「これからは「時間管理術」より「エネルギー管理術」だ。その3 (世界を「ゆらぎモデル」で理解する)」

世界をどんなモデルで理解するかということは、僕らにとって大きな命題だ。
なぜなら、この世界のありとあらゆる物事は、実は、恐ろしいほどに複雑に出来ているからだ。

 

単純過ぎるモデル

たとえばの話。

「健康」という分野を考えてみよう。
サプリメントで特定の栄養を補給するだけでは、健康に離れない。

 

これは人体というものが、そもそも直線的には出来ていないし、僕らの想定よりも、恐らくはるかに複雑なプロセスで動いているせいだ。

(もし健康食品で全人類が健康になれるなら、今頃すべての健康問題は解決していたはず)

 

たとえば「この食品さえ食べれば90%の病気は治る!」というような宣伝が、世間にはあふれている。

だけどその食品を食べても、90%の病気は治らない。


これは分りやすい罠だと思うけれど、こういう単純なモデルに、多くの人がはまりこんでいる。


食品ならまだ分りやすいけれど、心やエネルギーの世界の話だと、話はもう少し複雑になる。


人は「よく分からないもの」「構造を理解していないもの」に対しては、単純過ぎるモデルを描きがちだ。

僕らは心やエネルギーの世界では「病気が90%治る食品」みたいなモデルを採用している。

 

世界をモデルで理解する

だけど逆に、あまりにも複雑なものを、複雑なまま理解するということもまた難しい。

僕らの脳は、世界を理解するのに、ある程度シンプルなモデルを必要とする。


そもそも僕自身「世界をモデルで理解する」という発想すら、最近まで持ち合わせていなかった。
だがたとえば、本を読むのも、瞑想で意識を観察するのも、頭で考えるのも、すべて「世界に対するモデルを作る行為」なのだと今では理解している。

(と理解するのも、モデリングの一つだ) 

音符と休符

僕が最近夢中になっているのは「ゆらぎ」というモデルの描き方、世界の理解の仕方だ。


たとえば自然の世界には、朝と夜があるように、潮には満ち干きがあるように、呼吸を吐いてから吸うように、人が死んで生まれるように、すべてのものには「ゆらぎ」がある。

 

音楽には、音符と休符がある。
これでこそ音楽だ。

(そして僕らの直線的な生活は、休符を忘れがちだ)

 

「音符」と「休符」があるということは、リズムが生まれるということ。
そしてゆらぎが発生するということだ。

 

僕らの日常生活や人生に対しても、この「ゆらぎ」の考え方を取り入れることで、
今までよりもずっと、世界を適切に理解し、本質を扱うことが出来るようになるだろう。

 

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直線的なモデル

たとえばの話をしよう。
僕はエネルギー管理について、本を通して学んだ。

 

なので「読書は素晴らしいものだ」と考える。
今まで理解していなかったことが理解でき、世界に対するモデルを書き換えることが出来る。

 

だがしかし。

 

たとえ、読書がいくら素晴らしいものだとしても、
「読書だけで成長しよう」と、方法を固定してしまうとすれば、それはあまりに直線的で、硬直したやり方だ。

 

「読書こそが全て」
「読書すればするほど成長できる」
「だから読書に最大の時間を使おう」

 

という風に直線的なモデルを描いた場合。

たとえば読書以外のもの、他の人と関わることは、成長の邪魔にすら思えてくる。

 

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だけどいったん本を閉じて「人と関わること」は、全体として見れば、重要な休符として働くかもしれない。
頭脳を回復させ、読書の質を一層高めてくれるかもしれない。

 

これが「ゆらぎ」の考え方だ。

(逆に「人と関わること」に対しての休符が「読書」だという理解も出来るだろう)

 

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これは直線的なモデルよりも、ずっと強力なモデルだ。

たとえばカフェでゆっくりしたり、睡眠をとったり、自然の中を歩いたり、読書をしたり、瞑想で心のトレーニングをしたり、運動をしたりということは、
お互いに影響をしあって「ゆらぎ」を生み出すことが出来る。

 

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これは色々なものをつまみ食いするのとは違う。
なぜなら、ひとつひとつの要素に没頭しなければ「ゆらぎ」は生まれないからだ。

 

 

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ゆらぎモデル


「ゆらぎ」は新しいモデルになる。

 

たとえば
「読書よりも運動が優れている」
「食事よりも睡眠が優れている」
というような理解ではなく、

 

「ゆらぎがあること」が「自然」で「より優れている」と理解するからだ。

 
たとえば、休日にどこかの場所で過ごす時にも、なるべく「固定」を避ける。
「お気に入りの場所を一箇所見つけて、ひたすらそこで過ごす」やり方では、だんだんと喜びのレベルは目減りしていくだろう。

そこには、ゆらぎがないからだ。

 


たとえば、暖かい場所と、ひんやりした場所で、交互に過ごす。
たとえば、賑やかな場所と、静かな場所で、交互に過ごす。

 

ひたすら読書をするのではなくて、頭を使ったら体を動かしてみる。
意識を働かせすぎたら、ぼーっとしてみる。

 

これが「ゆらぎ」を作り出すライフスタイルだと理解できる。

 

そしてこの「ゆらぎ」は、あくまで自分が心地良く感じる範囲で、大きい方が良いように思う。

片側から片側に振れる幅が大きいほど、ダイナミズムを生み出すことになるからだ。

 

こう考えると、たとえばデジタル機器との付き合い方も、何が適切かが理解できる。

 

だが世界を「ゆらぎ」を理解した場合。

デスクワークとか、ブログを書くとか、デジタル機器にはまりこんで、没頭するのも「良いこと」だ。
逆に、デジタル機器のことを全く忘れて、自然にふれあったり、散歩をしたりするのも「良いこと」だ。

 

これを交互におこなってゆらぎを作り出すのが「良いこと」だ。

 

このように「ゆらぎ」という理解は、
単に「自然な方が良い」という理解よりも、強力だ。

 

ゆらぎを作る技術

 そして、もうひとつ重要なこと。
ゆらぎは基本的には、心地良いものだということ。

 

なので、心地良く感じないなら、きっと何かが間違っているのだ。

僕らが頭で考えた「ゆらぎ」が、そのまま人体の正解だとは限らない。

 

たとえば僕は、ずっと読書を続けていて、
その次に頭を休ませようと「漫画」を読んでみたけれど、あまり休息にはならなかった。

 

たとえば、ものすごく眠い時のに、歩くことで体を癒そうとしても、逆効果かもしれない。

ゆらぎを作るにしても、それは「適切なゆらぎ」である必要がある。

 

頭で考えるだけじゃなかなか分からないから、実際にやってみて、自分の体に聞いてみるのが良いだろう。

 

「ゆらぎ」を作り出すのも、最初は下手で、だんだんうまくなっていく技術だと思う。

 

ちなみに僕の場合は、マインドフルネスという訓練を1年続けていて、自分の体や、感情を観察する基礎が出来ていた。
だからこの「ゆらぎ」という考え方も、すっと取り入れることが出来たように思う。

 
直線的なモデルから、ゆらぎのモデルへ。
これは人間の幸福により近い世界図だと、僕は理解している。