瞑想と恋人 〜心は変えられないがアプローチは変えられる〜
僕が瞑想を始めてから、しばらく引っかかっていた謎がある。
「瞑想で心は変えられるのか」「変えられないのか」という問題だ。
なぜなら多くの瞑想の本に「(必要なもの)自然にやってくる」と書かれている。
だけど瞑想のアプローチこそまさに、心を変えようとするアプローチそのものだからだ。
ここに矛盾を感じていたけれど、うまく納得が出来ていなかった。
単純すぎるモデル
たとえば仮に、瞑想で心は変えられないとしよう。
それなら、なんで瞑想なんかするんだろうか。まるで意味がないと思う。
たとえば仮に、瞑想で心が変えられるとしよう。
それなら、なんで「心を変えようとするアプローチ」がうまくいかないんだろうか。
直接変化を起こそうとするアプローチは、いつも失敗に終わる。
たぶん「心を変えられる」「心を変えられない」という、二択でのモデルの描き方が、あまりに単純すぎるのだ。
きっと真実はその中間ぐらいにあるんじゃないだろうか。
心は恋人
たとえばここでは、心が恋人みたいなものだとしよう。
恋人は変えることが出来るだろうか? 出来ないだろうか?
これはある意味ではノーとも言えるし、ある意味ではイエスとも言える。
恋人は自分じゃない。
他人だから、直接その人を変えることは出来ない。
何か気に入らないところがあって「変えてくる」と命令しても、そう簡単に変わってくれるものじゃない。
だけど僕らは、自分が恋人に対して取るアプローチを変えることは出来る。
そして「恋人との関係性」を調整することは出来る。
そう、僕らが変えられるのは「恋人」じゃなくて「恋人に対するアプローチ」なのだ。
恋人へのプレゼント
たとえば、その恋人は白いクッキーが好きだとしよう。
もしあなたが恋人の好物を理解していて、「白いクッキー」をあげたら、たぶん恋人は喜んでくれるだろう。(絶対とは限らないけれど)
だけど逆に、恋人の好みを理解しておらず「黒いせんべえ」、あんまり喜んでくれないかもしれない。(絶対とは限らないけれど)
なので、あなたがまずするべきなのは、恋人の好みを理解すること。
そして次に、適切なプレゼントをあげるということだ。
最後に、それでも恋人が本当に喜んでくれるかどうかは、恋人次第だ。
もし喜んでくれなければ、次からはまたアプローチを変えれば良い。
たとえばその恋人とは、まだつきあい始めで、好みが分からないなら、直接聞いてみれば良い。
そうでなくても、こまめに色々なプレゼントをあげて、反応を観察すれば、だんだん何が良いプレゼントなのか分かってくるかもしれない。
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まとめ
- 心は直接変えられない
- 心に対するアプローチは変えられる
- ひとつのアプローチで、心が喜んでくれるかどうかは、コントロールできない
- 心を理解して、適切なアプローチを取れば、心との関係性はうまくいきやすい
たとえば人間関係と同じで、心も「コントロール出来る要素」と「コントロールできない要素」が何層かにミックスされて、お互いに影響し合っているものなのだ。