昔夢中になったおもちゃ
子供の頃、夢中になったものがないだろうか。
たとえば、ひとつのゲームにはまって、寝ても覚めてもそのゲームの事しか考えられなくなったようなことが。
そのゲームに費やす時間以外は、全て無駄なことのように思える。
このまま世界が終わるまで、ずっとそのゲームを続けたい、と思ったことが。
だけどいつか、そのゲームへの熱も冷めて、ゲームは世界の全てじゃなくなった。
あるいは別の話。
ショッピングで、生活を劇的に変えてくれそうな、素晴らしいアイテムを見つけた時。
そのことが頭から離れず、毎日そればかりのことを考えていた。
生涯をそのアイテムと、どうやって過ごそうかなんてことまで、妄想を膨らませた。
だけど1週間も経つと、まるで必要ないもののように感じられたことが。
どんな熱も、いつかは覚めるものだ。
どんな必要性も、時間が経てば、不思議なほどに、必要度が低下する。
(なぜ、あんなに夢中になっていたんだろう?)
命も同じようなものじゃないだろうか。
生きている間は「切実に必要なもの」かのように思える。
喉から手が出るほど欲しい、絶対に減らしたくないリソースだ。
だけど僕らが死ぬ頃には、役目を終えて、思ったよりも、それほど必要なくなっているものなのかもしれない。
今、自分にとって、重要度が最高のアイテム。
たとえ、どんなにあっても足りないと思うような、人生のリソース。
だけど、やがて時間が経てば「必要ない」と思っている可能性の方が高い。
つまり、今、自分の命がどんなに切実に必要に思えても、それは大した問題じゃない。
どんなものでも時間が経てば、必要じゃなくなるということを、僕らは知っているのだから。
このリソースが役目を終えて、やがて死が訪れても、その時は今よりもきっと「手放す心構え」が整っているはずだ。