感覚の変化を観察する訓練
変化を観察するというのは、強力な訓練だ。
- 体に感覚が生じる。
- 生まれた感覚は、ややゆっくりとした時間をかけて大きくなる。
- ピークを迎えると、時間とともに小さくなってゆく。
- ひとつの感覚が小さくなってゆく間に、また別の感覚が生まれる。
これは僕が自分の体で感じるサイクルだ。 もしかしたら、あなたが違うサイクルを感じるかもしれない。
だけれど、体の感覚は常に変化を繰り返しているということは間違いない。
たとえ、それがどんなに分かりにくい変化であっても、常に微妙な変化は繰り返している。
ずっと同じ状態を保ち続けるということはない。
この変化をゆっくりと観察してみよう。
安全なエリアを広げる
これは「安全なエリア」を広げてゆく訓練だ。
たとえ体にどんな感覚が起こったとしても、ピークを迎えれば小さくなってゆく。
どんな感覚であろうと次々と変化していき、生まれては消えてゆく。
これを理解すれば、僕らは大抵の感覚には、圧倒されずに過ごすことが出来る。
というよりも「圧倒されるべき感覚は存在しない」ということに気付いてゆく。
感覚が僕らを圧倒しようとするのは、
- 今生まれた感覚が、永遠に続くような気がするから。
- つらい感覚が、どんどん増大していって、手に負えなくなるような気がするから。
という錯覚のせいじゃないだろうか。
思考のスピード > 感覚のスピード
ここでひとつ注意したいのは、感覚のスピードよりも、思考のスピードのほうがはるかに速いということだ。
たとえば瞑想中、こんなことを考える。
- この瞑想はいつまで続ければ良いんだろう。
- なんだか疲れてきた気がする。
- 疲れを感じる時は、無理をして瞑想しないほうが良いのかもしれない。
- あと5分は瞑想を続けられるだろうか。
- よし、リラックスするために呼吸をやわらかくしてみよう。
- なんだか気分がリラックスしてきたな。
- だけど明日のことを考えたら、やっぱり胸が苦しくなってきた。
僕らは感覚の周りを、こうやって、思考でウロウロする。 何か手を出そうとしてああふたする。
だがその間に、感覚はまったく知らない顔をして変化を繰り返してゆく。
そして僕らはまた、変化する感覚の上辺で思考を繰り返す。
感覚と思考の関係
だけど例えば、こう想像してみてほしい。
- 僕らはひとつの感覚に対して、すごいスピードで判断を繰り返している。
- 僕らが考えても考えなくても、感覚はも勝手に変化するし、生まれては消えてゆく。
- 僕らは「思考が感覚に変化を与えた」と思って、よく思考で対処しようとする。
- だけど実は逆に、感覚が変化した時に、ちょうど思考していただけなのかもしれない。
感覚には実は、僕らが特別な対処をする必要はないのだ。
訓練
- 自分の体に生じる感覚を観察してみる。
- ひとつの感覚が強まったり、弱まったりする一連のプロセスを見守ってみる。
- たとえば胸のあたりの圧力が増して、ピークを迎えて、収まっていく様子などを、最初から最後まで把握してみる。
- 感覚の変化は思考のスピードよりもずっと遅い。なので慌てず、なるべくゆっくりと観察する。