瞑想は航海術、肉体は船
残念ながら瞑想は、食事のかわりにはならない。
残念ながら瞑想は、睡眠のかわりにはならない。
残念ながら瞑想は、運動のかわりにはならない。
瞑想で出来ることは、瞑想で出来ることの全てだ。
その他のものではない。
瞑想にはエネルギーが必要だ。
エネルギーがなくては瞑想は出来ない。
そのエネルギー源は肉体にある。
だから睡眠や食事や運動は、瞑想のためのエネルギーを供給してくれる。
僕らが乗っているのは肉体的資源という船だ。
僕らは船に乗りながら、その上で心の舵を取っている。
そして瞑想は、船の舵をとるトレーニングだと思う。
航海術だ。
船がなくては海を進むことは出来ないし、航海術がなければ、目的の場所にはたどり着けない。
だからたとえば
「瞑想と運動、どちらが良いの?」
と聞くのは、
「船と航海術、どちらが偉いの?」
と聞くみたいなもんだ。
どちらが偉いも、優れているわけでもない。
僕らは海を進んでいるのだから、船も航海術も両方が必要だ。
食事への投資、睡眠への投資、運動への投資は全て、瞑想の味方だ。
優れた航海士はオンボロの船でも海を渡れるかもしれないけれど、どうせならピカピカの船の方が良い。
そもそも優れた船乗りは、船のメンテナンスを怠ることはないだろう。
僕らは人生という旅を成功させるために、船自体に大いに投資して良いだろう。