瞑想とルール作り ( SIMPLE RULES 〜「仕事が速い人」はここまでシンプルに考える〜)

この本を読んで、いくつか個人的なルールを決めてみた。

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ルール作りに関するルール

魅力を感じないものはルール化しない。

(これには「ルールを増やしすぎない」「実用的でないルールは作らない」という他の効用も含まれる)

 

行動全般のルール (迷った時のルール)

- 迷ったらシンプルな方を選ぶ

- 迷ったら人間本位な方を選ぶ

- 迷ったら成長できる方を選ぶ

 

食事に関するルール

- 空腹になったら我慢せず、100kcal-150kcalぐらいのものを食べる。

- 迷ったら本当の食事に近い方を選ぶ ( たとえばコンビニで食べ物を買う時、チロルチョコと焼鳥で迷ったら、後者を)

- 迷ったら低カロリーな選択肢をとる ( たとえば肉よりも先に、サラダで腹を一杯にする )

筋トレのルール

- トイレに立つたびにスクワットか腕立て伏せを15回する

- トイレに立つたびや、信号待ちをするたびに、腹筋(立ったまま腹をへこませる動作)を25回ほどする

 

瞑想とルール作りの関係

瞑想の経験はルール作りに役立つように思う。

 

なぜなら、

「このルールは自分の価値観に合っているか」

「実践可能か」

「自分の心はどう反応するか」

ということを、自分の体に聞くことが出来るからだ。

 

もし瞑想の経験がなかったら、頭で考えただけのルール作りを繰り返して、そのたび失敗していたかもしれない。

 

瞑想を続けていると「これは行き止まりだ」とか「これが正解の道だ」ということにも敏感になる。

ところで

ルールを決めるというのは、思考停止することではない。

むしろその正反対で、自分の価値観に合った行動を、常に取れるようにするための柱みたいなものだ。

 

 

迷った時の基本ルールを決めてみよう | 「シンプル・ルール」(SIMPLE RULES)

僕はとても迷いやすい。

迷うことに膨大なエネルギーを費やしている。

 

だから「ルールを決めておくこと」はすごく重要だ。

いちどルールを決めてしまえば、あとは毎回悩まなくて済むようになる。

 

最近この本を読んで「迷った時の行動ルール」を決めてみることにした。

 

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(「SIMPLE RULES 「仕事が速い人」はここまでシンプルに考える」)

 

1. 迷ったらシンプルな方を選ぶ

これを最上位のルールにした。

僕はシンプルなものが好きだ。

 

- 物を捨てるかどうか迷ったら、捨てる方を選ぶ。(ミニマリズム)

- 買い物で品を迷ったら、シンプルな方を選ぶ。(たとえばフォルムが綺麗だったり、使い方が洗練されていたり)

- 文章を書く時に、複雑な表現とシンプルな表現で迷ったら、シンプルな表現を選ぶ。

- 瞑想をしながら、座り続けるか、途中で体を動かすかどうかを迷ったら、座り続ける。(状態を変えないほうがシンプルだ)
- 部屋のゴミ袋を取り替えるかどうかまよったら、変える。(その方が部屋がシンプルな状態になる)

- 「ルール作り」それ自体に対しても、迷ったらシンプルな方を選択する。(ルールを増やすかどうか迷ったら、増やさない)

 

僕にとって、このルールは素晴らしい効果を発揮しそうだ。

特に、些末な選択を一瞬で出来るようになった。

 

ルールを決めることでさえ効果があるのに。

そのルールの内容すらも「シンプルな方を選ぶ」だなんて。

すごい相乗効果が期待できる気がしている。

 

2. 迷ったら人間本位な方を選ぶ

- 仕事で疲れを感じた時、そのまま続けるか、いったん休憩を取るかを迷ったら、休憩する方を選ぶ。

- 読書に疲れを感じた時、すこし目をつむって休むか、読書を続けるかに迷ったら、目をつむって休む。

- 間食に菓子を食べるか、本物の食事(ナッツや肉、サラダなど)を食べるか迷ったら、本物の食事に近い方を選ぶ。

 

ここでいう「人間本位」という表現には、広い意味を持たせることにした。

たとえば人にプレゼントをあげるかどうか迷ったら、プレゼントをあげる方が「人間本位」だ。

 

自分を含めて、人間そのものを大事にする方を選ぶルールだ。

3. 迷ったら成長できる方を選ぶ

- 家に帰って、スマホを開くかPCでブログを書くかに迷ったら、ブログを書く。(文章力や思考力の訓練になる)

- 本の値段がちょっと高くて迷っても、興味があれば購入する。

- 仕事で「難しいけど腕を磨けそうなタスク」と「簡単だけど成長できなさそうなタスク」があったら、前者を選ぶ。

- 階段を使うかエレベーターを使うかで迷ったら、「筋肉」が成長する階段を選ぶ。

 

ポイント

要はあくまでこれが「迷った時のルール」ということ。

だから、そもそも迷っていない時には、このルールは適用しなくて良い。

 

「必ず実行するルール」じゃない。

あくまで「迷った時のルール」だ。

 

たとえば食事でも「迷うまでもなくチロルチョコが食べたい時は」食べて良い。

疲れ果ててどうしようもない時は、階段よりエレベーターを使って良い。

 

もしこれを「必ず実行するルール」にしてしまうと、続けられないだろうし、融通が効かないものになってしまうだろう。

 

ルールの優先順位

この三個のルールには優先順位をもたせた。

 

迷った時はまず「シンプルな方」を選ぶ。

それでも決まらなかった時に「人間本位な方」を選ぶ。

それでも決まらなかった時に「成長できる方」を選ぶ。

 

このやり方で、90%以上の選択はカバーできるような気がした。

もしそれでも決まらなかった時には、どうにか既存のルールに当てはめられないかをもういちど考えてみる。

 

例えば

ものすごく小さなケースで、

 

コンビニで売ってる、二種類のチキンのどちらを選ぶか迷った時。

「シンプルさ」ではどちらにも変わりがない。

「人間本位かどうか」にも大差がない。

「どちらが成長できる」というわけでもない。

 

だけどその片方は、買ったことのない種類だったとする。

そうすると、新しい種類を食べてみた方が、ごくわずかに「成長につながる」と言えるかもしれない。

 

ルール作りは解放だ

 

こうやって無理矢理にでもルールを当てはめることで、日常的な迷いを減らしていける気がした。

 

何より重要なのは、何を選択するかそれ自体よりも「決め方が決まっている」ということだ。

日常でおこなう膨大な選択から自由になれること。この効果は、実際に感じてみなければわからない。

 

僕はこうやってルールを決めてみて、日常でいかに多くの「選択肢」という荷物を抱えていたのかを痛感した。 

抽象度の高いルールを作ってみよう

こうやって、いったん抽象的な行動ルールを決めてしまうと、ものすごく物事を選択しやすくなることに気付いた。

日常は小さなイレギュラーで満ち溢れているけれど、そのほとんどの事柄に対して、すぐに選択することが出来る。

 

何より応用が効くし、問題の分野ごとに膨大なルールを作らなくても済む。

 

 

瞑想は最高のソフトスキル

瞑想は最高のソフトスキル(を鍛える方法)だと思う。

 

たとえばコミュニケーション能力を単独で身につけようとするよりも、効率が良いと思う。

たとえばリーダーシップを単独で上げようとするよりも、断然効果が高いと思う。

 

なぜなら、瞑想のトレーニングは肉体面で言えば「ジョギングをする」とか「筋力トレーニングをする」とかいう基礎練習に近いからだ。

基礎練習をせずに、応用の練習ばかりしていても仕方がない。

 

「基礎の上に応用が成り立つ」というのはスポーツの世界では常識だ。

リフティングも出来ないのに「オーバーヘッドキックの蹴り方」を考えていても仕方がないじゃないか。

 

逆に、基礎トレーニングをせずに、それぞれの技能を直接上げようとするのは、サプリメントを飲むのに近いと思う。

たとえ「なになに思考法」や「なになにリーダーシップ」という本を何百冊読んでも、継続的なトレーニングにはかなわない。

訓練なくして上達なしだ。

 

瞑想は生涯のソフトスキル

瞑想は本当に潰しの効くスキルだと思う。

なぜなら、人生で最も大事な「集中力」(や、その他もろもろの、人間における基礎的な能力)を高めてくれるからだ。

 

専門技術などのハードスキルは、仕事が変わってしまったら使えなくなる。

英語学習だって、機械翻訳やデバイスが進化し続けて、その価値は落ち始めている。

だけど瞑想で培ったソフトスキルは、人生のあらゆる面で使い続けることが出来る。

学んでも決して無駄にならない、稀有なスキルだと言えるだろう。

 

もちろん仕事をする上ではハードスキルも超重要なのだけれど、「潰しが効く」という意味では、瞑想に大きなアドバンテージがあるだろう。

ハードスキルは仕事をすれば嫌でも身につくけれど、ソフトスキルは自然には身につきにくい。

これだけでも、瞑想のトレーニングをする大きな意味があるはずだ。

 

さあ、瞑想してみよう

あなたが瞑想をしたことがないのなら、おそらく今、何の基礎練習も積んでいない状態だろう。

ずっと寝たきりでいるせいで、足腰は弱り、立ち上がれない状態かもしれない。

 

まずは立ち上がって、歩いてみるところから始めてみよう。

 

呼吸に注意を向けて、気がそれたら、また注意を向ける。

手始めに、この「基礎的トレーニング」は本当に効果的だ。

瞑想を継続するコツは「楽しむ」こと

それは、ありきたりだけれど「楽しむこと」だ。

 

え、それが出来れば無理もないって?

身も蓋もない話だと思うだろうか。

おっしゃる通り。

 

だけど瞑想のトレーニングを続けていると「楽しむ能力」が上がってくる。

瞑想をすることで楽しむ力が身につくし、楽しいから瞑想をもっとやりたくない。

 

いったんこのサイクルに入ってしまえば、あとはこっちのものだ。

あとはどうやって、最初に「楽しむ方法」を見つけるか。

 

(ちなみに瞑想の経験値が上がってくると、読書とか、運動とか、その他のことも「好きになるコツ」が分かってくる。これは美味しいオマケだ)

 

自分の好きな瞑想を見つける

瞑想を続けるコツは「心地良い」とか「楽しい」とかいう感覚を、早めに見つけることだと思う。

 

僕の場合、幸いにも瞑想の最も基本形の「呼吸に注意を向ける」というやり方が、一瞬で気に入った。

でも人によっては「瞑想してみたけれど、あまり良さがわからない」という人もいるみたいだ。

 

だから最初のコツは「好きなタイプの瞑想を見つけること」だ。

必ずしも「あぐらをかいて、目を閉じて、じっとする」というスタイルにとらわれなくても良い。

 

瞑想のエッセンス

瞑想というのは、つまりは「何かに注意を向ける」というのがエッセンスだ。

 

だから別に、音楽をかけても良いし、アロマを炊いても良い。

たとえば、歩きながら肌の感覚に注意を向けても良いし、カフェで座りながら目を閉じても良いし、筋トレをしながら体の感覚を意識しても良い。

 

自分の好きな場所で、自分の好きなやり方で、一番好きな感覚に注意を向ける。

それが瞑想を楽しむコツだと思う。

 

長年瞑想を経験している「ジョイ・オン・デマンド」の著者も「まずは最初にジョイを見つけるべきだ」と語っている。

瞑想というと、ストイックなイメージがあるけれど、それには全然とらわれなくて良い。

 

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ちなみに僕の場合

主にこんなタイプの瞑想をしている。

  • あぐらをかいて座りながら目を閉じる、フォーマルな瞑想
  • 眠る前に全身をリラックスさせて、心地良い感覚を感じてみる瞑想
  • カフェで座りながら、目を閉じて音楽や、人のざわめきに心を委ねる
  • 読書をしながら、本の内容に注意を向ける、集中力のトレーンング
  • 家で座りながら、音楽を聴いて、音の世界にひたる
  • 歩きながら、風がそよぐ心地良さを感じ取る
  • 筋力トレーニングをしながら、体の熱くて気持ち良い感覚に注意を向ける

 

瞑想はフリースタイルだ。

 

自分のレシピを作ってみよう。

自分好みの食事はきっと美味いはずだ。

「一緒にいてもスマホ」 〜デジタルデトックスと瞑想〜

今日僕は、24時間ぐらいスマホの電源を落として過ごした。

そうすると、あまりにも多くのことが、一斉に出来なくなる。

 

- LINEで人とマメに連絡できなくなる

- 手軽にメモアプリに家計簿をつけられなくなる

- ブログのネタが浮かんでもメモを取れなくなる

- 何かググりたくなった時に調べられなくなる

- 1日に歩いた歩数が分からなくなる (iPhoneには歩数計が付いている)

 

スマホを使わない選択肢」の代償は、あまりにも大きくて、まるで選ぶ余地はないように思える。

少なくとも頭で考える限りは。

 

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スマホは人生の泥棒

スマホが奪っているものの大きさに、僕らが気付いていない。

銀行からは1秒ごとにお金を盗まれているけれど、いったい何円が盗まれているのかには気付かない。

 

スマホの電源を落とせば、想像よりも多くの宝を手にすることが出来る。

(そう、瞑想のトレーニングを続けているなら、なおさら)

 

いったんスマホの電源を落とすと、分かることがある。

人生の本体は、スマホの小さな画面の中ではなく、過ぎ去る一瞬一瞬や、目に映る景色なんか中に存在するのだと。

 

こればかりは、実際に体験してみなければ分からない。

実際に体験してみてはじめて「ああ、こんなにも大きなお金を盗まれていたんだな」と気付くことが出来る。

 

人生で最も大事なもの

きっと、人生で最も大事なものは、集中力だ。

そして「今現在に没頭する能力」だ。

 

言うのは簡単だけれど、誰もがほとんど身につけていない能力。

そして、今現在に生きられないままに、人生の時間は過ぎ去ってゆく。

 

スマホの電源を落とすことは、人生を取り戻すためのステップになることだろう。

 

現実的なアクション

ここまで書いたけれど、この現代で自分のスマホ利用率を0%にするということは難しいかもしれない。

(できればそうしたいけれど)

 

なので僕は、スマホに関しては利用ルールを決めようとしている。

たとえば平日は夜の仕事終わりまで、電源を落とす。

そして家に帰ったら、また電源を落とす、とか。

 

ちなみに僕はスマホとは別に、読書のためにタブレットを持ち歩いている。

こいつはWi-fi環境でなければネットに繋がらないし、調べ物をするには大きすぎる。

 

僕はこいつを持ち歩いて、メモを取ったり、カメラで

こうすると、なんでもかんでもすぐシェアしようとは思わなくなるし、ずいぶんと中毒性が低いように感じられる。

 

スマホの電源を落としてから、あとで考えれば良い

あれこれと先に考えるよりも、まずは電源オフの時間を試してみて、

そうすれば「案外、なくても大丈夫なんだな」ということが分かってくるし、スマホなしで解決できる問題も見えてくるだろう。

 

「家にテレビがない」とドヤ顔する時代は終わった

これからは、スマホの電源を落とす、スマホを持ち歩かないということがステータスになる時代が来るんじゃないだろうか。

 

瞑想と孤独の能力

スマホの電源を落とすことと、瞑想とは、とても相性が良い。

瞑想のトレーニングを積んでいれば、スマホを触らなくてもまったく退屈しないだろうし、多くの時間を果実のように楽しむことが出来るだろう。

 

スマホの電源を落とすこと自体が「瞑想的な心」を取り戻すための方法だ。

そして逆に、瞑想の訓練を積んでいれば、スマホの電源を落とすことで得られるものは、さらに大きくなるだろう。

 

とある実験で「ひとりでじっとしている」ということには、大人でも、数分も耐えられなかったというものがある。

もしあなたが10分も瞑想を出来るなら、平均的な大人よりもずっと「孤独で居る能力」が高いことになる。

 

「孤独でいられること」は偉大な能力なのだ。

 

 

読書はなぜ役に立つか? 〜自分の中の頑固親父を説得する方法〜

自分の中に頑固オヤジがいる。

この頑固オヤジは自分とは別人格で、心の門番みたいなことをしている。

 

人間というものは、頭では分かっていることでも、体で行動できなかったりする。

「頭で思った通りに、自分の行動は変えられる」なんて、大間違いで、僕らが自分自身を変えるには、まずはオヤジを説得しなければいけない。

 

自分ひとりでオヤジを説得できない場合は、サポートが必要だ。

このひとつの方法として、読書は非常に有効だ。 

 

頑固オヤジは頑固オヤジなだけに、とても頑固なのだけど、意外と権威に弱かったりする。

あとは情報量とか、言葉巧みな説得にも弱い。

それよりも、何よりも「感動」に弱くて、心を打つような説得をすると、ようやく重い腰を上げて「よし」と手を打ってくれる。

 

読書をするということは、つまり、自分の中の頑固オヤジを説得するプロセスなのだ。

 

 

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オヤジを説得するために、どんどん本を読もう。

自分の行きたい方向に進むには、深い納得や、強い感動が必要だ。

 

瞑想と読書

ところで、どちらが大事なのだろう。

瞑想だけでは目的地にたどり着けないのだろうか。

 

僕の場合は、よりシンプルな方法、単一の方法で目的を達成したいと思ってしまう。

つまり、瞑想ばかりを続けて幸福になれれば、とてもシンプルだし楽なのだけど。

 

どうやら人間には「単一の方法で物事を解決したい」という煩悩があるようだ。

 

だけど、例えどれだけ瞑想を極めようとも、人間の脳は、1日に数万回の思考を勝手に生み出す。

それならば、瞑想を極めると共に、この数万回の思考のクオリティも上げることが出来たら、最高じゃないか。

 

読書は瞑想のひとつ

僕らは人生の長い間で、驚くほどこの世界から影響を受けている。

それはまるで、長年をかけて重荷をひとつずつ背負い続けてきたように。

 

瞑想も読書も、荷物を背負うのではなく、荷物を降ろすためにある。

瞑想をする人にとっては、読書をすることも、この世界をより良く理解するための瞑想なのだ。

 

 

 

長時間の瞑想に効果はある?

ある。

 

- 瞑想のリトリート(合宿)では1日に8時間ほどのトレーニングをおこなう

-  ジョイ・オン・デマンドの著者も瞑想のリトリートの後に、劇的な変化を感じたそうだ

- 「世界一幸せな人」と呼ばれたマチウ・リカールは数万時間の瞑想経験がある

- ある瞑想の指導者は「時間が気になって、ムズムズしてきてからが勝負」という意味なことを語っている。

 

世界中で長時間の瞑想が実践されているということは、これは何らかの効果がある証拠と言って良いだろう。

 

1日15分程度の瞑想でも、十分な効用があると知られているが、それはドリップコーヒーのファーストドリップを飲むのと同じで、一番美味しい部分を飲むみたいなもの。

だけどお好きならば、もっと長い時間、コーヒーを楽しむことも出来る。

 

僕個人の記録

 

僕の場合、瞑想の連続記録は今のところ4時間ほど。

その中で高い集中力を保てるのは、最初の30分ぐらいだ。

あとは自由に心を遊ばせたり、頭を休ませたり、心地よい感覚(ジョイ)にひたっていたりする。

 

さすがに長時間の瞑想をしていると、最後の方はむずむずしたり、時間が気になったり、頭も雑念でくるくると回っていたりする。(雑念は多いけれど、しんどくはない状態)

 

「良い瞑想はあっても、悪い瞑想は存在しない」という言葉を信頼して、特に休日には長時間の瞑想にチャレンジしている。

 

すると次の日はそのせいか、ものすごく頭がクリアになって感じられるようだ。

これがなぜ、効果が出るのが当日ではなく次の日かというと、おそらく長時間の瞑想のあとには、集中力が消耗している部分があるんじゃないだろうか。

それが回復しきった翌日に「素晴らしい状態」がやって来るみたいだ。

 

だけど何より僕は瞑想が好きで、他の何よりも優先してやりたいことなので、

(無理をしてやる必要はないと思う。)

 

人は驚く

ところで1日に数時間も瞑想をするというと、「そんなにするんですか!」と人に驚かれる。

 

だけど1日に数時間もテレビを見たり、スマホをいじったりする人はザラだし、映画だって長いものは3時間ぐらいある。

どんな趣味だって3,4時間かかるものは数多くある。

 

フルマラソンだって数時間かけて走りきるものだし、それに比べたら瞑想はウォーキングをするようなもので、いたって平和な世界だ。(やり方にもよるけれど)

 

なので別に瞑想を4時間やっても8時間やっても、別に驚くことはないんじゃないかと、僕は思っている。

 

瞑想はスポーツに似ているけれど

肉体を使うスポーツよりも、おそらくかなり高い可塑性、柔軟性があるんじゃないかと思う。

なので長時間の瞑想をしても筋肉痛にはならないし、連日おこなうことだって出来る。

 

最もコストパフォーマンスが良いのはたぶん、最高の集中力が保てる分、短時間の瞑想を日々続けることだろう。

だけど僕は瞑想というコーヒーが好きなので、できれば1日中でも飲んでいたい気分なのだ。