「時間を気に病む習慣」を「没頭する習慣」に変えるトレーニング

時間を気にしない時間は、もっとも幸福なものだと思う。

だから僕は最近、時間を気にしないためのトレーニングをしている。

たとえばまず、あまり時計を見ない。
ノートPCの時計も、カフェの時計も、スマホの時計もほとんど見ない。

全く見ないわけじゃないけれど、見る回数は以前よりかなり減ってきている。 たとえば、1時間に100回よりは10回の方が良いし、10回よりは1回の方が良い。

だんだんと気にする回数を減らしていっている途中だ。

時間ノイローゼから没頭へ

実は人生には「時間を気にする」よりも、もっと大事な瞬間がたくさんある。

それを逃し続けているのが僕らだ。
時間なんかを気に病んでいる間に、過ぎてしまうのが人生だ。

たとえば1秒間、時間を気にして過ごすということは、その1秒間の人生を失って過ごすということだ。

これが6秒に1回なら、1分に10秒間は人生を失っていることになる。 時間という概念の条件付けは根強いから、人は無意識に、もっと多くの時間を失っているかもしれない。

時間のことを気にすれば気にするほど、時間を失ってしまう。
これが時間というもののパラドックスだ。

心を引き戻すトレーニング

心が時間を気にしたら、その瞬間に、いましていることに集中を戻して、没頭するための努力をする。
うまく没頭できないと思っても、粘りつ強く、なおかつこまめに、何度だって試してみる。

そのうちに「あ、これが没頭っていう感覚だ」というものが、ほんの少しずつ分かってくる。

100回のうち1回だけ没頭を経験できていたのが、50回に1回になり、10回に1回になり、5回に1回になる。

僕はこのトレーニング繰り返して、時間に対する「気に病む習慣」を、かなりの度合いで減らすことが出来た。 そのかわりに僕は「没頭」を手に入れ始めている。

「ああ、没頭してこんなに時間が過ぎてしまった」と感じたら、その瞬間も、ノイローゼから没頭に心を引き戻すチャンスだ。

このように、時間感覚はトレーニングによって変えることが出来る。

時間を気にせずに時間を守る

日本人はたぶん、世界で最も時間に縛られた民族じゃないだろうか。

律儀なのは良いんだろうけれど、それが大きな不幸の種にもなる。

じゃあ会社に遅刻していけば良いのか? 人との待ち合わせに遅れて行けば良いのか?

決してそうじゃない。

大事な予定ならアラームをかければ良いし、具体的に時間を守る行動をとれば良い。

だけど、1時間に何百回も「時間のこと」が頭をよぎるなら、それは具体的な行動とは別世界の問題。意識のノイローゼだ。

時間を気にしても、気にしなくても、時間は変わらない

朝のエレベーターで、忙しそうに時計を見る人を見かける。
別に時計を何度見たって、時間は待ってくれたりはしないのに。

時間に分断されて、時間を気に病みながら、僕らの人生は少しずつ歯抜けになってゆく。

時間はとても重要なものだ。
それは誰にも否定しようがない。

でも、だからこそ、時間を気に病んで過ごす時間を、少しでも減らすことが人生の充実につながるんじゃないだろうか。

没頭は美しい。
実は、人生の美しさは、僕らのすぐ近くにあるのだ。