変化を感じ取る瞑想
瞑想では「変化を感じ取ること」は重要なファクターだと思う。
確か何かの瞑想の本にも書かれていたけれど、僕もいまそれを実感している。
その理由と言えば、僕も体感レベルでは、ぼんやりとしか分かっていないのだけれど。
瞑想を始めると気分が変わる
たとえば、瞑想を始める前と、始めてから呼吸を10回数えた後では、まるで気分が変わっていることに気付く。
たとえば強めのストレスを感じている時。
「これは数分の瞑想では、とても回復しないだろうな」という予測が、いとも簡単に覆される。
瞑想をする前のストレス状態なんか、まるで忘れてしまっていたりする。
逆に、瞑想中に集中力が高まって「これは1日中でも瞑想ができそうだ」と思った時でも、数分後にはもう、ピークが過ぎている時もある。
このように、人間の生体的な状態というのは、常に変化し続けている。
圧倒的な事実のレベルで、変化は起き続けている。
だけど僕らの意識は、なぜか「変化は起こっていない」という認知エラーを起こすようだ。
思うに、変化するということは、生命の本質なのだ。
変化を認知するということは、生命を理解するということでもある。
起承転結のない映画は?
僕はこれは仏教的な「儚さ」ではなくて、むしろ生きることの喜びだと感じている。
たとえばもし、映画のストーリーに何の変化もなければ、面白くないし、そもそも映画は成り立たない。
たとえば朝と夜の違いがなければ、清々しい気持ちで目覚めることもない。
たとえば空腹がなければ、食べ物を食べる喜びもない。
たとえば冷たさがなければ、暖かさに包まれることもない。
だけどこういった概念を、頭で考えるだけでは、何の意味もない。
これは体感レベルで感じる必要のある物事だ。
このように変化の喜びを、体感レベルで感じ取れるようになるところも、瞑想のトレーニングの良いところだ。
単に瞑想を続けるだけでも、変化を感じ取るのは上手になると思う。
だけど意図的に「変化」に注意を向けることで、さらに自分自身や、世界をうまく理解できるようになるだろう。
やってみよう
瞑想を始める。
そして呼吸を10回カウントしてみる。
「呼吸を10回する前は、どんな状態だっただろう」と思い出してみる。
今の状態と、過去の状態との差分を見比べてみる。
たとえば「瞑想が面倒だな」と感じていたかもしれない。
たとえばストレスの強さや、空腹を感じていたかもしれない。
そういった状態が、変化したかどうか。
一見変化していないように思えても、そのレベルが強まったり、弱まっていないかどうかを感じ取ってみる。
そして「今の状態」も、未来に向けて、刻々と移り変わっていく。
その様子をモニタリングしてみる。
こうやって「予測」と「変化」と「モニタリング」を繰り返す。