瞑想は究極のリラックス方法(2)

僕は

「世界には、こんなに平和な気持ちが存在したんだ」と、うっとりした。

少し前までは疲れ果てていたのに、今は体の隅々が心地良い。

 

まるで生まれた時から、数十年は忘れていた「平和な気持ち」にアクセスしたみたいだった。

心の中の悩みという悩みが、ついに完全に消えみたいな、短いけれども、穏やかな瞬間だった。

 

これは瞑想によって、僕が深いリラクゼーション状態を体験した時の話だ。

 

ここまで言うと、大げさに聞こえるだろうか?

だけどそれだけ、僕がリラックスが下手な人間だったと思ってくれたら良い。

 

瞑想はリラックスのために役に立つ。

そしてリラックスは、瞑想のために役に立つ。

お互いはお互いに影響し合って、強力なパワーを生み出す。

 

これが僕の結論だ。

 

さらに、リラックスすればするほど、リラックスの方法は上達する。

なので瞑想を地道に続けていると、たまに「リラックスの最高記録」が塗り替えられることがある。

 

やってみよう

 

  • どんな方法でも良い。自分の中の「心地良さ」に注意を向けてみよう。
  • たとえばゆっくりと、穏やかに呼吸をしながら、呼吸の心地良さを意識してみよう。
  • 重要なヒント。実は「心地良さ」と「心地悪さ」は体に同居している。だから、僕らがどちらを意識するかによって、どちらにピントが合うかが変わる。
  • たとえば呼吸の中にも「心地良い部分」と「苦しい部分」が存在する。その中で「心地良い部分」に意識を向けると、その感覚を拡大することが出来る。

リラックスのコツ

  • イメージ、想像力はすごく大事だ。「もし、自分が世界で一番リラックスしていたら」とイメージして、呼吸をしてみよう。
  • イメージを描いた中で、一番うまくいった感覚を覚えておこう。一番リラックスできた時、その感覚を存分に味わってみよう。
  • ただし、思考による「イメージを描いたつもり」は役に立たない。「リラックス状態を、感覚が、ありありとイメージできた時」に、リラックス状態は自然に訪れる。
  • イメージにはちょっとコツがいるけれど、訓練次第でどんどんうまくなるはずだ。(改めて。「イメージしたつもり(頭で完結している)」と「イメージを描いた(ありありと想像できた)」はまるで違うので、注意だ)

 

なぜ瞑想が究極のリラクゼーション方法なのか

 

僕らのリラックス状態には、僕らの意識の状態が、大きく影響している。

 

 

実はリラックスのコツは、いかに「心地良さ」に、意識の波長を合わせられるかにかかっているのだ。

要する所ところ、僕らは「心地良さ」に意識が集中している時はリラックスできるし、

そうでない時はリラックスできない。

 

だから、瞑想で「意識のコントロール」がうまくなると、

僕らは「リラックス」もうまく出来るようになる。

 

偶然のリラックス VS 必然のリラックス

 

たとえば、

 

  • ふと思いがけず、花の香りが漂ってきた時
  • 久しぶりのサウナや岩盤浴でゆっくりしている時
  • ゆっくりとしたカフェで、聞いたことのない、平和な音楽が流れてきた時

 

こんな偶然性や、珍しさがあると、僕らの心はリラックスしやすい。

それは僕らの心が、偶然「開いた状態」になるからだ。

 

だけど、同じリラックス効果を得ようとして、同じような環境で、同じようなことをしたとしても、まず同じようにリラックスは出来ない。

なぜなら重要なのは「意識がリラックス状態にチューニングされること」で、外部的な環境そのものではないのだ。

 

だが逆説的に、瞑想的なトレーニングをすることによって、外面的ではない、内部的な「平穏さ」へのアクセス権を得ることが出来る。

より多くのシチュエーション、多くの環境で、リラックス状態を得られるようになるだろう。

 

ストイックの罠 

「瞑想はリラックスするためのものではない」

 

そんなことが、いくつかの瞑想の本に書かれている。

ストイックな性格の僕は、すっかりこの罠にはまってしまった。

 

「余計なお世話だ!」と今では思う。

いや、決して怒っているのではないけれど、ストイックな性格の僕にはやや毒だった。

 

たとえば

「入浴はリラックスするためのものではない」「体を洗うためのものだ」と言われたら、

僕は「放っといてくれ!」と言うだろう。

 

瞑想はリラックスに役立つ。

そしてリラックスは、実は瞑想の大いなる基礎になる。

 

おすすめの本

 

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