集中する瞑想と、観察する瞑想、結局どっちが良いの? ( 分かりにくい瞑想用語 )
瞑想は大きく二種類に分けることが出来る。
- 集中系の瞑想 ( 呼吸の瞑想、サマタ瞑想 )
- 観察系の瞑想 ( マインドフルネス瞑想、ヴィパッサナー瞑想 )
いろいろな本が色々な紹介をしているので、 本を読めば読むほど、混乱するかもしれない。
一体どっち?
- 「瞑想で雑念をなくそう」
- 「瞑想では雑念をなくさず、受け入れよう」
と語る本がそれぞれに存在する。 「一体どっちなんだよ」と思わないだろうか。
まだまだ、きっちりジャンル分けされた記述がされていないのが、瞑想の出版業界だ。
それぞれの本がぞれぞれに「これが瞑想だ」「これは瞑想じゃない」と語っていたりする。
本当に分かりにくい!
と思うとしたら、あなたの気持ちは間違っていない。(僕も最初の頃は本当に混乱した)
非常に誤解を招きやすいジャンルだと思う。 全ては心の中で起こることなので、仕方ないといえば仕方ないかもしれないが。
どっちもやればいいじゃん
僕のオススメは、両者の区別を理解しつつ、どっちもやるということだ。
たとえば運動をするときのことを考えてみよう。
この二つのどちらが優れているだろうか?
どちらをやるべきだろうか?
答えは「必要な方をやれば良い」だ。
持久力を付けたいならマラソンをすれば良い。
筋力を付けたいなら筋力トレーニングをすれば良い。
瞑想もそれと同じで、伸ばしたい能力に応じて、やりたいタイプの瞑想をすれば良い。
ただそれだけの話だ。
心の「落とし穴」で例えると
- 集中系の瞑想
- 落とし穴に落ちづらくなる
- 観察系の瞑想
- 落とし穴に落ちても平気になる
RPGのパラメータで例えると
- 集中系の瞑想
- 「ちから」のパラメータを上げる (集中力が増す)
- 観察系の瞑想
- 「すばやさ」のパラメータを上げる (敵の攻撃を避けやすくなる)
( ドラクエ3 風 ステータス ジェネレーター より )
これは別に、どんな例えでも良い
それぞれ、心の別の領域を伸ばしてくれると理解すれば良い。