マインドフルネスやってみた

瞑想で人生のレシピ作り

自然を眺めると癒やされる理由

気のせいじゃなく、本当に自然は人間の脳に優しいパターンを描いているらしい。

 

僕も街を歩いている時、自然の多い散歩道に差し掛かった途端、本当に頭が癒やされるのを感じる。

自然が少ない場所でも、道の脇に生えている樹木を見つめるだけでも、癒やしが起こる気がする。

まったく自然がない場所でも、遠くのビルを見つめたり、空を眺めたりすると、心が癒やされる。

 

 

視覚情報は僕らの想像以上に、脳に影響を与えているみたいだ。

 

道を歩く時や、休憩する時は、意識的に「脳が癒される景色」を探してみよう。

「この方向を見ると癒やされる」とか「この景色の前では落ち着かない」という違いを感じてみよう。

 

f:id:yumainaura:20180123063339p:plain

クールダウンの時間予測

たとえば、心を落ち着かせるために瞑想をする時。

 

何分ぐらいで心が落ち着くだろう? と予測を立ててみる。

もしくは、何回の呼吸で心が落ち着くだろう? と予測を立てる。

そして、その回数まで呼吸をカウントしてみる。

 

「読書でエネルギーを消費したと思うから、30回呼吸を数えてみよう」

「今はかなり脳のタービンが回っているから、落ち着くまで呼吸60回は必要だろうな」

 

なんていう風に、目を閉じて瞑想をしてみる。

僕の実感では、呼吸を30回もカウントすると、まるで気分が変わってしまう。

 

こうやって予測してみるメリットは、二個ある。 

 

ひとつは、予測を立てることで、最初から余裕を待てること。

もうひとつは、自分の変化を観察しやすくなることだ。

 

脳の追求スイッチが入っている時、その感覚は支配的だ。 

それが、あくまで一時的な状態だと認識しづらい。

袋小路から抜け出すには、理性で考えて対策を取る必要がある。

なぜなら、既に感覚は支配されている状態だからだ。

 

だから理性で予測を立てて、感覚が変わるかどうかを実験してみる。

予測を立てるということは、理性と感覚が手をつないで、協力し合うための方法だ。

 

人生で大事なことはロックマンから学びなさい

ファミコンロックマンというゲームがある。

 

このゲームでは、6体のボスがいる。

1体のボスを倒すと、特別な武器が手に入って、他のボスを倒しやすくなる。

 

たとえば、

 

  • アイスマン」を倒すと「アイススラッシャー」という武器が手に入って「ファイヤーマン」を倒すのが簡単になる。
  • 「ファイヤーマン」を倒すと「ファイヤー」が手に入って「ボンバーマン」を倒しやすくなる。
  • ボンバーマン」を倒すと「ハイパーボム」が手に入って「ガッツマン」を倒しやすくなる。

 

ちなみにボスに挑むのは、どんな順番でも良い。

なのでまずは自分が得意なボスを倒しておいてから、他のボスに挑めば良いのだ。

 

最初は弱い武器しか持っていないけれど、ゲームが進むに連れて、どんなボスとも戦いやすくなる。

自分が一番苦手なボスに挑むのは、武器がほとんど揃った最後で良い。

 

ロックマンのごとく

なぜこんな話をしたかというと、自分の人生を改善するのは、ロックマンに似ていると思ったからだ。

自己改善にも様々な要素があり、お互いに助け合う関係にある。

 

たとえば自分が得意なのが「読書」だったとする。

本をよく読んでいると、たくさん役に立つ情報が入ってくる。

 

その中で「瞑想が良い」ということを知って、瞑想を始めてみる。

瞑想のトレーニングを続けていると、自分の体の状態をコントロールしやすくなり、運動がやりやすくなる。

 

日頃の運動を始めると、体に良いものを食べたくなって、食事が改善される。

食事と運動が改善されると、夜は眠くなって、睡眠も改善しやすくなる。

 

睡眠が改善されると、朝はエネルギーに満ちた状態で、本を読んでも頭に入ってきやすい。

 

さらに、こうやって他の要素が「お膳立て」されていると、他、なにか新しいことを始めようと思った時にも、習慣化がやりやすくなる。

ここで紹介したのは多くの物事のほんの一部だけで、実際にはよりたくさんの要素が「補い合う」関係を持っている。

 

この場合でいうと「読書」がキーストーンハビット(習慣の鍵)だったことがあ分かる。

最初は小さな武器だけを持った状態から、多くの武器を使える状態へと、ぐるぐると影響の輪を広げていくことが出来たわけだ。

 

どれが良いの? 思考

僕はトレーニングを始めた最初の頃、

「瞑想は万能じゃないの?」「瞑想と運動、どちらが良いの?」というような、直線的な考え方をしていた。

 

だけど今では、多くの要素が助け合うばかりではなく、お互いを循環的に良くしていくということが分かっている。

 

この世界では、実は、直線的なものはすごく少ない。

物事の本質は循環的だ。つまり、円を描く。

 

息を吐いて吸うように、循環している。

 

 

 

 

 

睡眠は技術

僕らの睡眠に対する考え方は、全方位的に間違っているみたいだ。

なので「全とっかえ」する必要がある。

 

  • (睡眠に対して無自覚な状態) => 睡眠は技術だ
  • 睡眠は量だ => 睡眠は質だ
  • 睡眠は義務だ => 睡眠は娯楽だ
  • 睡眠は消費だ => 睡眠は投資だ
  • 睡眠は怠惰の象徴だ => 睡眠には創造性が宿る

 

f:id:yumainaura:20180121061918p:plain 

 

f:id:yumainaura:20180121061933p:plain

 

睡眠だけではなく、休息全般にも当てはまる。

 

f:id:yumainaura:20180101134205p:plain

村上春樹とマイドフルネス

人間の感情や意識というものは、本当に奥深くて、微妙なニュアンスの中に実体が存在すると思う。

無限とも言える色や形、温度や状態の組み合わせを持っている。

 

僕が説得力があると思うテキストは、村上春樹の小説だ。

村上春樹を読むと、人間の感情や、存在のニュアンスというものを、美食家のように味わっている気分になる。

 

仮に、マインドフルネスで鍛えられる「審美眼」のようなものがあるとしたら、それが研ぎ澄まされた状態を、シミュレーションすることが出来る気がする。

そして何より、自分が感じている「感情のクオリア」というものが、幻ではなく、本当に実在するのだと思わせてくれる。

 

だから、たまには小説を読むと良い。

小説を含む芸術は、実用書ではほとんど働かない、脳の特別な部位を働かせてくれる。

 

f:id:yumainaura:20180121145003p:plain

 

 

瞑想は投資タイム

瞑想をした日は、なんだか不思議と、調子が良い。

これはいくつかの本にも書かれていたことで、僕自身も実感しているので、たぶん普遍的な現象なんだろう。

 

どうやら瞑想の効果は

「意識している部分」

「意識していない部分」

の両方に及ぶみたいだ。

瞑想は投資

僕も瞑想をしていて、ほんのちょっとした退屈さを感じる時もある。

というよりも、最高の心地良さや、変化を感じ取れない場合もある。

 

そんな時は、これが投資の時間だと理解したい。

すると、目の前で特別なことが起きていなくても、瞑想が楽しいのだ。

 

投資のメリット

 

投資の特徴は「今すぐに回収しなくても良い」ということだ。

すぐに利益が上がらなくても良くて、将来的に大きく回収すれば良い。

 

これが消費なら面白くない。

単にお金を使っているだけだから。

 

だけど瞑想は投資だ。

今、目の前でお金が増えていなくても、将来の複利を考えるとニヤニヤしてしまう。

 

なおかつ瞑想の場合、目の前で利益が上がることもはるかに多いから、本当にすごい話。

元手は少なく始められ、税金はかからず、多くの場合はすぐに報酬があり、その報酬も複利計算され、株主配当まで付いている。

しかも、投資に慣れれば慣れるほど、レバレッジが効いてリターンが増大していく。

 

 

早起きできない人のための「戦略的に朝型に変わる技術」

僕自身、睡眠は最も苦手分野だ。

 

今まで、とても睡眠の質が良いとは言えない生活だった。

分かっていながら、今まで、ほとんど手を出すことが出来なかった。

 

睡眠の改善をしようと人生で何十回も挑戦したけれど、そのたび挫折を繰り返してきた。

もうなかば諦めの状態だったのだと思う。

 

1年に1度の決意 

1年に1回ぐらいは「朝型になろう」と決意する。

そして決意したその日と、その次の日ぐらいは、どうにか早起き出来る。

太陽と一緒に目覚める爽快さを噛みしめる。

体中にエネルギーが溢れている感覚になる。

「毎日こんなふうに目覚めたら、毎日、こんなエネルギー状態で過ごせるんだ」と、興奮する。

ちょっとした無敵感すらある。

 

だけど早起きした分だけ、夕方は辛い。

「やはり、早起きは自分に合ってないんじゃないだろうか」と思い始める。

2日目も気力を振り絞って朝早くに起きるが、1日目のようなエネルギーはない。

3日目はもうダメだ。とても朝起きる気力は残っていない。

 

毎回必ず「3日目の壁」に阻まれていたような気がする。

朝型に変わる技術

最近思った事は、朝型に変わるには、ちゃんとした技術が必要だということだ。

人間の仕組みを理解している必要がある。

 

ただでさえ生活リズムを変えるのは難易度が高いのに、これは自分の苦手分野でもある。

「決意」や「モチベーション」だけではどうにもならない。

むしろ、決意やモチベーションに頼らない戦略が必要だ。

 

たとえば、

 

  • 朝早く起きた分、昼寝を多めに取ったり、夜は時間を決めて眠りにつくこと
  • 朝昼は多くの光を浴びて、夜は暗い環境の中で過ごすこと
  • 夕方から夜に向けて、だんだんと体や脳の活性度を下げていくこと
  • 夜、眠る前に「明日起きる時間」を思い出して、目覚めのイメージを作ること
  • 早起きしてやることを用意する (僕の場合は、人が少なく静かなスターバックスに行って、コーヒーを飲みながらくつろぐこと)
  • 早起きしてなにか良いことがあったら、それをマインドフルネスの技術で、深く感じ取って、体に記憶すること (報酬の大きさを脳に刻んで、いつでも思い出せるようにしておく)
  • 「早起きする理由」が分からなくなったら、ちょっと考えて思い出してみる (人間の脳は簡単に動機を忘れる)
  • 「早起きする理由」がすぐ思い出せなくても「そもそも必要なのか?」と自分に問わず、淡々と続けること (「過去の自分が決めたこと」を信頼する。「ただ、習慣にしたい」からやる)
  • 眠る90分前に熱い風呂に入ること
  • 朝起きたら、顔を洗ったり、歯を磨いたり、冷たい水で手を洗ったりして、感覚刺激を与えていくこと
  • 夜、寝室で電子機器を触らないこと(皆分かっているだろうが、これがなかなか難しい。僕も書き残したブログを書きたいし、本も読みたい。だけど自分が朝型に変わってしまえば、きっと朝にやる習慣が身につくはずだ)
  • 決してモチベーションに頼らないこと、習慣化の技術をフルに利用すること (「小さな習慣」という偉大な本に教わった)

 

というようなこと。

 

改めて書き出してみると、朝早起きをするために、様々な戦略を投じていることが分かる。

おそらく、変える難易度が高い習慣であればあるほど、こうした「全面的な戦略」と「多種多様な攻め方」が必要なのだ。

 

成功と失敗を分けるもの

睡眠は改善する価値がある。

これからの人生で、僕らは何万回眠ったり、起きたりするだろう。

 

同時に、睡眠はとても繊細だ。

あらゆる戦略を、すごく慎重に、ナイーブに実行していく必要がある。

 

以前は、こういった技術をほとんど何も身につけていなかった。

ただやることと言えば「早起きを決意する」「モチベーションを上げようとする」だけだった。

 

このモチベーションという柱が折れてしまったら、もう失敗は決まったようなものだった。

そして、この柱は非常に折れやすいものだった。

 

瞑想と睡眠

瞑想の習慣が僕に味方してくれている。

 

まず、夜にはネガティブなことを考えないこと。

僕にとって、夜ネガティブな気持ちのまま眠ることは、かなり大きなボトルネックだった。

睡眠の質を下げるし、次の日の早起きが難しくなる。

だって、明日に希望がなければ、どうして朝早く起きようなんて思えるだろう。

(早起きは人生に希望のある人の習慣だ)

 

もうひとつは、眠ること自体がすごく上手くなったこと。

眠る時に、自分の感覚の中で眠気=睡眠圧のようなものを見つけて、それに身を委ねる感覚が分かった。

「眠気」は今まで「抵抗するもの」というイメージがあったけれど、逆に「体を委ねる」ことで、ずいぶん寝付きが良くなったように思う。

 

他にも

「早起きした報酬を、体中で感じ取って、報酬にする」

「自分の状態を観察して、必要な時に睡眠を取る」

など、細かなレベルでも瞑想が味方になってくれている。

 

睡眠でも、瞑想は僕にとってキーストーンホビット(鍵となる習慣)みたいだ。

 

参考

SLEEP 最高の脳と身体をつくる睡眠の技術

f:id:yumainaura:20180121061918p:plain

 

スタンフォード式 最高の睡眠

f:id:yumainaura:20180121061933p:plain

 

追記

この記事を書き終えたのは、日曜日の朝。

6時半のこと。

 

もう5日間連続で、この時間帯に目覚めることが出来ている。

僕の人生の今までのパターンを振り返ると、ここまで早起きが連続するのは、もはや奇跡と言っても過言じゃない。

 

確かに嬉しいことではある。

だけど僕は手放して喜んだりはしない。

もうモチベーションには頼らない。

どんなジンクスも信じない。

 

重要なのは、習慣作り。ただそれだけ。

どんな手順で起きて、どんな手順で眠るかということ。

いちど決めた戦略を毎日思い出して、1日1日、計略的に習慣形成をしていくことだ。