マイドフルネス瞑想の欠点 〜受け流すだけが能じゃない〜

マインドフルネス瞑想(観察系の瞑想)では、

「物事をありのままに観察して、受け流しなさい」と言われる。

 

たしかにこれは強力なテクニックだと思う。

 

だけど「観察して、受け流す」というのも、言ってみれば「対応方法」の一種類だと言える。

 

なぜ、別に対応方法を取ってはいけないんだろうか。

なぜ、このひとつの対応方法にこだわる必要があるんだろうか。

 

この「なぜ」について、瞑想関係の本では、十分に語られていないように思う。

 

「瞑想業界」では、こんな風に、舌っ足らずなところが最大の欠点だと思う。

具体的な理由が分からなければ、応用を利かせることも出来ないだろう。

「観察して受け流す」は汎用的

僕が今日思ったのは、

「観察して受け流す」というのは、すごく汎用的なテクニックだから、重宝されているだけではないかということだ。

 

つまり、初心者に教えても、間違って使われる可能性が低い。

個人個人のニーズに完全にフィットするかどうかは分からないけれど、広く万人に適用することは出来る。

 

だけどもし、自分でメリット、デメリットをコントロールさえできれば、別に「観察して受け流す」意外の対応法を取ったって良いんじゃないだろうか。

 

たとえば心身にJOY(嬉しい感じ、心地良い感じ)が足りない場合は、それを拡大しようとしてみても良い。

たとえば人生で重要な課題がある場合は、あえて瞑想をしながら、思考にふけってみても良い。

 

瞑想じゃんけん

グーにはパーを出せば良いし、パーにはチョキを出せば良い。

自分で「適切な対応方法」を意識的に選ぶことは、可能だ。

 

それには「心身に対する観察力」という基礎力が必要になる。

だから「観察して、受け流すこと」は、基礎を作る上ではすごく重要なテクニックだ。

 

だけど、ある程度基礎力が高くなれば、僕らの心はわりと自由に動けるようになる。

なので、意識的に「今、必要なテクニック」を試してみたり、練習してみたりしても問題はないはずだ。

 

瞑想で最も重要なのは「実験」であり「科学的アプローチ」だという話を、僕は信奉する。

まとめ

  • 「観察して受け流すテクニック」は汎用的だけど、こだわり続ける必要はない。
  • 理由が語られないものは、全面的に信用せず、疑ってかかった方が良い。(だからといって、実験をやめる必要はない)