マインドフルネスやってみた

瞑想で人生のレシピ作り

整えることは、美しい。

頭で考えると、整えることには、ほとんど意味がない。

たとえば朝起きて、布団を整えても、大して生活に役に立つわけじゃない。

 

だけど整えることは、美を感じる行為だ。

少なくとも、日を感じるためのチャンスだ。

 

頭の世界では、何の意味もないかもしれない。

だけどまったく別の世界では、意味が働いていること

 

たとえば禅の世界でも、食事を作るという行為を重要視したりする。

整えたり、作ったりするという行為の中に、意味や、美しさが存在している。

 

もしも整えることに意味がないのであれば、頭で考える世界では、究極のところ、生きることにも意味がなくなる。

整えることに意味がある世界は、美を感じて、生の意味をキャッチする世界だ。

 

 

仕事中の瞑想でマインドフルネスを感じる

集中力が途切れた時や、疲れを感じた時は、ごく短時間の瞑想をすると良い。

たとえば5分、騙されたと思ってやってみよう。

 

「5分間の瞑想なんかに、効果があるはずがない」と思う時、こそ、やってみるとすごい効果がある。


瞑想は直感に反する。

僕は毎回、良い意味で期待を裏切られている。

 

もし座れる場所があれば、座って瞑想をしてみる。

そうでなければ、目を閉じて呼吸するだけでも良いかもしれない。

 

  • 呼吸や体の一部に意識を向けながら、心が静まるのを待つ
  • 休息している感じや、エネルギーの回復を感じ取る
  • もし仕事が出来ていることの喜びや、職場の人たちへの優しさが湧いてきたら、その感覚を感じ取ってみる

 

こうすると、仕事をすること自体への優しさを育んで、脳に刷り込ませてゆくことが出来る感じがする。

マインドフルネスは、仕事そのもののイメージを塗り替えてゆく。

 

f:id:yumainaura:20180209061239p:plain

 

ペンキ屋さんのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

瞑想を長時間続けるのはやめなさい (ピークに敏感になろう)

大事なのは時間よりも質だ。
どちらか迷ったら、時間よりも質を優先しよう。

もし長時間の瞑想で質が落ちてしまうなら、時間を短くした方が良い。
その逆に、回数を増やした方が良い。

 

瞑想のピークをなるべく多く作り出そう。
ピークを何度も経験することによって、瞑想の経験値はグッと上がってくる。

 

瞑想関係の本にはよく、長時間の瞑想をする熟練者の話が出てくる。
だけどそれを初心者が真似しても、そのままうまく行くわけではない。
たとえばフルマラソンのランナーが42.195kmを走るからと言って、ビギナーにもそれが効果的な練習とは限らない。

 

それに、僕らの人生の時間は有限だ。
修行僧には多く時間があるかもしれないけれど、残念ながら、僕らにはそうではない。

 

だから時間にこだわるよりも、質にこだわろう。
全ての物事には始まりと終わりがあり、ピークがある。
それは瞑想も同じだ。

 

自分が感じる、一番良い時間で瞑想を終えるようにしよう。
たとえば心地良さや、集中力の高まりを感じているなら、まだ瞑想を終えるには早すぎる。
逆に眠くなったり、いちど落ちた集中力が戻ってこないようなら、瞑想を終えるのは遅すぎる。

 

瞑想のピークに敏感になると、すごいご褒美が付いてくる。
それは、頭が冴えることや、もっと瞑想が好きになれること、最高に心地良いこと、他のことをする時間が出来ることなどだ。

 

瞑想のピークに敏感になること自体が、自己洞察力を高めてくれもする。
なぜなら、自分の状態を観察しなければ、瞑想のピークは分からないから。

瞑想は帰り道

家の中にいるのではなく、単に外の世界にいるのでもなく、家に帰る途中の道にいる。

そんな感じがした。

 

旅に似た感覚。

懐かしい家に帰る途中。

景色は変化してゆく。

家が待っているから、すべてが暖かく感じる。

 

f:id:yumainaura:20180202024019p:plain

 

家・建物のイラスト「1階建て一軒家」 | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

「途中の道」は常に美しい。

 

料理は瞑想になる (正確に、流れるように動く)

料理は瞑想だ。

たとえば禅の教えでも、特に料理を重視するものがあるぐらいだ。

 

特に僕が今日思ったのは、

「食材をよく見て、正確に切る」

ということが、マインドフルネスをもたらしてくれそうだということだ。

 

これは「速く動く」ということははない。

単に「ゆっくり動く」ということでもない。

「よく見て、正確に動く」ということだ。

そして「正確に動く」ことの連続で「流れるような動き」が作り出されることだ。

 

1個1個の食材を、順番に洗う。切り分ける。

調味料のストックが切れていれば棚から取り出す。

不必要になったものは袋にまとめる。

こうした必要な動作を、ひとつずつ正確に、流れるように進めていく。

 

f:id:yumainaura:20180128101216p:plain

料理のイラスト「男性」 | かわいいフリー素材集 いらすとや

速い料理 VS 遅い料理

今まで僕は料理を「速いか」「遅いか」という軸でだけとらえていた節があった。

「瞑想の訓練なら、ゆっくり動くべきかもしれない」

「だけど、時間は速いほうが良いし」

と思っていた。

 

だけど今思えば、この二つの軸で考えること自体が、より低次元のものだったのだ。

 

「よく見て、正確に動くこと」は、この単純な軸の上にはない。

正確に動くことで、単に速く動くよりも、単にゆっくり動くよりも、おそらく料理のクオリティは上がるだろう。

むしろ、トータルでは動作の無駄が少なくなり、時間も短縮されるかもしれない。

 

何より「正確に動いている自分」や「料理をする行為の美しさ」に見とれることが出来る。