荷物は下ろしてはじめて重さが分かる
これは僕の最近の座右の銘だ。
たとえば、
- 仕事をちょっと離れて休憩を取ると、どれだけ目の前の作業に「はまりこんでいた」かが分かる。
- 静かな場所に行ってはじめて、どれだけのうるさい場所にいたかが分かる。
- 瞑想のトレーニングをして始めて、自分の心がノイズだらけだったことが分かる。
というようなこと。
増やす? 減らす?
瞑想はまさに、荷物を減らしていく手段だ。
瞑想はよりシンプルになるためのトレーニングだ。
僕らには心理的な死角があって、自分の背負っている荷物の重さには、まず気付かないようにできてるみたいだ。
たとえ体では重さを感じていても「こんなものはなんでもない」と、こんどは心理的「否認」を働かせたりする。
瞑想はシンプルになる手段
文化的に「成長=増やすこと」「増やす=良いこと」という刷り込みは本当に根強いと思う。
だから僕も、瞑想をしていても、つい「増やそう」としてしまう。
たびたび「減らすこと」「手放すこと」を思い出して、瞑想のやり方を元に戻す。
だけど瞑想はよりシンプルになる手段だ。
心がより「シンプルさ」を感じる場所を探してみる。
たとえば、押すのではなくて引いてみる。
シンプルな「場所」は常に、僕らの中に既に存在するのだ。
世界地図の描き方
僕らの世界地図は間違っている。
だから地図の描き方を変える必要がある。
たとえば、人間は1日に数万回は思考する。この思考が乱雑に入り乱れた状態は「荷物」だ。
たとえば、僕らは人間の自然のリズムに逆らった、硬直的な働き方をしている。これは働き方の「荷物」だ。
たとえば、僕らはインナーチャイルドを持っている。インナーチャイルドが傷つき脅えている状態は「荷物」だ。
今背負っている荷物を少しでも下ろすことが出来れば、きっとより遠くまで行けるだろう。