マインドフルネスやってみた

瞑想と人生のレシピ作り

瞑想は旅である ( あるいはキャンバスに描く絵である )

今日は1時間の瞑想をした。

以前よりもはっきりと、瞑想が旅に似ていることを感じた。

 

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蒸気機関車・汽車のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

1. 集中ゾーン

僕の場合、瞑想を始めてすぐのタイミングは、クリアな意識の状態で、非常に集中しやすい。

純度の高い集中力を感じるのは、開始直後の時間帯だ。

 

自分という軸があり、なおかつ、それを客観的に察知しているような状態。

過去にも未来にもとらわれず、今現在だけに存在することが出来る状態。

 

この集中ゾーンは、実感としては永遠に続くかに思われる。

だけど同時に、集中にはピークがあるということを僕は知っている。

だからここを過ぎると、だんだんと雑念が多くなってくる。

 

 

景色が変われば旅も変わる。

少しの眠気を感じ始めた頃、僕は瞑想のモードを「アンカリング(集中)」から「レスティング(休息)」に切り替えた。

 

2. 休息ゾーン

眠気を感じながらでは、瞑想での集中は難しい。

そこで僕は、この眠気に逆らわずに、寄り添って癒やしてやることにした。

 

(以前の瞑想で、自分の「眠気」に逆らわず、目覚めながら熟睡するような感覚を身に着けたのだ)

 

 

何かに集中しようとせず、脳を自由にして、休ませてあげる感覚。

破壊と再生のバランスを、再生に傾ける。

心地良さを感じる限り、休息を続けてみる。

 

瞑想のトレーニングを続けていると、こうやって意識的にスイッチを切り替えて、瞑想のモードを変えることができるようになる。

 

そして段々と眠気も癒されてきた頃、僕は集中ゾーンに戻ろうとするのではなくて、こんどは意識を拡散させてみることにした。

3. 拡散ゾーン

瞑想では基本的に「集中しなさい」と教えられる。

「心ここにあらず」は戒められる。

 

だけど実はDNM(デフォルト・モード・ネットワーク)には実は良い面もあって、それはインスピレーションの源になることだ。

暴れ馬をあばれさせるのではなくて、ペガサスを自由に羽ばたかせるような感じ。

 

だから僕は、わざと意識を拡散させて、何かインスピレーションが下りてくるのを待った。

たとえば「職場を遊び場にするには?」「世界を遊び場にするには?」というようなテーマを与えてみた。

そして無理に答えを探すのではなくて「おりてくる」のを待ってみるのだ。

 

ところで僕は瞑想をしながら物思いにふけるのが好きだ。

瞑想の良いところは、考え事をしていても、まったく焦りを感じないということ。

ひとつの問いを心に与えて、どれだけ答えが出てくるまで時間をかけても良いし、答えが出てこなくても良い。

 

そんな風に物思いにふけるのも瞑想の醍醐味だ。

そして、やがてテーマを与えるのにも疲れを感じ始めた頃、僕はこの駅も発車することにした。

 

4. 存在ゾーン

 

アンカリング、そしてレスティング。

集中の度合いをだんだんと落としていって、そして意図的な休息・拡散さえも難しくなってきた頃に、こんどは「ただ存在してみる」ことにした。

 

ただ楽にかまえて、存在することだけを楽しんでみる。

全てのコントロールを手放していくような感じ。

 

たとえばヨガの教室でも、前半に頑張って体を動かした分を、後半に「手放していく」という時間を設けていたりする。

最初はコントロールして、次にコントロールを手放す。

これは実は、ごく自然なサイクルなのかもしれない。

 

全てのものにはリズムがあり、始まりと終わりがある。

 

世界には朝と昼と夜があるように。

花につぼみ、開花、枯れる時期があるように。

季節に春夏秋冬があるように。

きっとそれが自然なことなのだ。

 

「季節は春だけで良い」とか「夏だけで良い」とか思うのは、人間の直線的な思考だけだ。

この世に変化しないものはひとつもない。

 

瞑想や座禅の世界でも「これこそが瞑想だ」という考えがいくつもあるけれど、僕にとって瞑想は、朝昼夜の時間がある「旅」に近いものだ。

 

5. 哲学ゾーン

と、そんなことを考えながら「存在」を楽しんでいると、ふと、自分が哲学的思考をしていることに気付いた。

またこの旅の駅が変わり、景色が変わったのだと思った。

 

以前にも瞑想の終わりがけに、自分の存在や意識に対して、哲学的思考をしているとも言える状態になったことがある。

もしかしたらこの旅の終着駅は、哲学の道に通じているのかもしれない。

まとめ

瞑想は旅だ。

もしくはキャンバスに自由に絵を描いていくような感じだ。

 

決められた色ばかりを使う必要はないし、決められた絵を描く必要もない。

使える色はだんだんと増えてゆくし、絵筆の扱いも見事さを増してゆく。

 

 

キャンバスに自由に絵を描いていくような感じだ。

決められた色ばかりを使う必要はない。

そして、使える色はだんだんと増えてゆくし、絵筆も自由に扱えるようになってゆく。