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瞑想1年の効果 > ストレスが減り 息をするように仕事が出来るようになった

瞑想を初めて1年近くが経過した。

最近、まるで息をするように仕事を出来るようになった。 PCと遊びながら息をしていると、いつの間にか1日が終わっているという感覚だ。

これはもちろん比喩だ。

実際にはPCのディスプレイに向かって作業をしたり、社内チャットで必要な連絡をしたり、ミーティングに出たり、1日のスケジュールを立てたりということをしている。

だけどこの全てが「息をしている感覚」に近くなってきた。 辛い、しんどいということが、ほぼない。

これは明らかに瞑想の効果だと思っている。

人間が仕事で疲れる理由

いま振り返ってみると、人間が仕事で疲れるというのは、

  • 焦りやプレッシャーを感じて、筋肉に緊張が走る
  • コンディションを考えずに、仕事をやりすぎる
  • 頭の中で何百回も余計なことを考える

ということが、深く関わっているのだなと感じた。

ものすごく楽しくてリラックスできる仕事は、いつまででも続けられる。疲れない。というのは本当なのだ。

1 x 100

自分では意識していない部分。 「そんなことで疲れるはずはない」と思う要素にこそ、消耗の種は隠れている。

たとえば無意識に、1の緊張を100回繰り返せば、消耗度は100だ。 これは10の緊張を1回だけ感じるよりも、ずっと大きな破壊力がある。

無意識だからこそ気付きにくい。 無意識だからこそ、自分が消耗している原因が分からない。

だけど瞑想を続けることで、この1x100の消耗に早く気付いて、それを防ぎやすくなる。

仕事を楽しもうとする戦略は?

だからといって、意識して仕事を楽しもう、リラックスしようとしても無駄だ。 よほど心の扱い方がうまくないと、楽しもうとすることが逆に緊張を引き起こす。

そして「楽しもうとする戦略」「リラックスしようとする戦略」の無力さを思いすることになる。

うまくいく確率なんて1/100以下なんじゃないだろうか。

少なくとも僕にはそう感じられる。 なぜなら人生の中で、意識的に楽しもうという試みは、ほぼ全てが失敗に終わってきたからだ。

これは効果的な戦略ではない。

瞑想のメリット

それよりも効果的なのは、

  • 力が入っている時に、それに気付いて、力を抜くことが出来る
  • 自分の心のペースを、絶妙な感覚で保ち続ける

ということだ。 1日の間中、絶妙な感覚で「軽さ」を保ちながら、その感覚をリレーしていく。

二本立ての効果

瞑想だって完璧ではない。 人間ならば疲れだって感じことだってある。

だけど自分の状態に注意深くなることで、

  • そもそも、疲れにくくなる
  • 疲れを感じ始めた時に、早めに気付いて、体制を立て直すことが出来る
    • 例えば、疲れのピークに達する前に、ひと休憩するというアクションを起こすことが出来る

という二本立ての効果がある。こいつは強力だ。

この二つの効果によって、仕事疲れをかなりの度合いで軽減することが出来る、というのが僕の実感だ。

具体的な訓練

  • フォーマルな瞑想で、自分の体や、心の感覚を観察してみよう
    • 基本的な観察能力、バランス感覚を伸ばしていこう。
  • 仕事中に、集中力が逸れたり、体に余計な緊張が走る瞬間を観察してみよう。
    • 集中力が逸れたら、仕事に注意を戻してみよう。
    • 体に緊張が走っているのが分かったら、ふわっと「中心」にバランスを戻してみよう。緊張が走るのは、バランス感覚が上下左右、奥手前のどこかにズレているのが原因であることが多いから。

おすすめの本

Kindleのサンプル版に「瞑想の基本」の全てが書いてある。

なぜなら瞑想の基本は、たった1ページだけで解説できるようなものだからだ。ぜひ読んでみてほしい。

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瞑想と「トルネコの大冒険 不思議なダンジョン」の共通点

君は「トルネコの大冒険 不思議なダンジョン」シリーズを知っているだろうか。

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このゲームではダンジョンに挑む。 だが、毎回ダンジョンの形は変わる。

敵の出現場所も変わるし、落ちているアイテムも変わる。 それを知恵で乗り切るのがこのゲームの特徴だ。

瞑想はダンジョンだ

瞑想はこのゲームに似ている。 なぜなら毎回遊ぶたびに、ダンジョンの形は変わっている。

だから「前と同じやり方で遊ぼう」と決めてしまっても、実は役に立たない。

前と同じアイテムは落ちていないだろうし、前と同じ敵が出てくるとは限らない。 空腹度だって前とは違うだろう。

具体的な話

  • ある日は、ふわっとした軽さを求めて、心のバランスを保とうとしてみる。
  • 集中力がみなぎっている日は、呼吸に深く集中したり、言葉のない世界を探してみる。
  • 特別な問題を感じる日は、その問題のことをじっくり考えてみる。
  • 集中力が落ちている日は、何も頑張らずに、ただ楽に座ってみる。

まとめ

  • 昨日には昨日の冒険がある。
  • 今日は今日の冒険がある。
  • 明日には明日の冒険がある。

瞑想はダンジョンだ。毎回、形が違うから面白い。

今日はまた別の冒険をしよう。

決定疲れを防ぐ戦略 2 〜もう二度と迷わない方法〜

決定を焦らない

別の記事で紹介した「瞬時に決める」という方法とは相反するようだが、じっくりと、焦らずにに考えることも有効だ。

決定疲れが起こるのは、心の迷いによって僕らが無意識に頑張ったり、焦ったりしてしまうからだと、僕は考えている。

つまり、落ち着いた心で、穏やかに考え続けることでも、決定疲れを避けることが出来る。 特に重要な事柄に関しては「じっくり、ゆっくりと考える」「決定を焦らない」ということが有効だ。

  • どれだけ時間をかけて考えても良い
  • 長く考えた結果、答えが出てこなくても問題ない

こういう心構えで考えるならば、それは迷いではなくなり、心の消耗を防ぐことが出来る。

もし、ものすごく重要な決断をしなければいけない場合は、瞑想をしながら考えることをオススメする。

保留にする

保留にするというのは、決定のひとつの形だ。

保留にする狙いは「しばらくの間迷ったり、決定しなくて良い状態」を作ることだ。 なので些細なことの決定は、とりあえず保留にしてしまう手がある。

心が迷い始めた瞬間に「保留にしよう」「あとで考えよう」と、その迷いを棚上げしてしまう

そうするといつの間にか、決定すること自体を忘れてしまったり、問題が問題でなくなったりしているかもしれない。 (そういうことは人生で多々あるだろう)

だけど保留にすることで、

  • 本当に保留にして良いのだろうか
  • 一体、いつまで保留にするのだろうか
  • 保留の期限は決めたけれど、この期限は適切なのだろうか

と心が迷い始めるとしたら、これは戦略が失敗していることにする。

あくまでも「迷い」や「決定疲れ」を防ぐための保留であることを理解した上で、この戦略を取ってみよう。

決定のルールを決定する

たとえば「飲食店でメニューに迷った場合は、一番最初に頭に浮かんだ方に決める」とか。 そういうルールを作ってしまう。

僕たちが決定にあたって迷うのは、

  • 決定が適切かどうか分からないこと
  • 決定をする方法が適切かどうか分からないこと

の二つよる。

この世の中の多くのロジックと同じように、 「決定」もまた、メタ的に機能しているのだ。

決定のルールを決めることで、決定に関する決定を避けることが出来る。 ルールがあれば迷うことはない。

ちなみにこれは、決定に関するルール作りや、決定方法自体の見直しをやめるという話ではない。 決定に関する決定が重要だからこそ、無意識の間にこの心のプロセスを発生させず、必要なら時間をとって、意識して取り組むことが重要なのだ。

ゆるい計画を立てる

たとえば休日にすることが決まっていなくて「今日は何をしよう」「次に何をしよう」と考え続けていると、決定疲れを起こす。

なのでゆるい計画を立ててみる。

  • 8時からはブログを書いたり、瞑想をしたりする
  • 14時ぐらいから街に出てカフェで過ごす
  • 18時からはミニシアターで映画を観る

こんな風に。

なぜゆるい計画にするかというと、これはあくまで、決定疲れを防ぐためのものだから。 ガチガチに計画を固めてしまうと、逆に計画すること自体にコストを費やし、計画変更にもコストがかかるからという理由だ。

「計画のための計画」にならないように注意だ。

あくまでも目的は、休日の行動を迷わないようにするため。 計画によって逆に心が迷い始めるようであれば、本末転倒だ。

これは、あなたの心の感じ方に合わせてほしい。 あなた自身の心が、一番迷わないやり方を見つけると良いだろう。

心の感じ方は人それぞれだ。

自動操縦に任せる

自動操縦の行動に任せる 〜無意識に服を着替える方法〜 を参照してほしい。

自動操縦の行動に任せる 〜無意識に服を着替える方法〜

この記事では、ひとつ面白い遊びを紹介しよう。 それは「何も考えずに、服を着替えられるか?」という実験だ。

意識と無意識

僕たちは体を自分でコントロールしていると思いこんでいるが、実はそうではない。体は無意識レベルで動いている。

理論的には誰もが知っているかもしれないが、それを日常の中で見つけられているかというと、別問題だろう。 (だって、そもそも意識できないのが無意識じゃないか?)

でも日常の中で、無意識の働きは簡単に見つけることが出来る。

考えずに服を着替える

たとえば、服を着替えるときのことを考えてみよう。 服を着替えるのは、意識のプロセスだろうか? 無意識のプロセスだろうか?

小さい子どもにとっては意識的なプロセスだろう。 なぜならまだ、服の着替え方に慣れていないからだ。

だけどほとんどの大人にとっては、ほぼ無意識のプロセスになっているはずだ。 なぜなら、人生で何千回も服を着替えてきたから。

僕たちが 何も考えなくても 体が自動的に動いて、ボタンを留めたり、ジャケットを羽織ったりしていることに、気付いているだろうか?

いちど、何も考えずに服を着替えられるかどうか、試してみてほしい。 (何も起こらなかったら、ごめん。僕の場合は成功した)

発見

僕は最近、自分が何も考えなくても、自動的に服を着替えられることに気付いた。

このとき「おお、何も考えなくても、体が自動的に動いている!」というのを目の当たりにして、本当に驚いた。 大げさに言うのならば、意識というものの神秘を垣間見たような気がした。(いや、大げさじゃないかもしれない)

僕が今まで「自分で考えて、服を着替えている」と思っていたのは、ただの思いこみだったのだ。 服を着替えるというプロセスが、一番最初は意識的なものだったせいで、その名残が残っているだけなのだと理解した。

つまり、それから僕は「服を着替えている自分」の邪魔をしない。ただ、それだけで良くなった。

こうして意志力の消耗を抑えることに成功した。

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脳のプロセス

これは人間の脳のプロセスからいうと、本当のことらしい。

たとえば今僕はブログを書いているが、キーボードの配列を全て記憶して、意識して指を動かしているわけではない。 意識の上位のレベルにおいては「何を書こうか」ということさえ、意識的にはおこなっていない。

ほとんどのことは自動操縦で進んでいき、僕の意識はそれを見守っているだけという感覚だ。

(瞑想を続けていると、無意識的な行動に対する観察もうまくなる)

飛行機は自動操縦

もうひとつ例えを出そう。 たとえば現代の飛行機は、ほとんどが自動操縦で飛んでいるという。

自動操縦で飛んでいるにも関わらず、余計に操縦桿を握れば、飛行機は逆にバランスを崩してしまうだろう。

人間の行動というのもこれに似ている。 生活のほとんどは、実は自動操縦で動いている。

僕たちが操縦桿を握るのは、手動でコントロールする必要が出たときだけだ。 イレギュラーな対応が必要になった場合だけで良い。

日常の実践

たとえば、忙しい時は自動操縦に任せる。

朝忙しい時に「あれをして、次にこれをして」と頭で考えて、それを実行するのはエネルギーを使うだろう。 なので意志を介在させずに、体が動くままに任せてみたりする。

すると案外、体はうまく事を運んでくれたりするのだ。 自分の意識は、ただそれを見守るだけで良い。

メリット

「自動操縦に任せるメソッド」の良いところは、とにかく、楽になるところだ。 マニュアルの操縦を最低限に減らすことで、エネルギーの消費も最小限にすることが出来る。

最初はちょっとコツが必要かもしれない。 だけど本当に楽になるので、ぜひ試してみてほしい。

もちろん、そもそもまだオートメーションのレベルにない行動に関しては、最初に着替え方を覚える子どものように、意識的に覚えなければいけないだろう。

けれど既にオートメーションされている行動に対して、マニュアル操作はしなくて良い。

それよりも、もっと重要なことに意志力を使おう。 日々の重要な決定や、そして行動のために、些細なことに消耗せず、意志力を潤沢に残しておこう。

具体的な訓練

たとえば、

  • 着替えの時
  • 食事をする時
  • (車の通らない安全な)道を歩く時

など、日常の行動で、自動操縦が働いているかどうかを観察してみる。

そこにマニュアルの意識が入り込もうとするたびに、それをやめて、オートな働きにまかせてみる。

決定疲れを防ぐ戦略 〜もう二度と迷わない方法〜

「迷うことは、どちらでも良い」と理解する

僕らは、重要ではない事柄に関しても、重要であるかのように思い込む癖がある。 たとえば僕の場合、街を歩いていて「どの道を曲がるか」ということにさえ、迷いを感じている自分に気付く。(どちらの道のほうがマインドフルになれるだろうか? なんて)

その昔、TV番組である芸能人が言っていた。 「迷うということは、どちらでも良いってことだ」って。

この話を、僕はずっと時間が経った今でも覚えている。

重要な事柄に関しては、よく考えるべきだ。 だけど些細な事柄に関しては、迷う価値がないということがほとんどだ。

たとえば道Aを行っても、道Bを行っても、自分がどんな気持ちになるかは分からない。 どうせ人間の決定は、思うほど結果をコントロールできない。

それならば、些細な事に関しては「どちらでも良い」と理解して、決定の重要度を下げてしまうこと。 自分が些細な事に迷いを感じているのに気付いたら、「どちらでも大して変わらない」と、迷いを手放してみることだ。

瞬時に決定する

決める時間が短ければ短いほど、意志力を消耗せずに済む。 なぜなら、心の中で何回も、迷いと決定を繰り返さなくて良いからだ。

  • Aが良いだろうか。
  • それともBが良いだろうか。
  • よしAに決めよう。
  • でもやっぱりBの方が良いかもしれない。
  • そういえばCという選択肢もあるな。
  • Aの後にBをするという手もある。
  • 仮にAに決めるとしたら、 A-1 A-2 A-3 というバリエーションがある。
  • 仮にBに決めるとしたら、 B-1 B-2 というバリエーションがある。
  • A-1 と B-2 ではどちらが優れているだろうか?

と考え続けていれば、それは決定疲れを起しても仕方がない。

迷いの時間は、短ければ短いほど良い。 なので、瞬時に決められることは、瞬時に決めてしまった方が良い。

特に些細な事柄に対しては。

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コストパフォーマンスを考える

僕らはだいたい「良い選択さえすれば、良い結果が出るはずだ」と考えている。 まさにそのとおりなのだけれど、あまりコストパフォーマンスは意識していないはずだ。

「意志力の消耗」というバロメータを持っていないのだ。

だがたとえば +10ポイントの結果の向上のために、意志力を100ポイント使ってしまうのは、非常にもったいない。 意志力を100ポイント消費したとしても、結果が向上するという保証もない。

たとえばコンビニで「コカ・コーラを飲むか、ペプシコーラを飲むか」ということでずっと悩み続けるとしたら、心のパワーがもったいないだろう。(それを楽しんでいるならば、ともかくとして)

些細なことに意志力を使わないようにしよう。

「迷っても結果はコントロールできない」と理解する

正確に言うと、それほどはコントロールできない。僕らが思うほどには。

たとえば飲食店のメニューを見ながら「メニューAとメニューBを頼んで、どちらが少しでも幸福感を得られるだろうか」とイメージし続けても、結果の良し悪しは、どうせそれほどコントロールできない。

なぜなら自分の舌がどう感じるかは、ある部分、予想不可能な領域だからだ。

  • その店で頼んだことのないメニューであれば、そもそも正確な予想は不可能だ。
  • 自分の体調、空腹感、シェフの腕、味付けなど、全ての要素を分析して、総合的に幸福度を予測するのはこんなんだ

僕らには「コントロールしようとする癖」がついている。 その結果、ただ意志力を消耗させている。

これは「株式の上下は予測できないにも関わらず、予測できると思い込む」のと似ている。 「競馬の結果は予測できないけれど、予測できると思い込む」のにも似ている。

僕らは、予測の結果が当たれば喜び、外れれば残念がる。 当たれば自分の賢さを祝うし、外れれば自分の愚かさを乗ろう。 そして人生の中で、この予想の精度をより正確にしていこうと考える。

だけどそこにあるのは「コントロールできた」という錯覚と、「もっとコントロールできるはず」という幻想だけだ。

飲食店でメニューAを選んでも、メニューBを選んでも、どちらにしても、人生の幸福度はそれほど変わったりしない。 それよりも大事なのは、出されたメニューをよく味わって食べることだ。

もし「食事の選択」が自分にとって重要な事柄なのであれば、あとで時間をとってゆっくり考えてみれば良い。 (その時は、瞑想しながら、ゆっくり考えてみることをオススメする)

重要なことは、瞑想しながら考えてみる

人生で何度も心に訪れる「迷い」であれば、それは自分にとって重要なものかもしれない。 その時は、瞑想をしながら考えてみることをオススメする。

では、瞑想をしながら考えるのと、普段から考えるのとでは、何が違うのだろうか? それは考えのクオリティ、そして決定のクオリティがまるで違ってくるということだ。

人間は、何度も迷ったからと言って、良い決断が出来るとは限らない。 思考のクオリティが低ければ、決定のクオリティも低くなる。もしくは、決定できずに永遠に迷いを繰り返すことになる。

重要なのは、より良いクオリティで考え、そして決定をおこなうということだ。

瞑想をしながら、落ち着いた環境で、じっくりとひとつの事柄について考えてみることで、意志力の消耗を抑えつつ、思考することが出来る。

具体的な方法としては、目を閉じながら、ひとつのテーマについて考えて、自分の反応を観察してみるだけで良い。

  • どんな思考が頭の中をめぐるか
  • 思考に対して感覚はどんな風に反応するか
  • その感覚はどこから来ているか

をよく観察してみよう。

今までに見えなかった問題点や、新しい視点、そして答えが見えてくるかもしれない。

注意

何が重要な選択で、何が些細な選択か。 これは個人によって違うものだ。

だが、まずは「本当に些細な選択」に対して実践することをオススメする。

勢い余って「家族・友人への連絡」や「仕事での決断」など、他の人が関わる事柄に対して実践するのはオススメしない。 それはおそらく「むしろ、意志力を使うべきもの」かもしれないからだ。

僕らが意志力を温存する理由は、より重要な事柄を決定しやすくするためだ。これは手段であって目的ではない。

意志力を消耗しないための戦略 〜心の迷いを見つける〜

前の記事で、意志力の消耗について書いた。 ( 意志力の消耗を防ぐ 〜ジョブズが黒いタートルネックしか着なかった理由〜 )

ここでは自分のケースを例に、具体的な戦略についてお伝えしようと思う。

戦略

事実は仮定に勝る。

重要なのは戦略よりも、まずは観察だ。 たとえば全く同じ戦略をとっても、人によっては効果が現れたり、現れなかったり、逆効果になるということがあるだろう。

それは人の心の動き方が様々で、見かけは同じように見えても、中身では全く別のプロセスが働く場合があるからだ。

なので「戦略Aを取れば、迷いを減らすことが出来る」と思い込むのではなく、 「戦略Aを取った結果、自分の心の迷いが増したか、減じたか」を実際に観察してみよう。

たとえば休日の過ごし方の話

いきなりだが、1日の過ごし方の話をする。 (僕にとっても、人類にとっても重要なテーマのはずだ)

たとえば僕の場合は、平日よりも休日の方が、過ごし方が難しいと感じていた。

仕事の日は、過ごし方が決まっている。仕事をするだけでいい。(なんて簡単なんだろう) だが休日の行動は、自分で決めなければいけない。

そのせいか、休日の夕方には何故か、エネルギーが枯渇し、憂鬱な気分になっていることが多いと感じていた。 心のバランスも、朝や昼ほどはうまく取れなくなってくる。

だがまさに今日、これはもしかして「決定疲れのせいではないか」と思い浮かんだ。

迷いに気付く

そのように理解してみると、自分が休日の間中、ずっと

  • 「今日は何をしようか」
  • 「次には何をしようか」
  • 「何が一番良い過ごし方なんだろう」

と頭で考え続けていることに気付いたのだ。

僕は1日の間、おそらく100回も200回も、迷いと決定のループを繰り返していた。 (もしかしたら1000回や2000回だったかもしれない)

これでは決定疲れを起こしても仕方がない。

最初の戦略 - 計画を立てる

そこで僕がとった戦略は、休日の計画を立ててみて、もう決定しなくて済むようにするということだった。

  • 朝 8時からはブログを書いたり、瞑想をしたりする
  • 昼 12時ぐらいには街へ出て、買い物をする
  • 夕方 16時からは友人と会う

これで「今日は何をしようか」という決定疲れからは、解放されるはずだ。 だけど、これで本当に問題は解決するのだろうか?

ご名答。ここにも落とし穴はあった。

計画を立てても決定疲れが起こる理由

たとえいったん計画を立てても、自分がその計画自体に懐疑的であれば、やはり心は迷いを繰り返すことになる。

  • この計画で本当に良いのだろうか?
  • もっと良い計画があるのではないだろうか?
  • 計画を変更すべきではないだろうか?
  • この計画通りに行動できるのだろうか?

ということを、100回も200回も繰り返し考えていれば、やはり心は、迷いと決定(あるいは非決定)を続けることになる。 (もしかしたら1000回や2000回かもしれない)

「重要なのは戦略そのものではない」というのは、こういう話だ。 ひとつの戦略をとっても、実質的に心が迷っているようならば、必然的に効果はない。

あくまでも戦略は、心の働きをうまく変えるためのフックに過ぎない。 ひとつの戦略がうまく機能しないのであれば、戦略を変えるか、もしくは心のプロセスそのものを変える必要がある。

次の戦略

僕が次にとった対応は 「計画を立てて、なおかつ、計画について迷わない」ということだった。

  • 重要なのは、計画を立てること自体ではない
  • その計画通りに行動することでもない
  • 迷わないように計画を立てたのだから、計画に関して迷うのは本末転倒だ

ということを理解して、なおかつ、心が迷い始めるたびに

  • 今日は計画があるから、行動を迷わなくていい
  • 計画自体に関しても、迷わなくていい

ということを思い出して、今の瞬間に集中するようにした。

すると、今までのどんな休日よりも「意志力のリソースが残っていること」を感じることが出来た気がする。 夕方を過ぎてもう夜。だがまるで朝昼のようなエネルギーの蓄えを感じた。

これが真実なのか。科学的に正解なのかは、1個人には知る由もない。 だが少なくとも、今日は「心が迷う回数」が、どんなよりも少なかったと実感している。

まとめ

  • 効果的な戦略で、決定疲れを防ごう
  • 「迷わないこと」が最大の目的だと理解しよう
  • 戦略を取っている間の、実際の心のプロセスを観察しよう

参考

意志力の消耗に関しては、軽くだが次の本で紹介されているので、読んでみて欲しい。

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意志力の消耗を防ぐ 〜ジョブズが黒いタートルネックしか着なかった理由〜

スティーブ・ジョブズはいつも同じ種類の服を来ていた。 アインシュタインもまた然りだ。

一体何故なんだろう。

これは「意志力の消耗」を抑えようとしたのだと解釈できる。 彼らは日々の些末な決定に意志力を使わず、より重要な事柄のために資源を残しておこうとしたのではないだろうか。

彼らは恐らく「自分が無敵の人間だ」とは考えなかったであろう。 リソースの有限さを理解して、それを最も重要な事柄に割り当てたはずだ。

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ヒトラーの演説

もう一つの例を挙げよう。

たとえば、ヒトラーの演説は常に夕方におこなわれたという。 夕方には人の意志力が弱まり、演説を受け入れやすくするためだ。

選択によって意志力は消耗する。そして人は1日に多くの選択をする。 朝よりも夕方の方が、決定のクオリティの落ちるのはそのせいだ。

この限られたリソースを、どうやって重要な事柄に配分していくか。 いかに意志力の無駄な消耗を防ぐかということが、マインドフルネスの実践においても重要だ。

なぜなら心をコントロールすることを始め、あるいは出来事を受容したり、適切な対処をしたりすることには、そもそも意志力というリソースが必要だからだ。

ガソリンなしに車は走れない。 腹が減っては戦は出来ない。 意志力が枯渇してしまっては、マインドフルネスは実践できないのだ。

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意志力を残すための戦略

くどいようだが説明しよう。

「決定疲れ」という言葉がある。 僕らはこの影響を過小評価しているが、人は迷うこと、決定することによって、ものすごく多くのエネルギーを消費している。

意志力を潤沢に残しておくためには、具体的な戦略が必要だ。 重要なのは「なるべく迷わないこと」。

とは言っても、どうやって「迷わない」なんてことが出来るのだろう?

まずは、自分自身の心が「迷っている」という瞬間を見つける必要がある。 なぜなら認識すらしていないものを、どうやって避ければ良いのだろうか?

僕らは「知らない間に迷っている」のだ。

対策

意志力を消耗しないための、具体的な例については、次の記事を読んでみてほしい。

( 意志力を消耗しないための戦略 〜心の迷いを見つける〜 )