マインドフルネスやってみた

瞑想で人生のレシピ作り

RPG風 | 観察クエストで敵を仲間にしよう

つらい状態

僕らはただ、つらい状態があると思い込んでいる。

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思考に気付く

だがよく心のプロセスを観察すると、思考がつらい状態を作り上げていることに気付く。

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思考のスピードは素早い

思考はすごいスピードで流れてゆくので、よく観察しないと、何が起きているのかさえ分からない。

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敵を見つける

よく観察すると、思考の中にも色々なタイプの敵がいることに気付く。

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敵A

敵はこんな顔をしているかもしれない。

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攻撃とダメージ

この敵は赤色の攻撃を繰り出して、自分にオレンジ色のダメージを与えているかもしれない。

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敵B

あるいは別の敵は、こんな顔をして、こんな攻撃を繰り出しているかもしれない。

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ゲームオーバー

時には、死んでしまうことだってあるかもしれない。 こうなれば、何もかもが終わりだ。

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手強い敵

だけど実は「死んでしまった」という思い込み自体が、敵だったのかもしれない。

ちょっと視点を引いてみれば、思ったほど深刻な事態ではないと分かるかもしれない。 (こういう、全画面に表示されるタイプの敵は、ちょっと手ごわい。ゲームが終わったのかと思ってしまうから)

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クエストで遊ぼう

このように、観察の瞑想では 「思考のタイプ」と「それが感覚に与える影響」を観察していくのが効果的だ。

日々の思考と感覚は、あまりにも素早く流れ去っていくので、 まずは落ち着いて瞑想をして、このクエストを楽しんでみるのが良いだろう。

具体的には、

  • 瞑想を始めた時は、なんだか胸のあたりがそわそわする
  • 時間が足りないという思考で、体がどこかに吸い込まれる感じがする
  • 友人のAさんを思い浮かべた時は、こんな感覚が起こる
  • 知人のBさんを思い浮かべた時は、また別の感覚が起こる

といったような感じで。

そして、最初は難しいかもしれないが、なるべく思考と感覚を切り離して認識してみよう。

「これは劣等感だ」とか「これは焦りだ」とかいう風に、ラベリングをしてみても良いかもしれない。 だけどラベリングはあくまでも二次的なツールであって、基本は「思考の観察」「感覚の観察」であることを忘れない方が良い。

クエストを熟知して、敵の種類を知れば、いずれは仲間になりたそうにこちらを見てくることだってあるかもしれない。 (無理やり仲間に引き入れることは出来ないけれど)

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OK と WHY の関係

WHY

  • 一体何がOKなのだろう
  • どうすれば人生がOKになるのだろう

こう考えているのが WHY の状態だ。

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OK

今、この瞬間に集中している、OKな状態。 これは思考ではなく、経験だ。

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この状態を、僕らは探している。 見つけた時には、すぐに分かる。

OK から WHY

だけど、頭はすぐにこう考え始める。

  • OK に一体何の意味があるのか
  • なぜ OK を見つける必要があるのか
  • いくら OK を経験しても、どうせ最後には死んでしまうじゃないか

たとえば、こう試行を始めた瞬間に、僕らの状態は、すぐにまた WHY に変わる。

だが実は、この OK と WHY の状態は、コインの裏表の関係にある。

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OKの裏にWHYがある

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WHYの裏にOKがある

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WHYはOKを見つけられない

「OKの意味について、頭が考え始めた瞬間」に、コインはくるりと、いつの間にかWHYへとめくられる。

この時、僕らは「WHY」の状態で「OK」に判断を下そうとしていることに、気付いているだろうか。

これでは正常な判断が出来ない。 なぜなら「WHY」を考え始めた瞬間に「OK」は既に「WHY」へと変わっているからだ。

だから「OK」さえもが「WHY」かのように見えてくる。

これが大きな落とし穴だ。

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まとめ

だから、二つが同時に現れることはない。

次のことを理解しておこう。

  • OK と WHY が同時に現れることはない
  • WHY は OK を正常に判断できない
  • OK の意味は OK だけが知っている
  • OK の時は WHY を考える必要はない

奇跡はいつも僕らの横を通り過ぎている

僕たちが気付くか、気付かないかの違いがあるだけだ。

  • 1日を終えて家に帰る途中、見える景色に対しての、1秒ごとの認識
  • 街をゆく人たちや、変わる信号や、通り過ぎる車の、二度と同じになることはない組み合わせ
  • エレベーターの階数表示が変わる瞬間

実は、すべての場所に奇跡が存在している。 誰でも、人生で最も輝かしい瞬間を思い出せば、そこに奇跡があったことが思い出せるはずだ。

だが僕たちは、99.999%の時間において、間近で起きている奇跡を見逃している。 そもそも、その粒子のつかまえ方が分からない。

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思考は体験ではない

ひとつ重要な事実がある。 それは「奇跡は、決して思考では捕まえられない」ということだ。

なので「よし、今日から奇跡に気付いた生き方をしよう」と思っても無駄だ。 僕たちが例え100万年、頭だけで考え続けたとしても、奇跡を見つけることは出来ない。

なぜなら奇跡は、決して思考の中には存在しない。 「経験の中」にしか存在しないものだからだ。

「奇跡はどこにある?」と、そう頭が考えた瞬間、僕たちの焦点は、経験ではなく思考へとすり替わってしまう。 なので「奇跡に気付こう」といくら考えても、思考を掘り下げても、奇跡に気付くことは出来ない。

では、どうすれば良いのか。 答えは非常にシンプルだ。

僕たちにできることは、ただひたすら、目の前の経験に集中すること。 目に見えるもの、耳に聞こえる音、今という瞬間に注意を向け続けることだ。

思考や、自分の感覚に汚されていないピュアな部分に、奇跡に気付くという経験がある。

なぜ、そうするのか

僕たちがいちど、奇跡に気づき始めたとき。 「なぜ、奇跡に気づく必要があるのか」と、頭はまた考え始める。 だが思考では、この理由にもまた、たどり着くことは決してない。 (古今東西、様々な賢人たちが「生きる理由」について思考してきたが、言葉は遂に理由にはたどり着けないままだ)

世の中には、答えの出るタイプの問いと、答えの出ないタイプの問いがある。 「なぜ生きているのか」「何故、マインドフルネスが必要なのか」「なぜ、体験に気づく必要があるのか」 このたぐいの本質的な問には、論理的な答えができることはないだろう。

この性質の問には、論理を越えた答えが必要だ。 日本人は無宗教だが、 たとえば「神が、奇跡を経験するために、この世に生をつかわした」と考えてみるのも良い。

生きる理由

今日、僕は「生きる理由は、世界の美しさを感じるためだ」と、明確にそう思った。 言葉を変えるならば「生きる理由は、世界の完璧さを経験するためだ」と理解した。

これは頭でそう考えたからではない。 思考でも、感覚でもない「経験」の実体が教えてくれたこと。それを言葉にしたものだ。

だがしかし、僕は今日から、世界の美しさをあえて探したりはしないだろう。 「これは美しいだろうか」「あれは美しいだろうか」と、評価を始めたりはしないだろう。 なぜならば「世界の美しさを探す」という行為が、既に思考と、そして意図に汚されているからだ。

  • 目的がAである
  • Aを求める

この二つは因果関係があるようであって、直接的にはつながっていない。

靴紐を結ぶ瞬間のマインドフルネス

例えばその横に生える雑草にも、マインドフルネスを感じることは出来る。

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そして、その次の瞬間から、

  • 「雑草に美しさを感じるなんて、バカみたいだ」
  • 「こんなことをしていないで、会社に急がなければ」

と思考はめぐり始める。

だから、また思考を観察し、自分の感覚を観察し続ける。 マインドフルネスはこのプロセスの繰り返した。

マインドフルネスと「何故?」は両立しない

「何故?」と考えている時、僕たちはマインドフルでいられない。 逆にマインドフルな時は「何故?」とは考えない。

たとえば、眠りに落ちる瞬間を、決して意識ではとらえられないように。 「マインドフルネス」と「疑問」は、1枚のコインの裏表のようなものだ。

  • 何故マインドフルネスが必要なのか?
  • マインドフルネスは何の役に立つのか?
  • いま現在に集中することが、一体何になるのか?
  • 観察は、幸福をもたらしてくれるのか?

僕たちがこう「考えている時」、それはすなわち、

  • マインドフルでない状態
  • いま現在に集中していない状態
  • 観察をしていない状態

だ。

「何故?」と考えながら、同時にマインドフルネスをとらえることは出来ない。 「何故?」と疑念を持った瞬間に、音も立てず、くるりと、マインドフルネスは消えてしまう。

お互いがお互いの裏側にあるせいで、二つは永遠に混じり合わない。

このことを理解するのは重要だ。 なぜなら、僕たちがマインドフルネスについて思考を巡らせている時、マインドフルネスは消えている。 つまり「マインドフルネスには意味がない」という頭での結論に陥りがちだからだ。

僕は何も、マインドフルネスに疑問を呈してはいけないとか、考えることをやめるべきだと言っているわけではない。 どれだけ考えても良いけれど、この二つが同時に存在し得ないということは、前提として理解しておいたほうが良いと思っているだけだ。

マインドフルネスは「思考」ではなく「質」の中にある。 それが訪れれば、自然に分かる性質のものだ。

僕たちがマインドフルネスな時、僕たちはマインドフルネスに疑問を抱かない。

瞑想を始めたばかりの心は赤ん坊

マインドフルネスのために瞑想を始めても、全ての時間が、すぐにうまくいくとは限らない。

たとえば「もう瞑想を1ヶ月も続けているのに、なかなかうまくならない」と感じる時があるかもしれない。 だから、こう理解してみる。

  • もしあなたが20歳なら、体の年齢は20歳だ。
  • あなたが瞑想を初めて1ヶ月目なら、心の年齢は0歳1ヶ月だ。

体は自動的に成長するが、心はそうではない。 なぜなら僕たちは、心を成長させる方法を知らなかった。 体は大人だが、心は赤ん坊みたいなものだ。

生後1ヶ月の赤ん坊は、うまく立てなくても当たり前だ。 なので、赤ん坊になった気持ちで、少しずつ成長させてあげれば良い。

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マインドフルネスはシンプルな状態

マインドフルネスを実践するのに、覚えなければいけないこと、実践しなければいけないことがたくさんある。

たとえあ瞑想ひとつとっても、次のようなバリエーションがある。(全てをやる必要はないが)

  • フォーマルな瞑想
  • 日常での瞑想
  • 集中系の瞑想
  • 観察系の瞑想
  • 祈りの瞑想
  • 他、色々な瞑想

その他にも、マインドフルネスな状態を得るために、次のようなものが役立つ。(全てをやる必要はないが)

「マインドフルネスになるために、なぜこんなに努力しなければいけないのか」 「マインドフルになるための手順が複雑すぎる」と思うかもしれない。

だが実は、マインドフルネスというのは 極めてシンプルな状態 のことだ。

部屋の片付け

たとえば、部屋を片付けるときのことを考えてみよう。 「片付ける」という行為自体はわりと複雑で、色々なことを考えなければいけない。

  • 何を処分するか
    • 処分の方法はどうするか
      • 人にあげる
        • 誰にあげるか
          • 家族にあげる
          • 気に入ってもらえるものだろうか
          • 友人にあげる
          • 気に入ってもらえるものだろうか
          • いつ会った時に渡すか
          • 職場でシェアする
            • シェアするのが最適なものだろうか
            • 誰も要らないものだったらどうしよう
            • あまり重いものは会社まで持って行けない
      • 売る
        • どんな方法で売るか
          • 買取サービスに申し込む
            • どんなサービスが良いか検討する
            • 見積もりをお願いしてみる
            • 受け渡しの日付を決める
            • それでも大した値段にはならないかもしれない
          • ネットオークションにかける
            • だいたいの相場を調べる
            • ほとんどお金にならないことが分かれば、手間や送料を考えて、普通に処分することも検討する
            • まずはアカウント登録が必要だ
            • 写真も撮影して、開始価格も決める必要がある、商品の説明文も書く
      • 捨てる
        • 捨てるまでにどこに物を置いておくかを考える
        • 捨てるために必要なものがあれば用意する
        • 粗大ごみの場合は申込みが必要になる
          • 収集センターに連絡して住所や日付を調整する
          • コンビニで粗大ごみのシールを買う
          • 収集日に早起きしてごみを出す
        • リサイクル法が適用されるものは、メーカーに連絡する必要がある
          • たとえばPCディスプレイなら、まずは型番を調べる
          • メーカーのウェブサイトを見つけて申し込む
          • メーカーから発送用の伝票が届く
          • ディスプレイが入るダンボールを探す(なかなか見つからない)
            • Amazonから何か荷物が届いたら、ダンボールが使えないか試してみる
            • スーパーマーケットで余っているダンボールがないか探す
            • 宅急便のセンターに連絡して、有料でダンボールを購入する
              • 届けてもらう日時を決める
          • 着払いの伝票がコンビニ発送に対応していないので、また土曜午後に宅急便集荷を申し込む
  • 何を残すか
    • どんな基準で残すか
  • 部屋のレイアウトはどうするか
    • 何が一番、今の自分の生活に最適かを考える

上記のように考えることは膨大にある。 片付けを始めれば、部屋は一時的に散らかった状態にもなるだろう。

だがいったん部屋が片付いてしめば、 片付いた状態は極めてシンプル だ。

同じように、マインドフルネスも、 たどり着くまでの手順は複雑だが、たどり着いた状態は非常にシンプル なものだと理解できる。

重要なのは「どんどん複雑なことを覚える」ことではない。 「たとえ、一時的に複雑な手順を取ってでも、シンプルな状態を得ること」だ。

マインドフルネスとリフティングの共通点

マインドフルに日常を過ごすこと。 これはサッカーのリフティングに似ている。

最初は1回、ボールを蹴るだけで精一杯だ。 だが、ボールはすぐにどこかに行ってしまう。

次は、2回か3回だけ、リフティングを続けられるようになる。 だがやはり、ボールはすぐにどこかに行ってしまう。

練習を繰り返していれば、だんだんと、リフティングが続く回数が多くなってくる。 「あっ、落としそう」と思った時は、注意を向けて、ボールを体の真ん中に戻してやる。

最後には1日中、ボールを落とさずにリフティングが出来るようになる。 それも、あまり意識も努力もせずに続けられるようになる。

これが センタリングされた状態 だ。

ボールを落としても、また拾えば良い

なぜこの例えを持ち出したかというと、 別にボールを落としても、落ち込む必要はない ということだ。

ボールを落としたらまた拾えば良いし、また続きから始めれば良い。 集中力が続かないなら休んだって良い。 「リフティングの練習をしている」ということを思い出してみよう。

たとえ今でもボールを落とすことがあるにしても、以前よりも、リフティングの回数は増えているかもしれない。 先月は10秒しか続けられなかったのが、30秒は保てるようになっているかもしれない。 昼休憩までしかマインドフルでなかったのが、夕方までその状態を保てているかもしれない。 それなら、夜にマインドフルな状態じゃないからといって、気に病む必要はない。

少しずつこの時間を伸ばしていけば良い。

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