マインドフルネスと弓矢の話 〜なぜ瞑想では観察が重要なのか?〜
それは
「見えていない的には、絶対に当たらない」
からだ。
僕らは「的が見えている」と思い込んでいる。
だけど実は認知的には目を塞がれている。
だから多くの弓矢を引いても、ほとんど当たらない。
常にエラーを繰り返している。
なおかつ、たちが悪いことに、僕らはそもそも目を塞がれているので、矢が当たっていなことにさえ気付いていない。
もしくは、弓を引いていることにさえ気付いていないかもしれない。
マインドフルネスのトレーニング、特に自己観察のトレーニングは、まず的を「見える状態」にする。
認知能力を高めて、目を良くするための訓練だ。
「観察」の替わりの言葉が欲しい
ただ「観察」というと、なんだかよく分からないイメージがある。
僕も瞑想を始めたばかりの頃は、「なんでそんなものが重要なんだろう」と不思議だった。
観察というと、なんだか傍観者というか、非力で消極的な印象があった。
これはそもそも言葉の付け方が悪いのかもしれない。
観察に「付随」して起こる、様々な現象を言い表せていないからだ。
なのでこれは、
「認知能力の向上トレーニング」とか、
「感覚のモニタリング、フィードバック訓練」とか言ったほうが、事実を正しく表しているのかもしれない。
ネーミングセンス
物事の名前というのは、例えようもなく重要だ。
僕らは名前を通して世界を理解しているのだから。
今後のマインドフルネスの世界で、もっと適切で、影響力の高いネーミングがおこなわれますように!