マインドフルネスやってみた

瞑想で人生のレシピ作り

なぜ運動が続く人と、続かない人がいるのか? 〜運動が好きになるためのコツ〜

なぜ運動が続く人と、続かない人がいるんだろう?

 

それはたぶん「運動を気持ち良く感じるか」「辛いと感じるか」の違いなんだろうと、薄々思っていた。

だけど具体的に、どうやって自分が「運動への感じ方を変えられるか」は、最近まで分からなかった。

消費と回復


運動というのは、エネルギーの消費と回復を、同時におこなうものだと思う。

 

 

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なので「気持ち良さ」(回復がおこなわれている実感)に注意を向けることも出来るし、

 

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「辛さ」(エネルギーが消費されている実感)だけに注意を向けることも出来ると思う。

 

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まったく同じ運動をしているようでも、この「注意の向け方」によって、まったく違う感覚が起こる。

 

運動が心地良いと、楽しくなる。
だから「運動の心地良さに注意する癖」がつけると、継続にものすごくプラスになる。

 

これはシンプルな原理だと思う。

適切な難易度調整をしよう

もうひとつのコツは「難易度の調整」だ。
運動を楽しく感じられるかどうかは、第二に、この難易度調整のうまさにかかっていると思う。 


「この難易度なら、運動が楽しい」っていうレベルを、うまく見つける感覚。

この感覚を磨いていくと、知らず知らずにレベルを上げすぎてしまったり、下げすぎる危険を減らすことが出来る。

 

 そもそも「難易度調整」という理解がないと、
運動というものを「寝ているか」「重いバーベルを持ち上げるか」ぐらいの、二段階ぐらいにイメージしているかもしれない。

 

「やるか」「やらないか」。
「ゼロ」か「100%か」。

これだと、運動のハードルは限りなく高い。

 

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だけど実は、運動の難易度は、ものすごく細かいレベルにまで分けることが出来る。

10段階にも、100段階にも。無限の段階にも。

 

そしてこの「難易度の最適ゾーン」というのは、わりと薄い層にあると思う。

 

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だからかなり注意を払って
「このレベルが、一番心地良く感じる」
というゾーンを見つけてあげる必要がある。

 

そして、この「難易度を見つける技術」「最適ゾーンを見つける能力」も、注意すればするほど上がっていくし、同時に自己洞察力も上がっていく。

 

この「難易度調整スキル」は運動を続けるための、大きな武器だ。

 

なぜなら、いかに「運動を心地良く感じよう」と意識していても、
そもそも運動の難易度が高すぎると、オーバーヒートしてしまうから。

 

この「難易度の調整」は、注意を払っても払い過ぎということはない、重要な技術だと思う。

 

ウォーキングの難易度調整

なので運動をする時は、自分の体に聞いてみて、適切な難易度調整をしてみよう。

 

たとえばウォーキングひとつでも、ちょっとした工夫で、自由に難易度は調整できる。

 

「遅めに歩く」
「普通のスピードで歩く」
「ちょっと速めに歩く」
「速めに歩いて、なおかつ、体全体を使う」

 

とか。 

体の起動させるイメージ

他にも、最初は難易度の低い運動から初めて、体を「起動」させていく。

そして、少しずつ快適ゾーンを広げていって、運動の難易度も上げていくと、うまくいきやすい気がする。

 

 

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個人的な話

ちなみに僕の場合、10年以上、ほとんど運動をしていなかったので、
まだジョギングさえもハードルが高く感じている。

 

実を言うと、うまい歩き方さえ忘れていたような状態だ。

 

 

 

だけど最近では、歩き方を工夫できることに気付き、難易度を調整して「心地良い歩き方」を心がけている。

 

僕にとって、今までは最短距離で、なるべくエネルギーを消費せず目的地に辿りつくことが「歩くこと」の意味だった。

だけど今では、目的地付近に到着しても「もっと歩きたい」という衝動が沸くようになった。

 

そしてだんだんと、歩くだけでは物足りなくなり、階段を登るのが楽しくなってきた。

 

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だけど、いきなりここから「定期的なジョギング」などに手を出したりしない。

なぜなら、それがまだ僕にとって、最適なゾーンではないことを理解しているから。
いきなり難易度を上げたりせず、適切なゾーンの中で、調整をおこなっていく。

 

(ただ、このウォーキングの習慣だけで、期待する運動効果の50%ぐらいは満たされている気がするけど)

行動のハードルを低くする

あとは、行動のハードルも極限まで低くできるように、日常の行動に取り入れていくのが良いと思う。

 

オススメなのはなんと言っても「ウォーキング」だ。
なぜなら僕らが普段、出勤や通学などで自然におこなうことだから。

 

「歩くなんて、いつもやってるよ」と思うかもしれないけれど、
前述のとおり、歩き方を工夫するだけで、運動の難易度は自由に上げ下げ出来る。

 

この「歩き方を工夫できる」という発想だけで、かなり運動に対する世界観が変わると思う。
(少なくとも僕にとっては、大きな衝撃だった)

 

 

その他のコツ

他には

 

  • 「(自分の場合)歩く時の足裏の感覚が心地良いので、それに注意を向ける」
  • 「運動の効果は、運動中ではなく、運動後に起こると理解しておく」
  • 「運動した後、体の圧力の変化や、プラスの変化を感じてみる」
  • 「より意識的に階段を登る」

 

などなど。

 

「運動を心地良く感じる」という大きな基本が崩れない限り、自分で発見していけることはたくさんあると思う。

 

こんなことを自分で考えながら、久しぶりにこの本を読んだら、ものすごく納得できる部分が多くて、あながち自分の理解も間違っていないのだと思えた。

以前に読んだ時は「運動嫌い」だったので、ここに書いてあることが、実感として理解できなかったのだ。

 

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まとめ

 

「運動を心地良く感じる習慣」

「適切な難易度調整の方法」

 

これさえ身につけば、大きな快適さを感じながら、運動の恩恵に預かることが出来る。

まさにマジックだと思うし、このマジックを、途絶えさすことなく続けて行けるはずだ。

 

幸福感の育て方 〜最初は赤ん坊のように〜

人間のあらゆる感覚の中で、幸福感ほど繊細なものはないと覆う。

 

だけど、そもそも「幸福の本質」が「繊細で、気恥ずかしがり屋」なのだとすれば、

僕らはいつまでも「安定した、大きな幸福感」にはアクセスできないんじゃないだろうか。

 

もし幸福の本質が繊細なら、不幸に対しての武器にはならない。

「最高の環境」で「最小の幸福感」だけを得られても、環境の変化に弱くては、再現性がない。

 

僕もたまに「あ、これが幸福感だ」というものを見つけるけど、

それはあまりに微妙なもので、すぐに消えてしまう。

 

なんだか幸福というものは「すごく脆弱なもの」「安定度の低いもの」のように思える。

 

 

 

 

 

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これには二段階の理解をすることが出来ると思う。

幸福感は、見つけたばかりの頃は「赤ん坊」みたいなもの。

 

生まれたての赤ん坊は、とても繊細で、弱い。

だから、僕らが守って、育ててあげなければいけない。

 

だけどすくすくと育てば、強くなるし、多少のことではビクともしなくなる。

 

 

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順調に育てていけば、やがては太陽のように、強いエネルギーを持った、安定した幸福感を得られるようになるかもしれない。

 

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この理解では

「最初は、繊細で弱いもの」

「育てて、大きく出来るもの」

ということが両立する。

 

大事なキーワードは「育てる」だ。

 

これは幸福感に限らず、あらゆる心の要素に言えることだと思う。

 

「自分が育てたい能力」があるとして、それは最初は、赤ん坊みたいに繊細なものだ。

ほとんど見つからなかったり、すごく小さいエネルギーに思える。

何度も見つけるなんて不可能だとさえ思えるかもしれない。

 

だけどそのエネルギーは、今後もずっと同じ状態にとどまるとは限らない。

より安定度の高い、アクセスしやすいものに変わる可能性があるのだ。

 

なので、幸福感などのエネルギーがいかに「繊細で微妙なもの」に思えても、

それを「脆弱さ」だと理解せずに、何度でも集中して、アクセスを繰り返すのが良いと思う。

 

なぜなら、たとえどんなに繊細な感覚でも、何度も顔を合わせて、通り道が出来るほどに、会いにいける回数は増えるはずだからだ。

 

 

 

コンビニ瞑想のススメ

コンビニで、マインドフルネスのトレーニングが出来る。

 

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問題

僕はコンビニが苦手だ。

レジの前に立つのが嫌いだ。

 

店員さんが無作法な態度だと、わりと気分が悪くなる。

逆に愛想の良い店員さんが相手だと、なんだか眩しくて、気恥ずかしくなる。

 

だけど最近は、これをトレーニングのチャンスにしている。

やってみよう

コンビニのレジに立つ時、店員さんの幸福を祈る。

「この人が幸福でありますように」とひそかに祈りながらお会計をする。

 

ただ、これだけ。

 

「幸福」という言葉がピンとこないなら、

「この人にラッキーがありますように」とか、

「この人の1日が平和でありますように」とか、なんでも良いと思う。

 

この瞑想をすると、レジに立つ時の緊張が減るだけでなく、相手の表情もよく見えてくる気がする。

他者を、より「物」目線から、「人」目線で見られるようになると思う。

 

ところで、変な客にならないように、見つめすぎてはいけない。

態度を変えず、気取られないように、ひそかに幸福を願うのだ。

(でも祈りがうまくいけば、「なんだか幸せそうな雰囲気」は相手に伝わってしまうかもしれない)

 

リプレイスの法則

「緊張」に対して抵抗するのではなく、

「緊張」を「祈り」に置き換えてしまう。

 

これはあらゆる場面で有効に使える。

 

僕の場合、たとえどんな人と接するときでも

「緊張を抑えよう」と思うのではなく

「この人に幸福がありますように」と祈ることが、

一番、緊張感を減らせる方法みたいだ。

疑問

誰に言われたわけでもないのに、僕はこんな思考が浮かんできた。

 

「見知らぬ他人に祈るぐらいなら、家族や友達に祈ったほうが良いんじゃないか」

「家族にもうまく祈れないのに、なんで見知らぬ他人に対して祈るのか」

 

その理由は、こうだ。

 

ひとつは、今目の前にいない家族友達に祈るよりも、目の前にいる人に祈りを向けることには、意味があること。

 

もうひとつは、実は家族友人よりも、見知らぬ他人に対して祈る方が、難易度は低いということだ。

なぜなら家族友人との関係性は「より込み入った事情」があったりするから。

「近い関係」ほど、祈りは難しかったりする。

 

だけど、難易度の低い場面で成功するということは、難易度の高い場面でも、成功する可能性があるということだ。

なので僕は、コンビニの店員さんに祈りながら、家族友人に対しての、祈りの種を植えていることにもなる。

 

炭酸水を飲む瞑想

ちょっと変わったトレーニングを紹介する。

 

マインドフルネスの世界は、スポーツの世界と同じで、自分でトレーニングメニューを考えても良いところが長所だ。

なのでこれは、これは僕のオリジナル。

 

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やり方

炭酸水をゴクゴクと飲む。ちょっと喉が辛くなるぐらいが良い。

 

次に、パチパチとした喉の「刺激」を、感じ取ってみる。

 

だけど時間が経つと、すぐに「刺激」は無くなる。

なので次に「刺激」が「無くなったこと」を感じてみる。

 

このトレーニングは何?

これは別にジョークでやっているわけじゃない。(いや、ジョークでやっているのかもしれない)

「終わりを観察する」という由緒正しいトレーニングなのだ。

 

ある瞑想家は、最も重要なトレーニングとして、この「終わりを感じる瞑想」を勧めているらしい。

(「ジョイ・オン・デマンド」三章)

 

刺激には、終わりがある。

痛みには、終わりがある。

喜びにも、終わりがある。

 

 

ひとつのエネルギーには、終わりがある。

そもそも僕らの生命にも、終わりがある。

 

だけど僕らの自己観察力は、ふだんこの「終わり」を認識していない。

 

だからマインドフルネスのトレーニングで、それを見つけられるようにするんだ。

 

何が良いの?

たとえば、痛み。

 

マインドフルネスのトレーニングを積んでいても、痛みに抵抗できないことがあるかもしれない。

だけど痛みが「終わった時」に、その「終わり」を理解することが出来る。

 

「痛みが、もう存在しない事」に気付くことが出来る。

 

これは回復力=レジリエンスの一種だ。

どんな痛みもいずれ終わると理解すれば、痛みに対して強くなれる。

 

逆に「プラスの物事」「喜ばしいこと」の終わりを認識することで、執着を持たないための訓練が出来る。

(なぜか、はっきりと意識することで、執着のレベルが下るようだ)

まとめ

炭酸水は瞑想に役立つ。

 

 

これからは時間管理術よりエネルギー管理術だ 〜爆弾・亀・魔術師〜

エネルギーは消費した方が良いのだろうか?

 

それとも、消費を抑えた方が良いのだろうか?

人によって、言うことが違う。

 

エネルギー管理がうまい人、下手な人

 

「エネルギーは消費するほど、増大する」と言う人がいる。
本当に羨ましいと思う。

 

だけどエネルギーを消費しきってしまって、燃え尽きてしまう人もいる。

 

僕もその典型で、人生の多くの分野で「頑張りすぎて燃え尽きる」というパターンを繰り返していた。

 


これはそもそも、遺伝子や体質の違いなんだろうか?

 

エネルギーを消費して、増大させられる人。
自分に大きな負担をかけて、目標達成する人。
あらゆる分野で成長がうまい人。

 

歴史上の人物でいうならエジソンみたいな人。
そんな人は、自分とはまったく別の人種じゃないかって思えてしまう。

 

この裏には何か、僕が理解できない裏のルールが隠されているような気がした。
だけど、その正体が何なのかは、ごく最近まで分からなかった。

 

自己啓発書を読んでみても、ずっと効果は続かない。
運動をはじめてみるけれど、やめてしまう。

いくら「心構え」を工夫してもダメだ。

 

偉大なるかな回復


だがごく最近、ようやく理解し始めていること。

 

それは「エネルギーの消費」に合わせて、
「エネルギーの回復」が必要だということだ。

むしろ消費量よりも、もっと大きな回復が必要だということ

 

頑張れる人と頑張れない人の違いは、心構えや努力じゃなくて
「回復力」の違いによるということ。

 


僕にとって革命的だった本が二冊ある。

その1冊が「シリコンバレー式 よい休息」。

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もう1冊が
「メンタル・タフネス 成功と幸せのための4つのエネルギー管理術」だ。

 

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これはどんな「心構え」や、断片的なTipsよりも役立つと感じている。

なぜなら僕らに必要なのは「エネルギー」だからだ。

 

エネルギー管理の三つのタイプ

 

前置きが長くなったが、
僕は「エネルギー戦略」には大きく分けて、3つのタイプが存在すると思っている。

 

1.爆弾型

ひとつめは爆弾型。

 

このタイプは、一気にエネルギーを消費してしまう。

いちどレッドゾーンに突入してしまうと、手遅れだ。
あとはもう、試行錯誤しても、高いエネルギー状態には戻ってこられない。

 

猪突猛進。
エネルギー管理がものすごく下手な状態。

 

 

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2.亀型


ふたつめは亀型。

 

僕らは「爆弾型」でエネルギー管理がうまくいかなかった場合、エネルギーの消費を抑えるようになる。
「リソースは限られている」という理解をするようになる。

 

なのでエネルギーを少しずつ使うよう工夫する。
消費量は小さくなり、同時に大きなエネルギーも出せなくなる。

 

高いエネルギー状態を諦めてしまった状態。

 

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3.魔術師型

3つめは「魔術師型」だ。

 

このタイプは爆弾型と同じで、エネルギーをたくさん消費する。
だけどその後に「大きな回復」もおこなうため、高いエネルギー状態を保つことが出来る。

 

エネルギーの「消費」と「回復」の両方を大きく取っている状態だ。

 

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エネルギーというものの本質からいうと、これが最も優れたエネルギー管理方法だと思う。

 

なぜならエネルギーに対して単純過ぎる理解をせず、より高次元の理解をしているからだ。

 

もしこの話を聞いて
「いや、俺はもう十分頑張ってるよ」「疲れすぎて改善の余地がない」と思うなら、
それは多分、エネルギーを消費しすぎで、逆に「回復手段」がない状態なんじゃないだろうか。

 

エネルギー管理は人生の最重要
 

最近、エネルギーに関して考えるようになって実感するのは、

「エネルギー状態の高さ」というのは、
人間にとって、本当に基幹をなす、重要なものだということ。

 

自分の人生を振り返ってみても、物事がうまく運ぶ時は、必ずエネルギー状態が良い時だった気がする。

 

 

エネルギー状態が良いからこそ、
仕事にもやりがいを感じるし、人に対しても優しくなれる。

 

プライベートも充実しやすく、クリエイティビティは高まり、自己観察力が増し、幸福を感じやすくなる。

 

これらの要素は単独には存在しない。
「エネルギー状態」というものが中心にあるのだと思う。

 

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エネルギーを増大させよう

 

重要なのは
まず「エネルギー管理」という概念を持つこと。
(これだけで問題の50%は解決に向かうはずだ)

 

あとは、直線的なグラフではなく「ゆらぎ」や「リズム」でエネルギーを理解してみること。

(なぜなら「ゆらぎ」があるのがエネルギーの本質だから)

 

また、より自然的、動物的なエネルギーがベースにあるのを認めること。
自己観察力を高めることなどだ。

 

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最近僕は、こういったエネルギー管理について、どうにかして人に伝えたいと思っている。

 

アスリートみたいにエネルギー管理しよう 〜ピカピカのグリーンの話〜

エネルギー管理の世界では「小さなこと」が「大きなこと」だ。
「取るに足らないようなこと」が「重大な兆し」だ。

 

なので自分のエネルギー状態は、観察しても観察しすぎということはない。

最初に見える火は小さくても、燃え広がれば大火事になる。

 

たとえば、エネルギー100%の状態が、ピカピカのグリーンだとする。
(ちなみに、これを僕は「ザ・ブリリアント・グリーン」と呼ぶことにした)

 

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ここに何らかの理由で、亀裂が入る。

 

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そして僕らが「まだ大丈夫」と思っている間に、亀裂はだんだんと広がっていく。

もしくは自己洞察力が低くて、亀裂が入ったことに、まったく気付いていなかったりする。

 

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そして気づいた頃には…。

 

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重大なダメージが生じていたりする。

 

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逆に、上手にエネルギー管理をする人は、
片手に「虫眼鏡」を、片手に「スパナ」を持っているみたいなものだと思う。

 

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「観察力」が高いので、小さな亀裂でも、早い段階で見つけることが出来る。

そして心理的否認をせず「傷が入ったこと」を冷静に認める。

 

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そして修理のためにスパナを使う。

つまり、必要な回復行動をとる備えが出来ているのだ。

 

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たとえばスポーツの世界でも、
おそらく優れたアスリートほど、自己観察力が高く、大きな回復の手段を持っているはずだ。

 

自分のエネルギー状態に対して、常に「自己観察」と「回復の準備」
が出来ている状態。

僕らも「ピカピカのグリーン」を保つためには、アスリートみたいになる必要がある。

 

「エネルギー管理をしないこと」でもなく、

「ほどほどのエネルギー管理」でもなく、

「最高のエネルギー管理」をするのが良いと思う。

(その対価は、あり余るほど受け取ることが出来る)

 

ちなみにエネルギー状態を左右する要素も、複数ある。

 

なので「必要な色のスパナ」を持って
「適切な回復」をおこなうのが良いだろう。

なぜなら回復の種類が間違っていると、適切な回復が出来ないからだ。

 

たとえば「心理的回復」「睡眠」「運動に寄る回復」「呼吸で平静さを保つ」「血糖値を乱さない適量の食事」などという種類が考えられる。

 

 

 

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ちなみに複数の回復を同時におこなったり、相互に関連付けることも出来る。

 

たとえば、運動をしながら呼吸を整えることも出来るだろうし、
歩きながらぼーっとして頭を休めることも出来るだろう。

 

瞑想は心理的回復にも、睡眠時を快適にするのにも役立つだろう。

 

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この「エネルギー管理のレベルを上げる」という話は、
ダメージに対してビクビクしたり、動揺したりするのとも違う。

 

 

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エネルギーの状態に、単に動揺して、必要な回復をおこなわなければ、
むしろダメージを広げるばかりだ。

 

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アスリートみたいに、
片手に「高い観察力」を持ち、片手に「様々な回復手段」を持って、それを適切に使っていくこと。

こうすることで、僕らはピカピカのグリーンを守ることが出来るだろう。

 

たぶん、多くの人が完全に忘れてしまっている状態。
「エネルギーが最高の状態にある」というのは、僕ら人間にとって、ものすごく大きな喜びだと思う。

 

ちなみに僕自身と言えば、まだこのグリーンに、ほんのすこしアクセス出来るようになったばかりだ。

だが今までの人生でほとんど感じたことがなかったような、エネルギー状態の改善と、清々しさとを感じている。

 

 

参考

エネルギーに関して

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動物的なエネルギーに関して

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瞑想に関して

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マインドフルネスと食事・睡眠・運動の関係 〜GO WILD〜

僕らは簡単に「単一の解決策」に頼りがちだと思う。

たとえばマインドフルネスで素晴らしい経験をしたら「マインドフルネスで全て解決できる」と考えがちだ。

 

 

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食事しかり。

 

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運動しかり。

 

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人間性と原始性

「全部やらなきゃいけないのか」「大変そうだ」って思うかもしれないけど、それはそれぞれの要素を適切に理解していないからだ。

より適切なモデルを描くことも出来る。

 

それは、人間が「心的な部分」と「動物的な部分」に分かれるという理解だ。

 

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脳科学的にも、人間には「動物的な脳」がかなり大きく残っており、前頭葉など知性を司る部分より、ずっと面積が広いらしい。

 

なので、僕らの状態も「人間的なもの」と「動物的なもの」に大別できると思う。

(たとえば「心理」「集中力」「知性」などが人間的な部分で、「食事」「運動」「睡眠」「自然」などが動物的な部分というように)

 

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動物性がベースにある

実は僕らというものは「動物である以前に人間」ではなくて「人間である以前に動物」なので、

「動物的な必要性」の方がベースにあるのだと思う。

 

その上に人間としての心理性が乗っかることが出来る。

 

 

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このモデルでは、

 

「マインドフルネスだけが大事」なのではなく、

「睡眠や食事だけが大事」なのでもなく、

「全部均等にやらなければいけない」のでもない。

 

「動物性な需要を満たした上で、心理的なものを築く必要がある」という理解が出来る。

 

動物的なニーズが満たされていれば、マインドフルネスもうまくいきやすいだろうし。

 

 

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逆に、まずはマインドフルネスのトレーニングを積むことで、

自分の「動物性」に敏感になり、動物的な各要素を改善していくことも出来るだろう。

(なぜならマインドフルネスのトレーニングは、身体洞察力を高めるものもでもある)

 

 

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GO WILD

僕らの動物性を理解する上で「GO WILD」は非常にオススメできる本だ。

ちなみに内容の一部では、マインドフルネスについても触れられている。

 

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