神は身体感覚に宿る
最近、理解したこと。
身体感覚の中に神はいる。
神を感じている時はいつでも、身体感覚の中に神を感じている。
決して言葉や思考の中ではない。
そんな素早くい場所には彼はいない。
これは恐らく、神を見つけている瞬間にしか分からない感覚だ。
「神を感じたい」といくら言葉で思っても、まず見つからないのはこのせいだ。
僕らが偶然に神を見つけることがあっても、それを頭の中で考え始めたとたんに、身体感覚はそれを失ってしまう。
たとえば人が安心や幸福感を感じる時、そこには必ず「あたたかい」という身体感覚がある。
神を感じている時も、同じように特定の身体感覚がある。
だから自分の身体感覚にアクセスするということは、神にアクセスするということでもある。
(なぜ瞑想では「身体感覚」を重視するのか。これで話がつながった!)
99.9%
身体感覚とは何か。
それは「思考ではない全てのもの」と言える。
思考は世界の0.1%でしかないが、その0.1%が、僕らの頭の中で何度も何度も、膨大な回数繰り返されている。
本当に雑多な状態だ。
残りの99.9%にアクセスする道は、ほとんど閉ざされている。
瞑想のトレーニングをするのは、この99.9%にアクセスできるようになるための方法だ。