神に捧げる瞑想
僕にとって、最高の瞑想のテーマは
「神に捧げる」
だと思った。
「幸福感を感じる」「自分に問いかける」
「心地良さを探す」「思考を受け流す」
など、他のテーマよりもずっと上位にある概念。
それが「神に捧げる」という言葉。
これは究極に近いんじゃないかと思った。
ギブ
神に「捧げる」というところがポイントだ。
「神と出会う」とか「神が降りてくる」というと、これは神から「受け取る」ことになる。
だけど「神に捧げる」というのは「与える」行為だ。
ギブアンドテイクでいうところの「ギブ」だ。
「テイク」よりも「ギブ」の方がはるに強いエネルギーを持っている。
ところで神という表現を僕は気に入っているけれど、個人個人で「究極」を感じられるフレーズは違うかもしれない。
たとえば「瞑想が瞑想をする」とか「自分ではなくブッダが瞑想をする」とか「宇宙的なものにアクセスする」とか。
自由な旅
瞑想というのは、フリースタイルのロールプレイングゲームみたいだ。
あまりに自由な場所に行けるので、どちらに向かって歩くのが一番良いか、分からなくなるときがある。
モンスターを倒して経験値をためることも出来るし、街の人と話すことも出来る。
武器屋でアイテムを選ぶことも出来るし、カジノで遊ぶことも出来る。(RPGで言うならね)
だけど「何をするか?」に迷った時は、本来の目的を思い出すのが良い。
ただシンプルな目的。それは「姫をとらえている最後のボスを倒すこと」だ。
同じように瞑想でも、ただひとつのシンプルな言葉が欲しい。
道に迷った時に、いつでも思い出せるような、シンプルな目的が。
それが僕にとっては「神に捧げる」なのだと思った。