「一緒にいてもスマホ」 〜デジタルデトックスと瞑想〜
今日僕は、24時間ぐらいスマホの電源を落として過ごした。
そうすると、あまりにも多くのことが、一斉に出来なくなる。
- LINEで人とマメに連絡できなくなる
- 手軽にメモアプリに家計簿をつけられなくなる
- ブログのネタが浮かんでもメモを取れなくなる
- 何かググりたくなった時に調べられなくなる
- 1日に歩いた歩数が分からなくなる (iPhoneには歩数計が付いている)
「スマホを使わない選択肢」の代償は、あまりにも大きくて、まるで選ぶ余地はないように思える。
少なくとも頭で考える限りは。
スマホは人生の泥棒
スマホが奪っているものの大きさに、僕らが気付いていない。
銀行からは1秒ごとにお金を盗まれているけれど、いったい何円が盗まれているのかには気付かない。
スマホの電源を落とせば、想像よりも多くの宝を手にすることが出来る。
(そう、瞑想のトレーニングを続けているなら、なおさら)
いったんスマホの電源を落とすと、分かることがある。
人生の本体は、スマホの小さな画面の中ではなく、過ぎ去る一瞬一瞬や、目に映る景色なんか中に存在するのだと。
こればかりは、実際に体験してみなければ分からない。
実際に体験してみてはじめて「ああ、こんなにも大きなお金を盗まれていたんだな」と気付くことが出来る。
人生で最も大事なもの
きっと、人生で最も大事なものは、集中力だ。
そして「今現在に没頭する能力」だ。
言うのは簡単だけれど、誰もがほとんど身につけていない能力。
そして、今現在に生きられないままに、人生の時間は過ぎ去ってゆく。
スマホの電源を落とすことは、人生を取り戻すためのステップになることだろう。
現実的なアクション
ここまで書いたけれど、この現代で自分のスマホ利用率を0%にするということは難しいかもしれない。
(できればそうしたいけれど)
なので僕は、スマホに関しては利用ルールを決めようとしている。
たとえば平日は夜の仕事終わりまで、電源を落とす。
そして家に帰ったら、また電源を落とす、とか。
ちなみに僕はスマホとは別に、読書のためにタブレットを持ち歩いている。
こいつはWi-fi環境でなければネットに繋がらないし、調べ物をするには大きすぎる。
僕はこいつを持ち歩いて、メモを取ったり、カメラで
こうすると、なんでもかんでもすぐシェアしようとは思わなくなるし、ずいぶんと中毒性が低いように感じられる。
スマホの電源を落としてから、あとで考えれば良い
あれこれと先に考えるよりも、まずは電源オフの時間を試してみて、
そうすれば「案外、なくても大丈夫なんだな」ということが分かってくるし、スマホなしで解決できる問題も見えてくるだろう。
「家にテレビがない」とドヤ顔する時代は終わった
これからは、スマホの電源を落とす、スマホを持ち歩かないということがステータスになる時代が来るんじゃないだろうか。
瞑想と孤独の能力
スマホの電源を落とすことと、瞑想とは、とても相性が良い。
瞑想のトレーニングを積んでいれば、スマホを触らなくてもまったく退屈しないだろうし、多くの時間を果実のように楽しむことが出来るだろう。
スマホの電源を落とすこと自体が「瞑想的な心」を取り戻すための方法だ。
そして逆に、瞑想の訓練を積んでいれば、スマホの電源を落とすことで得られるものは、さらに大きくなるだろう。
とある実験で「ひとりでじっとしている」ということには、大人でも、数分も耐えられなかったというものがある。
もしあなたが10分も瞑想を出来るなら、平均的な大人よりもずっと「孤独で居る能力」が高いことになる。
「孤独でいられること」は偉大な能力なのだ。