飲み会が苦手な人のためのトレーニング 〜瞑想でコミュ力を磨く〜
瞑想の訓練をしていると、飲み会に参加するのが楽になるかもしれない。
苦手意識が減って、人と話すのを楽しめるようになるかもしれない。
忘年会のイラスト「サラリーマンの飲み会」 | かわいいフリー素材集 いらすとや
飲み会が苦手だ
僕は個人的に、飲み会やパーティーというのがどうしても苦手だった。
なんだか、人の欲望や意図がうずまいているような気がした。
心から楽しめたことは、人生でもほとんどなかったような気がする。
常に努力して人とコミュニケーションを取っていた。
みんなどうでも良い話題で大笑いしているし、一見は楽しそうだけど、ほとんどがディスコミュニケーションで構成されているように見えた。
要するに「飲み会のお決まりのノリ」について行くのが辛かったのだ。
あれは一種の、コミュニケーションの世界のフォーマットだと思うが、僕に合うフォーマットではなかった。
飲み会の間の雑念
自分が飲み会の間に考えていることと言えば、
- どうやって人の関心を引くか
- どうやって他の人の話に遅れず付いていくか
- どうやって自分がしたいような話をするか (無意識に「こんな話がしたい」というイメージを描いており、それが実現できずに失望を感じることも多かった)
- あの人のあの話し方が気に入らない (今、完全にこちらの話を無視したような気がする)
そんなことばかりだった。
サービス精神を発揮して、皆が楽しめるようにと場を盛り上げようとする時もあった。
だけれど、それでも最後にはどっと疲れを感じた。
飲み会は瞑想の訓練になる
飲み会は実は、瞑想のチャンスだ。
ふだん一人では出来ない「脳の社会的な部分」を含めて、トレーニングをおこなうことが出来る。
飲み会というのは、複数人の人が完全なフリースタイルで話し合う。
特に目的もないし、誰がどう振る舞うことも出来る場所。
1秒1秒、膨大な情報量が交換され、あるいは見逃されていく。
(たとえば合コンでも、男が気付かない多くの情報を、女性は受け取っていたりする)
ここまでコミュニケーション力が必要とされる、社会的な場所はない。
人間は仕事よりも、日常会話などの対人コミュニケーションに、かなりの高度なスキルを使っているらしい。
瞑想的な飲み会の参加方法
と言っても、特別に、何か変わったことをするというわけじゃない。
それよりも、どんな行動を取っても「心がバランシングされている」という状態を作ることが必要だ。
- 人の話をよく聞く (心をバランシングしながら)
- 人の表情を見る (自分の思考よりも、相手の状態に注目する)
- 人と話す (自分が言ったことに後悔したりしない)
- たまに沈黙が訪れても、焦らず静かに呼吸をする
つまり、飲み会にいても「普段瞑想しているような自分」を保てるようにする。
何か特別なことをするのではなくて、何も特別なことをしないというのが正解だ。
個人的な楽しみ方
僕は最近、飲み会での雰囲気や、他の人が楽しそうに話しているのを眺めるのが好きだ。
1秒1秒移り変わる人同士のコミュニケーション、これはなかなか美しい光景だと思う。
世の中にはたくさん綺麗な景色や、優れた映画もあるけれど、
人同士が話し合う光景というのも、一種の芸術品のように感じる。
これは「自分の箱の中」に閉じこもっていたら、気づかない光景だ。
そんな感じで「あ、今楽しめているな」という瞬間が以前よりも、多くなった。
もしくは「今、楽しめていないな」と気付いて、そんな自分の反応を眺めていることもある。
どちらにせよ「自分本位の狭い世界」にはまり込んで、悪循環をすることはなくなった。
ちなみに、あぐらを組みながら、そっと足元で手を組んで、瞑想の姿勢を取っていたりもする。
社会的な自分を見つける
飲み会に限らずだけれど、人とコミュニケーションを取るということは、社会的な自分を見つけるということでもある。
ひとりで瞑想をしている時には見つからない、弱い自分が見つかることもあるかもしrない。
だけど、そんな自分の反応もひっくるめて、受け流したり、受け入れたりするのが瞑想のトレーニングになると思う。
反論
「飲み会の最中にも瞑想するなんて」
「もっと何も考えず楽しめば良いのに」
そんな声が自分の頭に勝手に聞こえてきた。
違う、逆だ。
むしろ、何も考えずに楽しめるようになるために、訓練をしている。
人生には楽しめない場所よりも、楽しめる場所が多い方が良い。
以前は楽しめなかったものが、次には楽しめるようになる。これほど楽しいことはない。
「コミュ力」というのは究極的には、人と自分を楽しませる手段なのだから。
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