オセロの瞑想 ( マイナスをプラスに裏返す )
瞑想はオセロに似ている。
黒を白に裏返すがごとく。
はじめに
- たとえば、敵に負けるよりも、自分が勝つほうが良い。
- だけど、もし敵を味方にできたら、もっと素晴らしい。
- マイナスをゼロにするのではなく、マイナスをそのままプラスに変えられた方が良い。
マイナスからゼロへ VS マイナスをプラスに
- 不安を減らすよりも、不安を喜びに変えられた方が良い。
- 借金を減らすよりも、貯金が増えた方が良い。
- 緊張を抑えるよりも、安心を増やせた方が良い。
- 疲れを減らすよりも、むしろ回復できた方が良い。
「マイナスを減らす」という戦略には、落とし穴もある。
それは「ゼロが最終地点」ということだ。
つまり、ゼロを目指している限り、マイナスはプラスに変わりづらい。
あくまで防衛的な戦略なのだ。
「マイナスをプラスに変えようとする」方が、ずっと強力なメソッドだ。
心の世界では「マイナスがそのままプラスに変わる」ということが、本当に起こる。
もちろん万能のメソッドというわけではないし、地道な練習は必要だけれど。
この理解の仕方ひとつで、瞑想のやり方はぐっと幅を増すことだろう。
ステージの前の興奮
たとえば音楽のアーティストでも、ステージに立つ前の鼓動の高鳴りを
「耐えきれないぐらいの緊張」だと感じる人もいれば、
「武者震いが止まらない」と感じる人もいるという。
つまりひとつの肉体的現象を、心理的に「どう感じるか」は、僕らの意識に関わっている。
そして、実は、瞑想のトレーニングを積めば「感じ方」というのは、案外自分で変えられたりする。
ただし、頭で考えても無駄だ。
それを肌の感覚で実感できる必要がある。
たとえば僕個人の話
僕はたとえばカフェにいるとき、人の話し声が苦手だった。集中力を削いでしまうから。
だから集中力を保とうと、人の声から意識を逸らそうとしていたのだけれど。
でも逆に「周りに、他の人がいる」という安心感に意識を向けると、それが心地よく感じられるようになってきた。
他にもたとえば「読書は集中力を使うし、消耗するものだ」と思っていた。
なので「なるべく集中力を減らさないように、リラックスして読む」ことを心がけていたのだけど、
それを逆に理解してみることにした。
「読書でリラックスできる」「文字が目に入るだけで、楽しくなってくる」という感覚を持つほうが、ずっとプラスになるし、心地良いと気付いた。
このように、自分の当たり前に抱いている「信念」を、いちど疑ってみることで、マイナスをプラスに変えられるようなのだ。
オセロの白黒を裏返す
このように
「不快だと思っていた感覚」と仲良くなって、
それを「受容」したり、「快く感じてみること」は、本当に役立つメソッドだ。
オセロを裏返すみたいに、マイナスの面をプラスにそのまま置き換えることが出来る。
ただし最大の注意点は、これは瞑想的な訓練だということ。
頭だけで考えてもうまくいかないということだ。
(たとえば重要でも、いきなり一本背負いができないように)
このメソッドを成功させるには、新しい感覚が意識に「フィットする」必要がある。
それには日頃から、地道なトレーニングを積んでいくのが良いだろう。
ところで信念とは
頭の中で何度も繰り返され、そのたび強められる、無意識的な思考の習慣のことだ。
たとえばこれは、バックグラウンドに流れている音楽のようなものだ。
たとえるなら、いつも流れているせいで、流れていることにさえ気付かないバックグラウンドミュージック。
それが信念の正体だ。
何度も何度も、自動的に思考が浮かぶせいで、
僕らはそれを思考していることさえ、まず気付くことが出来ない、常習的な思考の形態。
そして、それに端を発して「感じ方」の体系が出来上がる。
たとえば「読書は疲れる」という信念を持っている人は、
読書のことを思い浮かべるたび「疲れるものだ」という思考を、ほとんど無意識に思い浮かべるし、その思考に沿った感じ方をして、それに沿った行動を取るようになる。
だが信念の正体は「おびただしい数の、繰り返される思考」なのだ。
瞑想の訓練を積むことで、信念にさえアクセスできるようになるのは、このためだ。
普段は見過ごしているような「自分の思考」に敏感になるおかげで、僕らは信念さえオーバーライドすることが出来る。