「ランナーズ・ハイ」のような「メディテーション・ハイ」は存在するか?
「BORN TO RUN」を読みながら今日、そんなことを考えていた。
ちゃんと書き方を揃えるなら「メディテーショナーズ・ハイ」だろうか。
僕は、理論的には存在すると思っている。
なぜなら、ランナーズハイは、もう肉体が「ダメだ」「限界だ」という領域を乗り越えた時に発生するものらしい。
そして、瞑想で感じる「苦しさ」「限界」も、本質的に肉体的なものだから。
長時間の瞑想のために
たとえば、長時間瞑想をする時に、「ランナーズハイ」という考え方は役に立つと思った。
なぜなら、瞑想をしていて「苦しくなってきた」「限界が近いかもしれない」と感じた時にも
「もうひと息、頑張ってみよう」
というアクションを取りやすくなるからだ。
ただひたすら「つらさ」と戦うのではなくて、「肉体のつらい感覚」を冷静に観察すること。
さらには、その向こうに「ハイ」が待っているかもしれないと、楽しむことすら出来るかもしれない。
「つらさ」を楽しむ余裕
自分の限界を押し広げるトレーニングで、
「燃え尽きる」と「燃え尽きない」の命運を分けるのは、何と言っても観察力だと思う。
「つらさ」を冷静に観察できている間、むしろ楽しめている間は、きっと大丈夫だ。
逆に「つらさ」の中に溺れてしまうと、それは限界を伸ばすのではなく、単に苦痛を増しているだけで、次に瞑想をするのが嫌になるだろう。
おそらく前者は「肉体的なつらさ」と「冷静な呼吸」のミックス。
そして後者は「肉体的なつらさ」と「浅い呼吸」のミックスだ。
どこまで「笑顔」でつらさを楽しむことが出来るか。
これも瞑想のトレーニングになりそうだ。
もし瞑想での「ランナーズ・ハイ」のようなものを見つけた時は、またこのブログでお知らせしたいと思う。