24時間の瞑想を始めるメリット
僕の日常がグンと良くなったと感じ始めたのは、 「1日24時間 瞑想しよう」と決めたときからだった。
- 目覚めてすぐに
- 朝ごはんを食べている時も
- シャワーをあびている時も
- 身支度をしている時も
- 出勤途中、道を歩いている時も
- 職場のドアを開く瞬間も
- 仕事をしている時でも
- 昼休憩中でも
- 家に帰る途中も
- 夜、眠る直前でも
止めることなく、ずっと瞑想をする。 心が脇道にそれようとしたら、さっと軽く、元の位置に戻す。
これを細かなプロセスで、何回でも、何百回でも繰り返す。 (そのたびに気分が良くなる。なぜなら、気分を悪くせずに済むから)
こうして、マインドフルに過ごせる時間は朝の10分から、だんだんと、じわじわと伸びていった。
最初は「マインドフルな瞬間」はきわめて特別なものだった。 その領域は広がり、こんどは「マインドレスな瞬間」が逆に目立つようになった。
時間は経ち、マインドレスな瞬間の方が、たまに特別に訪れるものになって行った。
そしてついには 今日は1日、ほとんどの時間がマインドフルだった。マインドレスな瞬間がゼロに近かった。 という体験すらすることが出来た。
これこそ、人間の生活だと思った。 ( だけど、無常の喜びを感じようとしたりはしない。それはマインドフルなやり方ではないからだ。そのかわり、きわめて穏やかに今の状態を祝福した )
メリット
フォーマルな瞑想に慣れたら、1日24時間を瞑想の時間にしてみよう。
瞑想を日常に持ち込むのには、多くのメリットがある。
- 全てが練習の場になり、瞑想の経験値がグングンと上がる。
- フォーマルな瞑想では発見できないタイプの問題が発見できる。
- フォーマルな瞑想では解決できないタイプの問題が解決できる。
- 日常をきわめて快適に過ごせるようになる。(僕たちの最終目的は、まさにこれのはずだ)
ためらっていた理由
僕が日常に瞑想を持ち込もうとしなかったのは、その難易度があまりにも高く感じられたからだ。 時間をとってやる瞑想ですら心が揺れてしまうのに、日常を過ごしながら瞑想をするなんて、とても考えられなかった。
だけど座りながらの瞑想がだんだんとうまくなり、これを日常にも押し広げられるんじゃないか、と思うタイミングが、自然にやって来た。
そうして日常に瞑想を取り込んだところ、驚くべき成果が上がったように思う。
そして、バランスの取り方さえうまくなれば、24時間の瞑想は非常に楽だ。 なぜなら僕たちは普通、24時間思考をし続けて、24時間心にダメージを与え続けているからだ。
これが24時間の瞑想を入れ替えれば、ダメージを最小に抑えることが出来る。
瞑想に使う集中力よりも、思考によるダメージのほうが遥かに大きい。 これは体験してみなければわからない感覚だ。
しかも、瞑想がうまくなればなるほど、使わなければいけない集中力も最小化する。 (逆に、バランスを保つのに集中力を使わなくて済むようになるということが、瞑想の上達だと僕は考えている。少なくとも日常の瞑想においては)
瞑想がうまくなるのに
どれだけ悠久の時間をかけても良い。 焦らずにゆっくりやろう。ほんの少しずつだけど、日常は良くなっていくはずだ。
この記事を書きながら
「24時間の瞑想って、言葉にすると、ものすごく大変そうだなあ」という思考が、僕の頭に浮かんだ。
だけど僕はそいつを、さっと受け流して、手放した。
なぜならこの「大変そうだ」という考えは、「世界の、普遍的な、現実」ではなく、あくまでも「僕の、一時的な、思考」にすぎないからだ。
- 僕たちが現実だと思っている現実は、実はどこにも存在しない。
- 僕たちが何かを考えた瞬間に、それが現実だというように強く感じられる。
- だから、僕たちは「現実」にくっついている「自分の思考」を見抜いて、錯覚を解除することが出来る。
24時間の瞑想 | 「もっと瞑想をしたいのに、時間がない」と思った瞬間がチャンス
- もっと瞑想をしたいのに、時間がない。
- 瞑想をしたいのに、仕事に行く時間だ。
- もっと瞑想をすれば、もっと幸せになれるのに。
こう思った瞬間が、瞑想のチャンスだ。
何も、仕事中にフロアに座って、あぐらを組めと言っているわけではない。 心の中で瞑想を再開すれば良いのだ。
焦り ≠ 瞑想
- もっと瞑想がしたい
- 今、瞑想ができない
こういう考えがよぎるのは、すなわち、瞑想が出来ていない瞬間だ。 「瞑想に焦りを感じる瞬間」は、すなわち「瞑想できていない瞬間」だ。
いつでも集中
瞑想は座っていても、立っていても、歩きながらでも出来る。 24時間が瞑想の場所だと思えばいい。
瞑想について考えていない時は、そもそも瞑想のことを忘れているわけだし。 瞑想について考えた時は、その瞬間に思い出して瞑想を始めれば良い。
すべてが訓練の場所
すべてが訓練の場所だと考えてみよう。
すべてが訓練なのだから、別にうまくできなくてもいい。 うまくいかなくても、そのたび、またやり直せばいい。
ではどこに本番があるんだろう? 実は、
- すべての場所が訓練
- すべての場所が本番
この二つは同時に成り立つ。
瞑想の落とし穴 > 注意力が高い時、低い時
注意力は朝から夜にかけて下がる
これは人間の摂理だ。
注意力が高いときと
低い時がある
注意力が高ければ、どんなテクニックもうまく行きやすいし
(観察も、集中も)
低ければ、どれもダメになりやすい
注意力を回復させてくれるのは
瞑想的なテクニックではなく、睡眠や食事だったりする。
解説
- 瞑想的なテクニックを使うには、注意力が必要だ。
- 何をやってもうまくいかない時は、そもそも注意力が下がっている可能性がある。
- 朝から夜にかけて注意力が下がっていくのは、当たり前のことだ。
- ここで「瞑想的なテクニック」でどうにかしようと思っても、どんどんうまくいかなくなるように感じる。
- たとえば、朝目覚めてから8時間以上経過しているなら、注意力はかなり下がった状態だと考えられる。
- 朝起きてからの時間を計算してみよう。
- 瞑想的なテクニックがうまくいかないのは、やり方が悪いんじゃなくて「眠い」とか「空腹だ」とかいうせいかもしれない。
EとQ ( 体験モードと疑問モード )
心には体験モードと
疑問モードがある
さっきまであった幸せが
通り過ぎてしまったように感じる時
僕らは疑問モードにある
僕らはだいたい、疑問モードで過ごしている
たとえば、同じような景色があっても
体験モードのときもあれば
疑問モードのときもある
幸せが過ぎ去ってしまうのは
モードが切り替わってしまう瞬間だ
このモードの違いに敏感になってみよう
疑問モードに気付いたら
体験モードに切り替える
これを繰り返すことで
体験モードの時間を増やし
長くしてゆくことだって出来るだろう
(けど、体験自体を増やすわけじゃない。あくまでもこれは「心のモード」だ)
ハッピーはどこに消えた? 〜幸福追求モードのスイッチ〜
想像してみてほしい
心に「幸福追求モード」というものがあって
スイッチがONの時と
OFFの時があると
ONの時は不幸に
OFFの時は幸せになりやすい
一体どうなってるんだろう?
これはパラドックスだ
でもこのスイッチは
無理やりオフにはできない
ONになっているのは
僕らが押し続けているからだ
だから、ただ押すのをやめればいい
でも、やめようとすること自体が
実は幸福追求モードで
ONを押し続けているってこともある
でも大丈夫、僕らはもう
スイッチがあるということに気付いた。
ハッピーはどこに消えた? 〜幸せは来客みたいなもの〜
さっきまでの幸せが
今はもうない
どこに消えたんだろう?
幸せは
来客みたいなもの
僕らがキョロキョロ探していると
居心地が悪そう
って幸せは思う
追いかけたら
逃げる
つかまえても
仲良くはなれないだろう
気まずいでしょ?
僕らに出来るのは、お茶を淹れたり
掃除をして
来客に備えること
10秒だけ時間をください! 世界で一番簡単な瞑想の始め方
今、目を閉じてみましょう
まず息を吐いて
次に吸います
その時、息に注意を向けてみます
できたでしょうか?
実はもうあなたは、瞑想経験者です
そんな馬鹿なって?
これが本当なんです
解説
- 瞑想を始めるのは、本当に簡単です。
- 道具も要りません。
- 立っていても、座っていても、寝ていても構いません。
- 「正しい瞑想のやり方」も、実はありません。
- 「基本的なやり方」は、この記事に書いたとおりです。
- もしお気に召したら、1呼吸、2呼吸、3呼吸と続けてみましょう。