瞑想とスマホ断ちの関係
僕は最近、スマホ断ちをしていて、1日に10分程度しかスマホの電源を付けていない。
不必要な時にスマホを消すのではなく、必要なときにだけスマホを使う。
オプトアウトではなくてオプトイン形式だ。
僕は前、こう期待していた。
「瞑想のトレーニングを積めば、スマホを持ち歩いていても、意識を逸らされず済むのでは?」と。
だけど人間の無意識は、そんなに簡単なものじゃないようだ。
確かに瞑想のトレーニングのおかげで「スマホに病み付きになる」ということはなくなった。
以前よりはるかにスマホに縛られなくなった実感がある。
だけど完全にスマホから自由になれたかというと、そんなことはない。
いったんスマホを使えば、やはり意識はその中の様々なアプリケーションに引きずられる。
ほんの数秒前までは「スマホに魂を奪われない」と固く誓ったのに、もう目的とは別のアプリケーションを開いている自分に気づく。
スマホを閉じてからも、しばらくはその余韻が残る。
スマホをポケットに入れていると、それだけで常に、意識の数十パーセントはスマホのことを考えている。
(こうやって自分の無意識のプロセスが、今では意識でキャッチできるようになったのも、瞑想のおかげだと思うけど)
僕の理解はこうだ。
スマホというものは、人間の意識を引きつけるように「ものすごく上手」に作られている。
そして人間の意識は「ほとんど無意識」にスマホに引き寄せられてしまう。
(テレビもまたしかり)
「スマホを常用しながらマインドフルネスを保ちたい」というのは、
たとえばポテトチップスを頬張りながら「健康になりたい」と言うのと同じじゃないだろうか。
つまり、そもそも体に悪いものを食べていたら、どうやっても肉体は「低いレベル」に引きずられてしまう。
「スマホと賢く付き合う」その前に、まずは毒を抜いて、自分の意識がどれだけ軽くなるのかを確かめてみる。
そうしなければ、どのぐらいの毒が回っているのかさえわからないからだ。
背負った荷物の重さは、降ろしてみて初めて分かるものだ。