集中力を鍛えるには観察力を磨きなさい
あなたは知らないかもしれない。
集中力を鍛えるのに最も大事なのは、実は「観察力」という奴だ。
聞きなれない言葉だと思っただろうか。
だけど、人間にとってあまりにも大事な能力だ。
観察力が土台で、集中力が家だ。
その逆じゃない。
集中力がある人とない人の違いは、観察力があるかないかの違い。
と、そのまま言い換えることさえ出来ると思う。
なぜ観察力が大事なんだろう
たとえば、こう考えてみよう。
- そもそも、自分の集中力が途切れていることに気づかずに、どうやって集中を取り戻せるだろう?
- そもそも、力が入っていることに気付かずに、どうやって力を抜けるだろう?
- そもそも、ボールが来ていることに気付いていないバッターは、どうやってヒットを打てるだろう?
- そもそも、通行人に気づいていないドライバーは、どうやって人をよけられるだろう?
気付いていないと、対処できない。
気付いているから、対処できる。
これはとてもシンプルな法則。
この「観察力」という魔法の杖を使うか使わないかで、人生の過ごし方はまったく変わってきてしまうことだろう。
観察は人間の本能
「観察力」について教えられてこなかった僕らは、このキーワードを聞いても、一体なんのことだかさえ、分からないかもしれない。
いわゆる教科書に載っているような手順では、観察力は身につけられない。
世間で売られているような本にも、なかなかこの本質は書かれていない。
だけど、大丈夫。
観察力は、人間の本能として備わっている。(と僕は考えている)
いちどこう理解してしまえば、あとは、その本能を妨げているものを外していくだけで良い。
ところで人類はおそらく、昔から、獲物を「観察」することで、狩りをおこなってきた。
観察力は、人が生き延びる上で最も重要な能力だったはずだ。
なぜなら、観察力のなさは死に直結しただろうから。
そう、観察力は人間の本能に備わっているのだ。
だけど、トレーニングは簡単
一番やりやすいトレーニングは、自分の肉体的な心地良さや、心地悪さを観察してみることだと思う。
僕らの体は、いつでも「心地良い」「心地悪い」のいずれかの状態にある。
(さらに言えば、いつでも、その複合的な状態にある)
もし、まったく何の感覚もしないように思えても、必ず、どこかに快不快の感覚はある。
どんなに小さなレベルでも、どんなに気付きにくいものであっても。
もし「僕はまったく快でも不快でもない」という人がいたなら、それは生きた人間ではない。
つまり、瞑想を実践する必要もないだろう。
(この文章を読んであなたが今、少しでも何かを感じたなら、それが快不快の感覚だ)
それじゃ、やってみよう
目を閉じても良いし、閉じなくても良い。
座っても良いし、座らなくても良い。
一番やりやすい方法、やりやすいシチュエーションで構わない。
- 自分の体の感覚の中で、心地良い部分、心地悪い部分がどこにあるかを意識してみよう。
- その感覚が時間につれて、大きくなったり、小さくなったりするかどうか、感じ取ってみよう。
- 心地良い部分が移動したり、さっきまで心地良かった部分が、心地悪くなったり、その逆の現象が起きたり、ということに意識を向けてみよう。
- 余裕があれば、呼吸のしかたを調整して、それがどんな影響を体に与えるか、試してみよう。
これを繰り返すことで、自分の意識に対する観察力が付く。
観察は最高のゲーム
もしかしたら「こんな観察に何の意味があるんだ?」と、あなたは思うかもしれない。
けれどこれが、やってみると意外と面白い。
なぜなら、トレーニングを重ねるほど、自分の意識の状態というものがだんだんと、手に取るように分かってくる。
いわばゲームみたいなものだ。
しかも、どんな時でも楽しめて、お金もかからず、集中力が付いて、仕事や人生にまで役立つときている。こんなにおいしい話があるだろうか。
そして、自分の感覚を観察できるということは、意識や肉体がバランスを崩した時に、すぐさま対処できるということでもある。
たとえば呼吸が浅いことに気付いたら、呼吸を深くすることが出来る。
体がこわばっていることに気付いたら、力を抜くことが出来る。
力の抜き方さえうまく分からなかったら、一番うまく力を抜ける方法を試してみることも出来る。
自分の意識や体の反応を見て「集中の絶妙な感覚」を、少しずつ築き上げていくことが出来るのだ。
イラストの利用