スキル獲得の3段階モデル 〜マインドフルネスのテクニックを無意識に委ねる〜
スキル獲得は次の3段階のプロセスを経るという。
1 認知(初期)段階 自分がしようとしているスキルを理解し、調査し、そのプロセスについて考え、対処できる程度のパーツに分解する
2 連合(中期)段階 スキルを練習し、環境からのフィードバックを受け取り、それにもとづき方法を修正する
3 自律(後期)段階 アタマで考えず、また必要以上に注意を払わずに、スキルを効果的かつ効率的に実践する
(「たいていのことは20時間で習得できる 忙しい人のための超速スキル獲得術 」より)
僕もマインドフルネスのトレーニングを実践しながら、この現象には、薄々気付きはじめていた。
今までに読んだ本のおかげで、ごくぼんやりとした知識はあった。だけど明確にこのモデルを意識したのは初めてだった。
スキルを統合的に使う
マインドフルネスのスキルを身につけていく途中で、僕は中級者独特の課題に出くわしていた。
この1年ほど、様々な練習を続けてきたおかげで、マインドフルネスの部分的なスキルには、ある程度習熟してきたように思う。
だがそれぞれのスキルを一緒に動かそうとすると、それがなかなか協同的に働いてくれないのだ。
たとえば、
- 今の体験に接続(集中)しようとすると、呼吸がおろそかになる。
- 呼吸に集中すると、環境や心を観察しづらくなる。
- 環境や心を観察すると、今の体験(集中)に接続できなくなる。
という風に。
各スキルのバランシングが必要であることは、肌で理解していた。
そして「ぜんぶ同時にやるにはどうすれば良いんだろう」と考えていた。
だけど、なかなかこいつが難しかった。
そして、今日道を歩いていた時に気付いたのは、
「頭で考えず、無意識に全てを委ねた方がうまくいきそうだ」という実感だった。
つまり「どういう風に意識すれば良いのか」を、頭で考える、そのアプローチ自体が間違っていたかもしれないのだ。
意識が良いのか、無意識が良いのか
冒頭に引用した例のとおりだが、
僕はまさに、このスキル獲得の3段階を経ようとしていた。
まず最初に、意識的な練習を続けて、部分的なスキルが上達する。
そして、それぞれのスキルが習熟して来た頃に、あまり頭で考えずに「手放して」みる。
このお互いの行為が、ペアとして有効に働くことに気付き始めていたのだ。
(また部分的にうまくいかないところが見つかれば、課題を作って、また意識的な練習に戻れば良いだろう。そうして全体的なクオリティを上げていくことが出来るはずだ)
バランシングされた幸福
マインドフルネスには色々なテクニックがある。
「呼吸に集中しなさい」と教える本もあれば「ただ心を観察しなさい」と教える本もある。
だけど総合的に「良い状態」や「成果」をもたらしてくれるのはきっと、種々のスキルが総合的に働く、バランシングされた状態なのだ。
そして、これは無意識をうまく使うことで、はじめてうまくいく。
(無意識という言葉でピンと来なければ「脳の自動的なプロセス」とか「身体の動きを信頼する」とかいう風に言い換えても良い)
「意識して部分的な練習をする」のと「無意識にゆだねて、バランシングする」というのは、ペアのようなもので、どちらか片方だけが優れているというものではないと思う。
マインドフルネスは心のトレーニング
知れば知るほど、本当にマインドフルネスの上達は、他の技術的上達と似ているなと思う。
本質的には全く同じものだろう。
ただ、求められる心の要素(たとえば努力せずに心を手放すこと)が、他分野での熟達とは、全く違うベクトルを向いているというだけで。
上達というベクトルに関しては「マインドフルネスは心のトレーニングにすぎない」という実感を、僕は強めている。
僕らが幸福になるのには、神秘性も、生まれついての才能も必要ない。
ただ幸福になるための技術を、コツコツと練習して身につければ良いだけなのだ。
ところで、具体的な方法
「頭で考えすぎず、無意識に委ねる」ってどうやれば良いんだろう。
これこそなかなか、言葉で説明しづらい部分なのだけど。
説明を放り出すのは再現性がない。なので説明しよう。
僕の場合は、
「上司が部下の仕事に口を出さず、信頼して任せている状態」のようなものをイメージしている。
上司が意識的な脳で、部下が無意識的な脳だ。
(これは意識的に働く「小さな自分」と、自動的に働く「その他大勢の自分のプロセス」を区別できている必要がある。この区別にも瞑想の練習は役立つ)
もしくは
「最良の状態は、体が知っている」
「最適な状態は、脳が知っている」
「あとは彼らに全てを任せれば良い」
ということだけを意識して、
あとは体が思うままに、動くのに任せてみる。
もし「無意識に委ねる感じ」が分からないなら、それはまた準備が整っていないということかもしれない。逆説的に。
その場合は意識的に、部分的なテクニックを試していくのが良いんじゃないだろうか。
そして、もし「それぞれのテクニックを統合させたい」という気持ちが芽生えているとすれば、それはもう既に「テクニックが統合的に働いている状態」の「心的イメージ」できている証拠だ。
あとはその心的イメージを、うまく育てて、使っていけば良い話になる。
つまり部分的なトレーニングを数種類続けていけば、おそらく自動的に「それらが統合的に働くイメージ」が出来ていくものなのだと思う。
もちろん、この事実により意識的であれば、より早い段階で第三段階を実践することが出来るだろう。