脳は賢いが思考は馬鹿
大前提
- 僕たちは自分自身を、ほとんど正確に理解できていない。
- 僕たちは自分自身を、正確に理解できていると、思い込んでいる。
この二つの法則がある
イメージ
95%理解できてる (思い込み)
95%理解できてない (真実)
エピソード1
たとえば「なんか汚いな」と感じる場所に行った時。
どこを見ても、目立つほど変な部分は見当たらない。
理由が分からないので、いろいろなところに目線を移して
「自分がどこに汚さを感じているか」を感じようとしてみるけど、ぜんぜん分からない。
10分考えても分からない。
だけどある時「視覚じゃなくて、嗅覚のせいじゃないだろうか?」という仮説が浮かぶ。
そして実験に鼻をつまんでみると、不思議と「汚さ」を感じなくなっていることに気付く。
視覚じゃなくて嗅覚が理由だった。
これだけ考えてようやく分かるなんて。
脳は感じているのに、思考は馬鹿だ。
エピソード2
つくってから5日経ったポップコーンを食べさせる実験で分かった。シカゴ郊外の映画館で、気の抜けたポップコーンを無料で提供した。ある人たちには中くらいのサイズを、別の人たちには大きなサイズのカップを渡した。映画が終わったとき、残ったポップコーンを量った。大きなカップを受けとった人は、53%多く食べていた。
わざとまずくしたポップコーンをLサイズ無料なら、食べてしまう…映画館なら|食べる喜び 食べる楽しさを 健康とともに!(change!change!change!を改めました)
この実験で被験者に「カップのサイズのせいで食べすぎたんじゃないか」ということを聞いたところ、誰ひとりそう思った人はいなかったそうな。
やっぱり思考は馬鹿だ。
なぜか不思議と起こること
- 瞑想でEQが高まる理由
- 良いイメージを描くと、良い瞑想が出来る理由
- 「瞑想は回復だ」「瞑想は消費だ」という、どちらの信念も、自己予言的に成立する理由
あるものは科学で解明されていたり、いなかったりする。
だけど僕らはこういった理由を、完全に正しくは理解できていない。
多くの現象は「なぜか、不思議と起こること」なのだ。
(瞑想を続けていると、自己観察力が高まるので、以前よりはるかに適切なモデルを描くことは出来る)
思考は馬鹿だと理解する
大前提として「思考は馬鹿だ」と理解しておくのが良いと思う。
なぜなら、本当にそうなのだから。
たぶん意識や体のことを、5%も分かっていない。
逆に「思考は賢くて、95%のことを分かっている」という理解だと、罠にはまりやすいと思う。
- たった10回の呼吸で、気分が落ち着くはずがない
- たかがイメージで、瞑想の効果が変わるわけがない
- 頭で理解出来ない現象は起こらないはずだ
と考えても、実際の現象は違ったりする。
起こったことが真実
だからこそ、なんでも実験してみたら良いと思う。
「頭で考えたことが真実」じゃなくて、
「起こったことが真実」だ。