瞑想をすると筋トレが好きになる
コツは筋トレをする時に「大変さ」よりも「気持ち良さ」に意識を向けること。
それを繰り返すこと。
ただそれだけ。
とてもシンプルだ!
瞑想のトレーニングというのは、意識の向け方の訓練だ。
これは応用が効く。体を動かす時にも非常に役立つ。
やってみよう
たとえば腕立て伏せをする時は、体には苦しい部分もあれば、気持ち良い部分もある。
意識は、その片方を拡大して感じ取っている。
まるでその片方が、体の感じ方の全てのような感じがしているかもしれない。
だけどこの感覚は、自分次第で変えることが出来る。
虫眼鏡の持ち方を変えるだけで良い。
苦しい部分は無視して、気持ち良い部分に意識を向けてみる。
体の中で1%ぐらいは見つかるかもしれない。
1%でも気持ち良い部分を見つけたら、それを大事にしてみよう。
僕の場合は「鍛えている部位」は苦しいけれど、「体全体の感覚」は気持ち良い感じがする。
なので「体全体の爽快感」に注意を向けることが多い。
感じ方を変えるトレーニング
回数も、一番心地良い回数で終えてみる。
強度や角度やフォームも、体が一番喜ぶようなものを心がけてみる。
それが無理なら、腕立て伏せをしている最中ではなく、その後に、しばらく心地良さを感じる時間を作ってみる。
筋トレの最中よりもその後に、心地良さは感じやすい。
腕立て伏せを、筋力のトレーニングであると共に、
「感じ方を試すトレーニング」でもあると理解してやってみる。
元々瞑想のトレーニングを積んでいる人は「感じ方を変える」のもやりやすいだろうし、
逆に感じ方を変えるトレーニングをすることで、間接的に瞑想のトレーニングをしていることにもなる。
瞑想と運動、入り口はどちらでも良い。
筋トレと心的イメージ
運動嫌いな人はたぶん、筋トレ=苦しいという心的イメージを持っている。
だから、体もそのイメージの通りに、無意識に苦しさを感じようとする。
だけどこの心的イメージを持ったままだと、筋トレは苦しいままだ。
「苦しさの先に成果がある」「歯を食いしばって頑張ろう」と思っても続かない。
マイナスのメダルを何個積み重ねても、プラスにはならない。
その道の先には何もない。
行くのはそっちの道じゃない。まずは方向を変えたほうが良い。
筋トレが好きになるか、嫌いになるかの違いは、まさに「感じ方」の違いだ。
筋トレが好きな人は、筋トレが気持ち良いというイメージを持っている。
筋トレが嫌いな人は、筋トレが苦しいというイメージを持っている。
そしてお互いに、その心的イメージを「体」が忠実に実現する。
たとえば筋トレで感じる「気持ち良さ」と「辛さ」のプラスマイナスが +1なら、筋トレは続く。
プラスマイナスが -1なら、続かない。
このちょっとした違いが、継続においては大きな「角度」の違いになる。
「目的のために、大変なことを我慢する」というやり方は、捨ててしまおう。
まずは感じ方を変えるトレーニングをして、筋トレをプラスにしてしまった方が早い。