科学的アプローチで瞑想する 〜観察と実験のサイクル〜
瞑想は科学に似ている。
それは、どちらも「観察」「実験」のサイクルを繰り返すという部分だ。
(PCDAのサイクルを回すと言っても良い)
科学というものでは、100%の真実は存在しないが、より適切な仮説や、精度の高い説明は求めることが出来る。
残念なことに、現在ではまだ、自分の脳波を簡単に計測できる環境ではない。
だが僕らは心がけ次第で、科学的アプローチで瞑想を実践することが出来る。
人々は昔からそうやって瞑想を実践してきたわけだから。
(将来的にはiPhoneで、脳の周波数でも測れるようになったら良いのだけど)
科学者のイラスト(男性) | かわいいフリー素材集 いらすとや
観察
瞑想で最も重要なものと言えば、観察力だ。
なぜなら、そもそも自分に起こっていることを認識しなければ、どうやってそれを理解したり、対応することが出来るだろう。
だが、なぜ観察力が重要なんだろう。
ただ心を見ているだけでは、自分を変えるのには何の役にも立たないのではないだろうか。
だが、たとえば、こういう考えてみよう。
観察力がゼロのバッターは、ボールがうまく見えないから、ヒットを打つことは出来ない。
観察力がゼロの剣道家は、相手の竹刀がうまく見えないから、打撃をかわすことは出来ない。
つまり観察力というものは、実は能力を伸ばすための、最もベースにある力なのだ。
そして、安心してほしい。
この観察力は多かれ少なかれ、誰にでも備わっている力だ。
人によって、現状での観察力が高い、低いの違いはあるだろうが、この能力は練習によってすぐに磨くことが出来る。
どんな技能の世界でも同じように、観察力が高まるほど、より微妙なニュアンスを判別することが出来るようになる。
(たとえば、エスキモーには数十種類の雪の呼び方があるように)
あとひとつ。
とてもお得な話として、観察にはそれ自体に、癒やしの効果がある。
つまり、僕らが心を観察して「気付く」だけで、ある程度、問題を軽くすることが出来るのだ。
不思議なことに。
実験
実験をしてみるのは、瞑想の重要なキーだ。
なぜなら心の世界では、試してみなければ分からないことばかりだから。
たとえばの話。
赤ん坊というものは、生まれてから、この物理世界で、本当にいろいろなことを試す。
物を叩いてみたり、かじってみたり、触ってみたりして、どんな反応が起こるのかを実験する。
そうやって段々と、この物理世界の理法則を覚えていく。
たとえば、この「実験」という行為をまったくしない子供がいたとしよう。
おそらくその赤ん坊はずっと、物理法則を理解することは出来ないだろう。
なぜなら、実験をしていないからだ。
瞑想の世界でもこれは同じだ。
たとえば心に対して、色々なアプローチを試してみる。
呼吸に意識を集中させたり、周りの環境を感じてみたり、心を空っぽにしようとしたりしながら、それぞれがどんな反応を起こすかを実験してみる。
たとえば日常の中でも「自然の中を歩いてみる」「目を閉じてみる」「遠くを見てみる」などの実験をしてみて、自分の心や体が、どう反応するのかを試してみる。
そうやって僕らは自然と、だんだんと法則性のようなものを理解していく。
ちなみに僕らは、心の世界では「ほぼ、生まれたての赤ん坊」だ。
つまり、まずは色々と試してみて、反応を、成長への近道なんだ。
仮説
観察と実験を繰り返していると、自然に仮説が生まれることだろう。
「今、心がダウンした感じがしたけど、実は温度変化によるものかもしれない」
「今、とても辛い感じがするけれど、実は単に眠いだけかもしれない」
「思考が頭をめぐることで、呼吸が浅くなっているみたいだ」
など。
仮説が生まれれば、物理世界においても、心理的世界においても、適切な行動が取れるようになってくる。
たとえば、
「温度変化で体の感じ方が変わっただけなのに、それを心理的なものだと錯覚して、心理的アプローチで対抗する」
「眠気でエネルギー状態が下がっているだけなのに、心のバランスを崩した自分を責める」
「呼吸が浅くなっていて苦しい時に、それを思考だけによるものだと誤解して、思考を変えようとする」
というような、当て外れの対応を防ぐことが出来る。
たとえ、一度立てた仮説が当たっていなくても、この前段階の「観察」「実験」のプロセスを繰り返すことで、だんだんと正しい仮説が浮かぶようになってくるだろう。