未来予測のエラー率を予測する
僕らの未来予測は外れがちだ。
だが、僕らはかたくなにその事実を否定する。
いつでも直感的に、未来予測は当たると思い込んでいる。
僕らは、膨大なエラーが発生していることにほとんど気付いていない。
たとえば連休の最後の日に、週明けの仕事のことを考えると、憂鬱になるとする。
だけどいざ職場に到着してしまえば、憂鬱さを感じていたのが嘘みたいに、陽気に仕事を進めていたりする。
たとえば「何の影響も受けないだろうな」と思いながら、暇つぶしで読んだ本が、人生を変えてしまったりする。
人間の予測というものは、とにかくアテにならない。
少なくとも、僕らが思っているよりもずっとエラー率が高い。
予測は必要? 不必要?
だけど人間は予測する生き物だ。
だから、予測を全くやめてしまうというわけにはいかない。
じゃあ、どうすれば良いんだろう。
そこで僕は「未来予測」をおこなうと同時に、
「未来予測のエラー率も予測する」ということを思いついた。
たとえば「Aをしたら、Bのような気分になるだろうな」という予測Cを立てる。
次に「この予測Cが当たる確率は、40%ぐらいだろうな」と、予測自体が当たる確率を予測する。
そうすると、自分が立てた予測が、どれぐらい「予測の罠」にはまりやすいものかを、より客観的に理解することが出来るだろう。
当たりやすい予測、当たりにくい予測
僕らがおこなう予測には、種類によって、当たりやすいものと、当たりにくいものがある。
たとえば「仕事終わりに、毎日通っている行きつけのカフェに行って、いつものコーヒーを飲みながら、好きな作家の小説を読むと、どんな気分になるか」という予測は比較的、当たりやすいだろう。
シチュエーションが似ていればいるほど、予測は当たりやすい。
だけどアテにならない予測もある。
たとえば日曜日の昼に、全く行ったことのないカフェに行くと、どんな気分になるだろう。
僕らの脳は、ほとんど未経験の事柄に対しても、最大限の精度を上げようと、あれこれと思い悩みながら予測を立てる。
いや、未経験も物事だからこそ、多くのエネルギーを使って予測する。
だけど実際には、大きなエネルギーを使って、ごくわずかな利益を手にしているにすぎない。
たとえば、新しい習慣づくりをする時
「エレベーターじゃなくて階段を登ったら、このぐらいの苦しさがあるんだろうな」と予測を立てて、体は身構える。
階段に近づけば近づくほど、肉体の緊張感は高まる。
だけどいざ階段を登っている瞬間は、予測よりも苦しくない。
むしろ心地良さを感じるぐらいだったりする。
この時、自分の感覚に注意を向けていれば、いかに自分が「エラー率の高い予測をしていた」かということを、肉体レベルで体感できる。
この「エラーの発見」を何度も経験するのは「ありもしない未来」から脱出する手段だ。
ジョイ・オン・デマンド VS アクセプタンス (脳の友達作り)
マインドフルネスのトレーニングは、大きく二種類に分けて、
- プラスを増幅する方法
- マイナスを受容する方法
が存在すると思う。
このどちらを選ぶべきなのだろうか?
友達と飲みに行く
たとえば自分の感覚の中で、プラスのものに注意を向けて、それを増幅するのは、既に親しい友人と飲みに行くようなものだ。
既に親しい友だちとも、酒を酌み交わせば、さらに仲良くなることが出来る。
逆に、マイナスのものを受容するのは、新しい友達を作るようなものだ。
まず、相手のことを理解することから始める。
たとえ自分が苦手なタイプの相手でも、よく話せば、何か理解できる部分があるかもしれない。
運が良ければ仲良くなることも出来るかもしれない。
片方は、既に存在する脳のシナプスの通り道を、さらに広げて強化しようとする。
もう片方は、脳のシナプスに、新しい通り道を作ってあげる行為だ。
目的は同じ
トレーニングをする時は、プラスを増幅するか、マイナスを受容するか、どちらを選ぶか迷うかもしれない。
だけど実は、この二つは矛盾するものではない。
どちらも目的は「良い人間関係を作ること」だからだ。
つまり、自分の脳と上手に関係できるようになるのが目的だ。
マインドフルネスと弓矢の話 〜なぜ瞑想では観察が重要なのか?〜
それは
「見えていない的には、絶対に当たらない」
からだ。
僕らは「的が見えている」と思い込んでいる。
だけど実は認知的には目を塞がれている。
だから多くの弓矢を引いても、ほとんど当たらない。
常にエラーを繰り返している。
なおかつ、たちが悪いことに、僕らはそもそも目を塞がれているので、矢が当たっていなことにさえ気付いていない。
もしくは、弓を引いていることにさえ気付いていないかもしれない。
マインドフルネスのトレーニング、特に自己観察のトレーニングは、まず的を「見える状態」にする。
認知能力を高めて、目を良くするための訓練だ。
「観察」の替わりの言葉が欲しい
ただ「観察」というと、なんだかよく分からないイメージがある。
僕も瞑想を始めたばかりの頃は、「なんでそんなものが重要なんだろう」と不思議だった。
観察というと、なんだか傍観者というか、非力で消極的な印象があった。
これはそもそも言葉の付け方が悪いのかもしれない。
観察に「付随」して起こる、様々な現象を言い表せていないからだ。
なのでこれは、
「認知能力の向上トレーニング」とか、
「感覚のモニタリング、フィードバック訓練」とか言ったほうが、事実を正しく表しているのかもしれない。
ネーミングセンス
物事の名前というのは、例えようもなく重要だ。
僕らは名前を通して世界を理解しているのだから。
今後のマインドフルネスの世界で、もっと適切で、影響力の高いネーミングがおこなわれますように!
習慣は水のようなもの (「習慣の力」より)
「習慣の力」を読んでから、僕は「水」の存在を意識するようになった。
そして、習慣が自分を動かしている現場を、多く目撃している。
作家のデイヴィッド・フォスター・ウォレスは、卒業を控えた学生たちに向かって、かつてこんな話をした。「2匹の若い魚が泳いでいると、反対から泳いでくる年上の魚に出会った。年上の魚は『やあ、君たち、きょうの水はどうだい?』と尋ねた。若い2匹の魚はしばらくまた泳いでいたが、やがて1匹がもう1匹を見てこう言った。『水ってなんだろうな?』」 この話の〝水〟とは習慣やパターンであり、毎日行っている、無意識の選択や目に見えない決心のことだ。それは見つけようとすれば、また見えるようになる
偉大な本を読むたびに、自分がいかに、人間というものを理解していなかったかに気付く。
マインドフルネスと、科学に基づいた本を読むことの共通点は、どちらも「認知エラー」を正してくれるということだ。
シンプルな状態作り > シンプルな行為 (シンプル・ルール)
最近僕は、日々の行動の優先度として「シンプルな選択」をすることを心がけている。
だけど一口にシンプルさと言っても、色々な理解ができる。
「選択Aと選択B、どちらがシンプルなのか?」と迷う時がある。(実例は後述する)
僕はシンプルさには、二種類のものがあると思っている。
「シンプルな行為」と「シンプルな状態作り」だ。
この両者が争わないこともあれば、矛盾しているときもある。
なので、この二つのどちらを選ぶか迷った時は、僕は後者の「シンプルな状態作り」を優先することにしている。
部屋の片付けの例
たとえば、部屋の片付けをする時のことを考えてみよう。
片付けるという行為は、けっこう複雑な行為だ。
一時的に部屋は散らかるし、様々な要素を考える必要がある。
だけどそれはすべて、最後には「シンプルな部屋」を作るためにある。
手順は複雑だが、目的はシンプルさの実現だ。
逆に「部屋を片付けずに、靴下を床に投げ捨てる」というようなことは、行為としてはすごく楽かもしれないが、シンプルさとは真逆の、複雑な状態を作っていることになる。
他の例
- 街中で缶コーヒーを飲み終わった時、ちょっとだけ遠くの場所にあるゴミ箱まで行くか、このまま空き缶を持ち続けるかで迷ったら、前者を選ぶ
- 自宅のゴミ箱の中身が溢れてきた時、
- 寄る家に帰った時、髭を今剃るか、明日の朝剃るかで迷ったら、今夜のうちに剃る
こうやって日常的に「シンプルな状態作り」を心がけるようになってから、生活がぐんと楽になってきた気がする。
これは最初に投資して、あとで回収する方法だ。
つまり、最初の投資を惜しまなければ惜しまないほど、あとで「シンプルさのお金持ち」になることが出来る。
なぜなら、シンプルな状態をまず作っておけば、対処の必要がある物事が一つ減り、その後の選択もシンプルにすることが出来るからだ。
(「選択肢を減らす選択」は素晴らしい)
抵抗を感じる=習慣作りは成功
習慣作りがうまく行き始めているサインは「抵抗感が弱まること」だという。
私の経験では、習慣になる前の最初の兆しはやりたくないという抵抗が弱まることです
これを逆から考えてみる。
「いま抵抗を感じる」ということは、つまり、習慣作りをすれば「だんだんとそれが弱まる」ということだ。
抵抗を感じることは、全く悪いことではない。
「いま抵抗を感じる」ということは、「習慣作りに必要なブロック」だ。
邪魔をするのではなく、ジャンプ台になってくれる。
抵抗は、良いものだ。
「抵抗を感じること」を、体内感覚で肯定できるようになれば、習慣作りはさらに加速することだろう。
たとえば具体的な話。
あなたが何か運動の習慣をつけたくて、エスカレーターではなくて階段を使うようにしようとする。
この習慣を作り始めたばかりの時は、階段を登ろうとするたびに、体の内部に抵抗を感じるだろう。
だけどあなたは「抵抗を感じる」=「習慣作りに成功」だと理解しているので、階段を上りながら、その抵抗感すらも楽しむことが出来る。
「抵抗」=「嫌なもの」ではなく、「抵抗」=「成功の証」ということを、思考ではなく、体で理解することが出来るのだ。
抵抗は、良いものだ。
階段を登り続けることで、抵抗はどんどん弱まっていき、最後には何も感じないレベルにまで変化する。
こうやってあなたは「習慣作り」というゲームが上手になっていく。
マインドフルネスの観察
マインドフルネスでおこなうことは、一貫している。
自分自身に起こる「体の反応」を観察して、それを「外部化」してやるのが基本だ。
「いま感じている抵抗は、永遠のものではない」
「いま感じている抵抗感は、変化し続ける」
「1週間前に感じた抵抗よりも、今日の抵抗は弱まっている」
「今日感じている抵抗よりも、1週間後の抵抗はもっと弱まるだろう」
「抵抗感は、自分自身ではない」
マインドフルネスは習慣作りに役立つ
本当にそう感じている。
マインドフルネスは自分の体や脳と、上手に遊ぶ方法だ。
習慣作りにおいて、自分の内部に発生する「抵抗」を認知して、外部的なものとして、客観的に扱ってやる。
たとえば「階段を登る前の感覚」「階段を登っている最中の感覚」「階段を登り終えた時の感覚」を、冷静に観察して、その変化を感じ取ってみる。
すると「階段を登ること」は、「階段を登る前」に思い描いていたほどには、恐くないことだとがよく理解できる。
でもマインドフルネスの手法を取らない場合、思考のノイズに邪魔されて、「恐くないこと」を「恐い」と思ったままかもしれない。
認知のエラーを発生させたままだと、習慣作りに障害が起こっても不思議はない。
感情予測のエラー
「感情予測のエラー」という言葉がある。
僕らというものは、未来の自分の感情を、正確に予測できない。
常にエラーを繰り返しているという話だ。
(良い習慣、悪い習慣―世界No.1の心理学ブロガーが明かすあなたの行動を変えるための方法)
先日乗った飛行機で、ティーンエージャーの団体と席が近くなった。見たところ、大半が飛行機は初めてらしい。離陸、眼下のアルプス、乱気流、着陸……すべてがドキドキする体験だ。救命具の説明にさえ興奮している。この若者たちに、将来はそんなもの何とも感じなくなるなんて想像できるだろうか? これが心理学者の言う「感情予測のエラー」である
ハーバード大学のダニエル・ギルバートらは、被験者にネガティブな事象をいくつも示し、それらが自分にどんな影響を及ぼすかを予測してもらった★9。恋人と別れる、子どもが死ぬ物語を読む、不採用通知を受け取る……。何度やっても同じ傾向が見られた。つまり、実際以上に悲しい気持ちになると予測したのである。ポジティブな出来事に対する反応を予測するときも、まったく同じエラーが起こる。昇進、新しい車、新しい恋人……どれもしばらくは人を幸福にするが、じきに慣れが訪れる。 物事の影響を過大評価し続け、その変化に適応し続けているのに、なぜ学習しないのか
この感情予測のエラーは、ものすごく小さなレベルでも繰り返されているということに、僕は最近気付いた。
たとえば、ずっと面倒くさいと思っていた部屋の片付けが、やり始めたら止まらなくなったり。
たとえば、一見入りづらいカフェに入った瞬間、その場所が気に入ってしまったり。
人は膨大な数の予測と、そしてエラーを繰り返している。
これが「感情予測のエラー」だ。
(と僕は理解した)
感情というに限らず、予想エラーというものは頻繁に起こっている。
たとえば「自分は影響は受けないだろうな」と思いながら読んだ本から、人生を変えるような影響を受けたり。
「子供だましだ」と思ったゲームをいざやってみたら、 熱を上げてはまってしまったり。
この「予測エラー」のロジックを理解することは、習慣作りや、自分の行動を決めること全般に役立ちそうだ。
小さな習慣
習慣作りの話をする。
たとえばの話。
「カラダを鍛えるために、腕立て伏せを習慣にしたい」と思っている時。
そして、実際にしてみようとする時。
僕の脳は「腕立て伏せは、苦しいだろうな」という予測をする。
体の中に「苦しそうだな」というリアルな感覚が生まれる。
だけどたとえば、少しだけ試しに、自分の状態を変えてみる。
試しに体を舌に折り曲げて、自分の足先を触ってみる。
その次に、腕立て伏せのポーズだけを取ってみる。
脳と体に対して「ほんの少しだけの変化」を与えてやる。
すると、1秒で「腕立て伏せに対する感情」は、さっきよりもプラスのものに変わってしまう。
「腕立て伏せはまったく恐くない」という体内感覚が生まれるのだ。
すると次の瞬間、気づけば、もう腕立て伏せを始めている自分がいる。
このように、僕らは自分たちの、次の1秒の感覚さえ、正確には予測できない。
予測がエラーを繰り返しているのに、それが正しいと思い込んでいるだけだ。
マインドフルネスと予測エラー
「予測エラー」を理解することは、マインドフルネスの実践に役立つ。
なぜなら予測は常に、未来に対しておこなわれる。
未来予測のせいで、現在から心が遊離することも多い。
だけど「予測はエラーを繰り返す」ということを理解していれば、未来を信用しすぎることを避けられる。
未来予測への依存を減らすことが出来るだろう。
それは「今現在」に生きるための強力な鍵だ。
予測は現実そのものではない。
それさえ体で理解できれば、僕らはもっと怖がらずに、思うような行動ができるはずだ。
予測の罠にはまらずに、自分の進みたい方向に進めるようになるだろう。
瞑想と予測エラー
僕は瞑想中にも、予測エラーを発見する。
たとえば頭が「闘争モード」にあると感じた時、心を落ち着けるために瞑想をする。
その時「たった数十回の呼吸では、とても心は落ち着かないだろうな」という予測を立てる。
だけど30回も呼吸をするうちに、まったく脳や体の状態は変わってしまう。
闘争モードから平穏なモードへと、不思議とスイッチが切り替わる。
30回と言わず、10回、5回の呼吸でも、脳の状態は刻々と変わっていく。
こうやって予測エラーをダイナミックに体験できるのも、瞑想の特徴だ。