神に出会うために生きる ( 物事の説明の話 )
物事の説明
世の中には多くの物事が存在する。
そしてそれよりも多くのバリエーションで、物事の説明も存在する。
僕自身は特に、物事をうまく説明したいと思うタイプの個体のようだ。
物事をうまく説明できないと、なんだか落ち着きが悪い。
価値基準、目指す方向が明確であれば、どれだけ生きやすくなるだろうか。
「価値基準が明確でないことによる不幸」は、人間にとって、ものすごく大きいものだと思う。
だから「物事を総括的に説明できるキーワード」が欲しいと、常日頃から考えている気がする。
全てを説明できる?
今、自分が何のために、何をしているのか。
たとえば、瞑想をするのは、何のためなのか。
読書をするのは、何のためなのか。
文章を書くのは、何のためなのか。
ひとつひとつの要素に対して、単独の説明は決まっても、それぞれの要素は矛盾していたりする。
それは「矛盾しながら生きている」状態であり、葛藤を生み出す。
瞑想をしながら、文章を書きたいと思ったり。
文章を書きながら、運動をしたほうが良いんじゃないかと思ったり。
運動をしながら、仕事の勉強のことが頭によぎったり。
バラバラな価値観を抱いたままだと、人間の脳は混乱をきたしたままで、道をまっすぐに歩くことさえ難しい。
僕にとって、いま現在、全てを説明できそうなキーワードは「神を見つける」とか「神に会いにいく」とかいうキーワードだ。
「全てを説明できる」というところが重要だ。
なおかつ、身体感覚として完全に納得できるものでなければいけない。
体が納得していない、頭で考えた言葉で物事を説明しても、空虚なだけだ。
肉体
なんのために運動をしたり、食事に気をつけたり、睡眠を改善したりするか。
それは神に会いにいくためのコンディション作りだ。
なぜならコンディションが悪い時に神を感じるのは難しい。
ミニマリズム
なぜミニマリズムを実践するか。
それは日常の生活の中で、神に出会いやすくするためだ。
雑然とした生活をしていれば、神に出会うチャンスはぐっと減ってしまう。
もしくは全然なくなってしまうかもしれない。
集中力
なんのためにシングルタスクを実践したり、集中力を上げたりするか。
それは人間が集中力を発揮する状態の中に、神が宿っているからだ。
より良質なフロー状態に入る時は、より神の近くに居る気がする。
学習
なんのために本を読むか。
それは自己発見をするためだ。
自己発見をするということは、神を見つけるということでもある。
実は僕らは自分自身や、世界のことを何ひとつ理解していない。
自分を理解せずに神に出会おうなんて、こんなに非現実的な話はないのだから。
アウトプット
文章を書くのは何のためか。
それは神に出会うためだ。
文章を書くということは。自己発見をするということだ。
自己発見をすればするほど、神の場所に近づくことが出来る。
そして文章を書いている時、脳で起こるプロセスにも、神が宿っている。
瞑想
なんのために瞑想をするか。
それは自己発見、自己洞察、集中力、自己理解など色々な要素を単独でトレーニングして、やがては有機的に働かせるためだ。