習慣作り | 「習慣にする理由」は忘れてしまっても良い
今日僕は、部屋の布団をたたみながら思った。
「僕はなんで、布団をきちんとたたむことを、習慣にしようとしてるんだっけ?」
だけど、理由を思い出す前に、布団をたたんだ。
理由は思い出さなくて良いと思ったし、放っておいても、いずれ未来の自分が思い出すだろう。
そこで気付いたのは、新しい習慣作りをするにあたっては、「そもそもの理由」なんて忘れてしまっても良いということだ。
理由を考える必要はなくて、ただ単におこなえば良い。
ただ淡々と。
ふだん、僕らが習慣作りを諦めてしまうのは、だいたい「やる理由を忘れてしまうから」「動機を忘れてしまうから」「モチベーションが下がってしまうから」じゃないだろうか。
だけどそもそも、やる理由、動機は思い出さなくて良いし、モチベーションも上げなくて良い。
理由、動機、モチベーションに依存するのは危険だ。
そうではなく、ただ「過去の自分」がやると決めたことを、「今の自分」は理由も考えずに、おこなえば良い。
もし「やる気」が必要とされるような習慣なら、行動のハードルをぐんと下げたり、タイミングを工夫すれば良い。
僕たちはよく考えすぎる。
でも「行動には必ず理由が必要だ」と考えるのは、とても損だ。
なぜなら、膨大な回数「考えるコスト」が発生するからだ。
塵も積もれば山となる。
「理由を考える」たびに、その習慣作りをやめる機会が発生する。
でも、モチベーションにも頼らず、理由を思い出す必要もないとしたら。
こんなにスムーズな話はないと思う。
このように理由を考えずに行動するのは、本当に良いことだろうか?
もちろん。
むしろ、感覚としての「動機」を忘れてしまうぐらいが、習慣化が適切に進んでいる証拠だ。
なぜなら最終的には「何も考えなくてもやってしまう」のが、習慣というものなのだから。
このように、あくまでも習慣作りをしている段階においては、理由や動機というものを思い出す必要はない。
きっとそれは「過去の自分」が、理由があって決めたことなのだから。
習慣作りがうまく進んできた頃に、またその理由は自動的に思い出せるはずだ。
そうしたら、「未来の自分」がきっと喜んでくれるだろう。
ところで
実は、定期的に自分の習慣を見直すことも大事だ。
だけどそれは「習慣作りをしている最中に、毎回理由を思い出さなければいけない」ということではなくて、ちゃんと時間を取って、習慣を見直す機会を作れば良い。
決して「習慣作りの最中に、理由を思い出して疑念にかられる」ということとは違う。