ハッピーはどこに消えた? 〜ミニマリズムな反応〜
NGを
大きなOKで変えそうとする
だけど、そいつは大きなNGになって返ってくる
ひとつのNGを
ありとあらゆる手でOKにしようとする
すると、また無数のNGになって返ってくる
すると無数のNGを、無数のOKで返さなくちゃいけない
続きは。。。
もうお分かりでしょう。
消えかかっているNGに、たくさんのOKを差し向けたり
OKが、常にNGを探し回ってるみたいだ
これは果たしてハッピーなんだろうか?
本当は、NGと同じだけの大きさの、OKを返すだけで良い
小さなNGには、小さなOKを返す
すごく小さなNGには、すごく小さなOKを返す
ミニマリズムは
心にも当てはまる。
もし「反応しすぎ」で不幸になっていると思ったら、必要最小限の反応をしてみるのはどうだろう。
ハッピーはどこへ消えた? 〜3レベルの幸福〜
GOOD
あなたはGOODを手に入れた。
OK
ついにOKまでも手に入れた。
でも、なんだかHAPPYじゃない気がする
何故か満たされない
いつでもHAPPYを探している
そう、実は
GOOD と OK と HAPPY は微妙に違う
これを言い換えるなら
「思考」「状態」「存在」だ
自分が幸せかって聞くときも
実は3種類の意味がある
続きまた
別の話で
マインドフルネスとはシンプルな状態に戻ること
目覚めた瞬間はマインドフル
あなたは朝、目覚めた時に。 0.1秒ぐらい、悩みから完全に解放された気分になったことはないだろうか。
僕たちは朝起きた時、実は、全ての悩みを忘れていたりする。
悩みのスタック
だがまさに、その直後から、僕らは悩みをいくつも思い出して、スタックしていく。(積み上げてゆく)
目覚めた瞬間から、悩みが存在するわけではない。 僕らは「思い出す」というプロセスを必ず経験している。
このプロセスは非常に素早い。 なので時には0.1秒で、もう1個の悩みを思い出しているはずだ。
そして
時間が経つたびに、次々と心に悩みを積み上げてゆく。
マインドフルネス
塗りつぶす?
マインドフルネスは、この積み上がった悩みを、塗りつぶすものではない。(と理解してみよう)
プラスを積み上げる?
何かプラスなものを積み上げることでもない。(と理解してみよう)
元に戻る
そうではなくて、目覚めた瞬間のフラットな心に戻ることだ。(と理解してみよう)
理解
増やすのではなく、減らす。
そしてシンプルな状態に戻る。
これがマインドフルネスの本質だと、僕は理解している。
脳は時間を錯覚する ( 過去と未来が存在しない話 )
後悔
たとえば過去に対して、後悔をする。
肯定
なので、過去を肯定したいと考える。 過去に働きかけて、理解を変えたいと思う。
現在の不満足
だけど実は「現在」に満足していないと、 過去にも満足を感じられない。
現在の満足
逆に、過去に満足できるのは、現在に満足している時だけだ。
未来に対する不安
実は未来も同じだ。 現在に安心していないのに、未来にも安心することは出来ない。
未来に対する安心
逆に、未来に安心できるのは、現在に安心しているときだけだ。
錯覚
- 実は、過去の中身は、現在だ。
- 実は、未来の中身は、現在だ。
時間は人間の概念だが、脳は錯覚を起こしている。 だが実は常に「現在」が中心にある。
気分の正体 | 体内圧力のアップダウン
今日僕は、体に起こる感覚のひとつとして、体内の圧力が上がる感じ、下がる感じというのを見つけた。 気分の正体はこれだったんだ! と思った。
これは、自分が今まで観察できていなかったタイプのものだ。
生理学的に何が起きているのかは分からないが、血圧が上る感じ、下がる感じと理解しても良い。 そして数秒ごとに、体はこのアップとダウンを繰り返していることに気付いた。
そして、このアップとダウンが「気分」の大きな部分を形成していることを理解した。
観察レベルを上げよう!
人の「気分」には必ず「体の感覚」が影響している。 逆に「体の感覚」なしに「気分」は存在しない。
すなわち気分というものは、起源をたどれば、体の感覚に端を発している。(何の感覚も起きない気分というのが、想像できるだろうか?) つまり、観察レベルを上げることで、より自分の「気分」を「感覚」として理解することが出来るようになる。
観察レベル
たとえば、音楽を聴く時のことを考えてみよう。
平均的な人は、音楽をだいたいの雰囲気で聴いている。 だが、バンドをやっている人や、音楽通ならば、ひとつの音楽を聴いても、ベースやドラムの音や、ニュアンス、全体のハーモニーまでよりきめ細やかに理解することが出来る。
たとえば、スポーツを観戦する時のことを考えてみよう。
平均的な人は、どちらのチームが優勢か、劣勢か、どのぐらいの点が入っているか、ぐらいしか見ていない。 だがサッカー経験者や、サッカー通ならば、ひとつのゲームを見ても、フィールドで何が起きているか、それぞれの選手がどういう動きをしているかや、ゲーム全体の展開をより多様で、より深いレベルで把握することが出来る。
これは瞑想において、自分を観察するときにも当てはまる。 観察レベルを上げることで、今までよりも多くの要素を把握し、より解像度の高いディスプレイを使い、より全体を理解出来るようになる。
ここで重要なのは、初学者は初学者で「自分は、ぜんぶ見えている」と思い込んでいるということだ。 なぜなら「見えていないもの」は「見えていない」なので、自分では「何が見えていないか」がわからないのだ。 だが熟練者になると、過去の自分に「何が見えていなかったか」が理解できるようになる。
これは例え瞑想というジャンルではなくても、誰にでも経験があることだと思う。
感覚の見つけ方
では一体、どうやって「いま見えていないもの」を見つければ良いのだろう? 僕の場合は、次のようにした。
- 落ち着いた、静かな場所で瞑想をする。
- 何か思考が浮かんできたら、それが感覚に与える影響を観察する。
- たとえば「Aさんのことが思い浮かんだら、体の感覚がこんな風に変わる」というのを観察する。
- 思考と感覚を分離して理解してみる。
- 思考は頭でくるくると回るもので、自分に起こっているのは体の感覚にすぎない。
- これが成功すれば「つらさ」というものは感じなくなる。
- この中で「分離出来ないもの」「気分を、体内感覚として把握できないもの」が見つかったら、何度もその発端となった思考やイメージを、自分で繰り返してみる。
- たとえば「シーンBを思い浮かべた時に、気分に飲み込まれてしまいそうになる」「感覚ではなくて、現実が目の前にある気がする」ならば、そのシーンを何度か思い浮かべながら、素早く体の感覚を観察する。
- 「体の感覚」だと理解できていない働きは何か、と意識を向けてみる。たとえば背中の感覚かもしれない。たとえば胸のあたりの感覚かもしれない。体のパーツではなくて、それ以外の別のものかもしれない。(たとえば、体内の圧力がアップダウンする感覚とか)
- これを、好きな分だけ、気の済むまで繰り返してみる。
- できれば、自分が圧倒されず、なおかつ、どうにか対処できそうなレベルのものを観察すると良いだろう。
このように書くと複雑そうに思えるが、そのとおり、心のプロセスを理解するには、慎重に、繊細に付き合ってやる必要がある。 何故ならば、そもそもこれは、見つけづらいものを見つけるクエストなのだから。
思考やイメージや体の感覚といったものは、なかなか素早い。そして、よく目を凝らさないと見えづらい。 だから急がなくて良い、ゆっくりとした時間をかけて、地道にやってみれば良い。
そして
心のプロセスのひとつずつは、いったん理解してしまえば、実にシンプルなものだ。
だが、あまりに複合的にプロセスが働いているため、どうしても複雑に思えてしまう。
だからこそ シンプルな理解 をすることが重要だ。 なぜなら シンプルな理解 をしていれば シンプルな対処 が可能になるからだ。