マインドフルネスやってみた

瞑想で人生のレシピ作り

スキル獲得の3段階モデル 〜マインドフルネスのテクニックを無意識に委ねる〜

スキル獲得は次の3段階のプロセスを経るという。

 

1 認知(初期)段階 自分がしようとしているスキルを理解し、調査し、そのプロセスについて考え、対処できる程度のパーツに分解する

2 連合(中期)段階 スキルを練習し、環境からのフィードバックを受け取り、それにもとづき方法を修正する

3 自律(後期)段階 アタマで考えず、また必要以上に注意を払わずに、スキルを効果的かつ効率的に実践する

 

(「たいていのことは20時間で習得できる 忙しい人のための超速スキル獲得術 」より)

 

僕もマインドフルネスのトレーニングを実践しながら、この現象には、薄々気付きはじめていた。

今までに読んだ本のおかげで、ごくぼんやりとした知識はあった。だけど明確にこのモデルを意識したのは初めてだった。

 

f:id:yumainaura:20170727004805p:plain

 

スキルを統合的に使う

マインドフルネスのスキルを身につけていく途中で、僕は中級者独特の課題に出くわしていた。

 

この1年ほど、様々な練習を続けてきたおかげで、マインドフルネスの部分的なスキルには、ある程度習熟してきたように思う。

だがそれぞれのスキルを一緒に動かそうとすると、それがなかなか協同的に働いてくれないのだ。

 

たとえば、

  • 今の体験に接続(集中)しようとすると、呼吸がおろそかになる。
  • 呼吸に集中すると、環境や心を観察しづらくなる。
  • 環境や心を観察すると、今の体験(集中)に接続できなくなる。

という風に。

 

各スキルのバランシングが必要であることは、肌で理解していた。

そして「ぜんぶ同時にやるにはどうすれば良いんだろう」と考えていた。

だけど、なかなかこいつが難しかった。

 

そして、今日道を歩いていた時に気付いたのは、

「頭で考えず、無意識に全てを委ねた方がうまくいきそうだ」という実感だった。

 

つまり「どういう風に意識すれば良いのか」を、頭で考える、そのアプローチ自体が間違っていたかもしれないのだ。

意識が良いのか、無意識が良いのか

冒頭に引用した例のとおりだが、

僕はまさに、このスキル獲得の3段階を経ようとしていた。

 

まず最初に、意識的な練習を続けて、部分的なスキルが上達する。

そして、それぞれのスキルが習熟して来た頃に、あまり頭で考えずに「手放して」みる。

このお互いの行為が、ペアとして有効に働くことに気付き始めていたのだ。

 

(また部分的にうまくいかないところが見つかれば、課題を作って、また意識的な練習に戻れば良いだろう。そうして全体的なクオリティを上げていくことが出来るはずだ)

バランシングされた幸福

マインドフルネスには色々なテクニックがある。

「呼吸に集中しなさい」と教える本もあれば「ただ心を観察しなさい」と教える本もある。

 

だけど総合的に「良い状態」や「成果」をもたらしてくれるのはきっと、種々のスキルが総合的に働く、バランシングされた状態なのだ。

そして、これは無意識をうまく使うことで、はじめてうまくいく。

(無意識という言葉でピンと来なければ「脳の自動的なプロセス」とか「身体の動きを信頼する」とかいう風に言い換えても良い)

 

「意識して部分的な練習をする」のと「無意識にゆだねて、バランシングする」というのは、ペアのようなもので、どちらか片方だけが優れているというものではないと思う。 

マインドフルネスは心のトレーニング

知れば知るほど、本当にマインドフルネスの上達は、他の技術的上達と似ているなと思う。

本質的には全く同じものだろう。

 

ただ、求められる心の要素(たとえば努力せずに心を手放すこと)が、他分野での熟達とは、全く違うベクトルを向いているというだけで。

上達というベクトルに関しては「マインドフルネスは心のトレーニングにすぎない」という実感を、僕は強めている。

 

僕らが幸福になるのには、神秘性も、生まれついての才能も必要ない。

ただ幸福になるための技術を、コツコツと練習して身につければ良いだけなのだ。

 

ところで、具体的な方法

「頭で考えすぎず、無意識に委ねる」ってどうやれば良いんだろう。

 

これこそなかなか、言葉で説明しづらい部分なのだけど。

説明を放り出すのは再現性がない。なので説明しよう。

 

僕の場合は、

「上司が部下の仕事に口を出さず、信頼して任せている状態」のようなものをイメージしている。

上司が意識的な脳で、部下が無意識的な脳だ。

 

(これは意識的に働く「小さな自分」と、自動的に働く「その他大勢の自分のプロセス」を区別できている必要がある。この区別にも瞑想の練習は役立つ)

 

もしくは

「最良の状態は、体が知っている」

「最適な状態は、脳が知っている」

「あとは彼らに全てを任せれば良い」

ということだけを意識して、

あとは体が思うままに、動くのに任せてみる。

 

 

もし「無意識に委ねる感じ」が分からないなら、それはまた準備が整っていないということかもしれない。逆説的に。

その場合は意識的に、部分的なテクニックを試していくのが良いんじゃないだろうか。

 

そして、もし「それぞれのテクニックを統合させたい」という気持ちが芽生えているとすれば、それはもう既に「テクニックが統合的に働いている状態」の「心的イメージ」できている証拠だ。

あとはその心的イメージを、うまく育てて、使っていけば良い話になる。

 

つまり部分的なトレーニングを数種類続けていけば、おそらく自動的に「それらが統合的に働くイメージ」が出来ていくものなのだと思う。

もちろん、この事実により意識的であれば、より早い段階で第三段階を実践することが出来るだろう。