瞑想と薬物中毒の違い
瞑想は快楽を生む。
アルコールや麻薬も快楽を生む。
じゃあ一体何が違うのか?
僕は「瞑想は、弱い刺激に敏感になる」という話が好きだ。
個人的な実感としても、これは当たっていると思う。
たとえば、風がそよいで肌をなでる感覚とか、手と手を組んだ時の微細な感覚とかに、以前よりもずっと敏感になった。
経験豊かな瞑想者がジャーナのさまざまな状態にいるときの脳をスキャンした脳科学の研究を僕はひとつだけ知っているけれど、その結果はとても魅惑的だ(3)。もっとも興味深かったのは、研究チームが、ジャーナにおける深遠なJOYの成分を調べようとした部分だ。彼らは脳のドーパミン報酬系の活動を測ることでそれをあきらかにしようとした。論文によると、それは「セックスのオーガズムより活発である」と説明しているんだ。ここで重要な疑問がわく。ジャーナが本当にセックスのオーガズムよりすばらしいのなら、それはドーパミン報酬系が過剰に働いている状態なのでは? もしそうなら、薬物乱用(専門用語を使うと、「脳内ドーパミン経路の薬物性過剰刺激」)と同じではないだろうか? この研究では、驚くべきことがあきらかになった。脳のデータによると、ジャーナにおける報酬系の活性化は、実際はかなり小さなものだった。ただ、大脳皮質の活動が低下していたので、その結果として、小さな報酬シグナルでもより強力に感知されたのだ
「たった一呼吸から幸せになるマインドフルネス JOY ON DEMAND」より
瞑想をしていても、何も感じられないように思う時。
体の中で「すごく弱い刺激」を探してみると、案外、見つかったりする。
そして、それがとても心地良かったりする。
薄いコーヒーを味わうように。