いはないだろう。

 

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提案

  • 昼寝は「寝過ごす危険」がない時に取る
  • 昼寝の効果を最大限に高めるために、日頃から、夜に良質な睡眠をとっておく
  • 昼寝の時間は30分程度を目安とする
  • カフェで座りながら、呼吸の数をカウントするなど、目を閉じてゆっくりするだけでも昼寝に近い効果がある

 

 

 

心のブラックボックス 〜機能する時、機能しない時〜

ひとつの瞑想が機能する時と、機能しない時がある。

読書が機能するときと、機能しない時がある。

ネットサーフィンが機能する時と、機能しない時がある。

ブログを書くことが機能する時と、機能しない時がある。

カフェでコーヒーを飲むことが機能する時と、機能しない時がある。

自然の中を歩くことが機能する時と、機能しない時がある。

オンラインゲームをやるのが機能する時と、機能しない時がある。

運動が機能する時と、機能しない時がある。

ステレオで音楽を聴くのが機能する時と、機能しない時がある。

映画を観ることが機能する時と、機能しない時がある。

睡眠が機能する時と、機能しない時がある。

愛が機能する時と、機能しない時がある。

 

このように人間の状態というのは、ブラックボックスが存在している。

新しい研究によると、心理学的にも、人間の状態には謎に持ちたブラックボックスが存在しているらしい。

 

この何年か、何百もの調査研究を経て、無意識に対する新しい見方が登場してきた。フロイトの理論と真っ向から対立する見解である。フロイトは、考古学の地層を掘り進めば、思考や行動の真の理由にたどり着けると考えた。現代の多くの心理学者はそうは考えない。  無意識の中心部は地層というよりも地核のようなものである。「心の地震」や「思考の噴火」みたいなかたちで結果は伝わるが、実際の原因は謎に満ちている。だから、私たちの感情や態度、決定は、意識的な自己にわかる明快な理由もなく変動し、混乱をもたらすことが往々にしてある

 

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 ( 良い習慣、悪い習慣―世界No.1の心理学ブロガーが明かすあなたの行動を変えるための方法 )

 

「昨日は機能したから、今日も機能するだろう」というのは思い込みだ。

ましてや「機能していないのに、機能していると思いこむこと」は不幸の始まりだ。

 

有効に働く瞑想をしよう

 

瞑想にも多くの種類が存在する。

それは「身心のあり方」のバリエーションの分だけ、それに対する働きかけも存在するからだ。

 

つまり、無限の組み合わせが作り出せる。

運動でも、練習には無限のバリエーションが付けられるように。

料理でも、材料や調理法の組み合わせ次第で、無限のメニューが出来るように。

 

僕らが瞑想をする時は「今、有効に機能するもの」を選ぶと良いだろう。

 

たとえば、「集中する感覚」が「有効に機能する」ならば、そうする。(アンカリング)

たとえば、「脳や体を休める感覚」が「有効に機能する」ならば、そうする。(レスティング)

 

たとえば、「ただ存在する感覚」が「有効に機能する」ならば、そうする。(ビーイング)

 

「昨日はうまくいった方法」も「今日は何か違う」かもしれない。

「あれ、何か違うな」と思ったら、それは自分のブラックボックスの中で、何か地殻変動があったのかもしれない。

 

瞑想が一種類でないということは、僕らの多いな助けとなる。

 

 

 

 

 

 

 

人間らしい1日を過ごすために

目覚めた時。

 

1日の始まりに、エネルギーが溢れている。

たとえば体のどこかに火があるとしたら、それが優しく燃えている状態。

心の中に星があるとしたら、それが輝いている状態だ。

 

30分間の瞑想をしても、まったく苦にならない。

1時間、2時間と続けられそうな気がする。

たくさんの文章を書きたくなるし、たくさんの本を読みたくなる。

冷たい空気の中を歩くのも心地良く、朝のカフェで飲むコーヒーは美味しい。

「毎日、こんな気分で目覚められたら良いのに」と思う。

 

人間が生きるということは、こういうことだ。

そして普段、生きることの美しさを、完全に忘れてしまっているのが、僕ら人間だ。

 

こんな素晴らしい朝は、今までの人生で、ほんのたまに、偶然に訪れてはすぐに消えていった。

だけどそれは単なる偶然じゃない。きっと、多くの前提条件が揃った。そのタイミングが、偶然に訪れたというだけの話だ。

つまり、多くの前提条件さえ揃えることができれば、偶然に頼らずに、当たり前のように、人間らしい1日を過ごすことが出来るはず。

 

たとえば、良質な睡眠を取ること。

そのために、戦略を練って睡眠計画を立てること。

日頃から睡眠負債を減らしておくこと。

休日でも平日と同じ時間に起きること。

瞑想の時間を長めに取ること。

なるべく多い回数、瞑想の時間を作ること。

ミニマリズムを実践して、多くの物事がシンプルな状態にあること。

思い煩わされることが少ないこと。

適切な習慣作りをして、雑然とした選択肢を減らしていること。

難易度が適切な運動をすること。階段を登ったり、歩く習慣を身につけること。

自然の近くを歩くこと。美しい景色に見とれること。

読書をして間違った世界観から抜け出していること。

読書をして適切な人間像を描くこと。幸福そのものに対する理解があること。

行きつけのカフェがあること。カフェで注文する時、店員さんの笑顔に癒やされること。

カフェでの注文が決まっていること。自分が今「何を飲みたいか」ということを、知っていること。

 

ここで書いたのはほんの一例で、本当はもっと多くの土台作りがあり、土台作りのための土台作りがある。

1つの物事が機能するためには、他多くの物事が機能している必要がある。

たとえば「良質な睡眠をとる」ということだけでも、他の多くの「機能」によって成り立っている。

だけど逆に、1つの物事が機能するということは、他の物事も機能し始めるということでもある。

 

ものすごく多くの物事が組み合わさって、特定の1日が訪れる。

人生の中で、すごく貴重なはずの1日。

そしてその始まりと、途中と、終わり。

 

昨日よりも少しでも美しい、意義のある1日を過ごせるならば。

人生の美しさに感謝を抱けるならば。

僕はどんなことをしても良いし、どんな勉強だってしたいと思う。

 

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自然を眺めると癒やされる理由

気のせいじゃなく、本当に自然は人間の脳に優しいパターンを描いているらしい。

 

僕も街を歩いている時、自然の多い散歩道に差し掛かった途端、本当に頭が癒やされるのを感じる。

自然が少ない場所でも、道の脇に生えている樹木を見つめるだけでも、癒やしが起こる気がする。

まったく自然がない場所でも、遠くのビルを見つめたり、空を眺めたりすると、心が癒やされる。

 

 

視覚情報は僕らの想像以上に、脳に影響を与えているみたいだ。

 

道を歩く時や、休憩する時は、意識的に「脳が癒される景色」を探してみよう。

「この方向を見ると癒やされる」とか「この景色の前では落ち着かない」という違いを感じてみよう。

 

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クールダウンの時間予測

たとえば、心を落ち着かせるために瞑想をする時。

 

何分ぐらいで心が落ち着くだろう? と予測を立ててみる。

もしくは、何回の呼吸で心が落ち着くだろう? と予測を立てる。

そして、その回数まで呼吸をカウントしてみる。

 

「読書でエネルギーを消費したと思うから、30回呼吸を数えてみよう」

「今はかなり脳のタービンが回っているから、落ち着くまで呼吸60回は必要だろうな」

 

なんていう風に、目を閉じて瞑想をしてみる。

僕の実感では、呼吸を30回もカウントすると、まるで気分が変わってしまう。

 

こうやって予測してみるメリットは、二個ある。 

 

ひとつは、予測を立てることで、最初から余裕を待てること。

もうひとつは、自分の変化を観察しやすくなることだ。

 

脳の追求スイッチが入っている時、その感覚は支配的だ。 

それが、あくまで一時的な状態だと認識しづらい。

袋小路から抜け出すには、理性で考えて対策を取る必要がある。

なぜなら、既に感覚は支配されている状態だからだ。

 

だから理性で予測を立てて、感覚が変わるかどうかを実験してみる。

予測を立てるということは、理性と感覚が手をつないで、協力し合うための方法だ。