お金は情報にすぎない
お金というのはどこにも存在しない。
情報空間の中にだけ存在する。
損した時の怒り
- たとえば、居酒屋のお会計が割高だった時。
- たとえば、Amazonマーケットプレイスで割高な品を掴まされた場合。
- たとえば、かなりのお金が入った財布を落とした時。
お金の増減によって、色々な悔しさや、思考が浮かんでくることがあるだろう。
だけどお金の増減というのは、単なる情報の移動だ。
「自分自身」は何も変わっていない。
ただ存在しないものにたいして、感情を起こす習慣があるだけだ。
情報のリアリティ
僕らは情報に対して怒ったり、悔しがったりする。
まるで自分自身の一部が得られたり、失われたかのように感じる。
むしろ僕らは、そう感じるように文化的に強化されている。
だけどそれでも、情報は情報にすぎない。
情報≠自分
多くの人が、お金という約束を守っているこの世の中では、お金があった方が生きやすいかもしれない。
だけど別にそれを、本当に自分自身の一部かのように扱う必要はない。
たとえば僕が、何らかの理由で100万円を損したとする。
それが本当に悔しくて、生涯ずっと忘れられなかったとする。
だけど、たとえば死ぬ時に、僕の貯金が100万円残っていたとしたら、結局、その100万円は何にも使わなかったことになる。あってもなくても同じことだ。
この場合、僕はただの情報に対して、一生かけて怒っていたということになる。
存在しないものに対して。