瞑想は肉厚のステーキだ 〜瞑想と勉強の関係〜
そのまま食べても、十分に美味い。
だけど上等な塩をまぶしたり、色々な調理法を知っていれば、さらに美味しく味わえる。
瞑想と勉強の関係もこれに近いと思う。
瞑想を実践するだけでも、肉厚のステーキを味わうことは出来る。
だけど他の勉強もすれば、より広がりのある味を楽しむことが出来る。
たとえば社会心理学や、人間の生体について学ぶことは、より生き方のバリエーションを広げてくれることだろう。
疑問
僕が常々抱いてしまう疑問は
「瞑想と勉強、どっちが大事なんだろう」
「幸福になるには、瞑想だけではダメなんだろうか」
ということだ。
何をどこまで勉強すれば良いのか。
どれだけ勉強しても、まだ勉強することが出てきて果てしなく思える。
瞑想だけではダメなのか。
これはきっと、自分がどんな形の幸福を受け取りたいかによる。
シンプルなステーキだけで十分に満足なら、それを食べ続けるだけで十分だろう。
だけど他の味も楽しみたいと思ったら、勉強するのも悪くない。
ステーキ自体の質も上がって、味わい方も深みを増したら、言うことなしだ。
ステーキを腐らせないための秘訣や、他の人に提供するマナーも身に着けていれば、なおさら良い。
だけどすべての根本は「肉厚のステーキがあること」だ。
肉が美味くなければ、どんな調理をしてみても美味くはならない。