読書はなぜ役に立つか? 〜自分の中の頑固親父を説得する方法〜
自分の中に頑固オヤジがいる。
この頑固オヤジは自分とは別人格で、心の門番みたいなことをしている。
人間というものは、頭では分かっていることでも、体で行動できなかったりする。
「頭で思った通りに、自分の行動は変えられる」なんて、大間違いで、僕らが自分自身を変えるには、まずはオヤジを説得しなければいけない。
自分ひとりでオヤジを説得できない場合は、サポートが必要だ。
このひとつの方法として、読書は非常に有効だ。
頑固オヤジは頑固オヤジなだけに、とても頑固なのだけど、意外と権威に弱かったりする。
あとは情報量とか、言葉巧みな説得にも弱い。
それよりも、何よりも「感動」に弱くて、心を打つような説得をすると、ようやく重い腰を上げて「よし」と手を打ってくれる。
読書をするということは、つまり、自分の中の頑固オヤジを説得するプロセスなのだ。
オヤジを説得するために、どんどん本を読もう。
自分の行きたい方向に進むには、深い納得や、強い感動が必要だ。
瞑想と読書
ところで、どちらが大事なのだろう。
瞑想だけでは目的地にたどり着けないのだろうか。
僕の場合は、よりシンプルな方法、単一の方法で目的を達成したいと思ってしまう。
つまり、瞑想ばかりを続けて幸福になれれば、とてもシンプルだし楽なのだけど。
どうやら人間には「単一の方法で物事を解決したい」という煩悩があるようだ。
だけど、例えどれだけ瞑想を極めようとも、人間の脳は、1日に数万回の思考を勝手に生み出す。
それならば、瞑想を極めると共に、この数万回の思考のクオリティも上げることが出来たら、最高じゃないか。
読書は瞑想のひとつ
僕らは人生の長い間で、驚くほどこの世界から影響を受けている。
それはまるで、長年をかけて重荷をひとつずつ背負い続けてきたように。
瞑想も読書も、荷物を背負うのではなく、荷物を降ろすためにある。
瞑想をする人にとっては、読書をすることも、この世界をより良く理解するための瞑想なのだ。