マインドフルネスやってみた

瞑想で人生のレシピ作り

自動操縦の行動に任せる 〜無意識に服を着替える方法〜

この記事では、ひとつ面白い遊びを紹介しよう。 それは「何も考えずに、服を着替えられるか?」という実験だ。

意識と無意識

僕たちは体を自分でコントロールしていると思いこんでいるが、実はそうではない。体は無意識レベルで動いている。

理論的には誰もが知っているかもしれないが、それを日常の中で見つけられているかというと、別問題だろう。 (だって、そもそも意識できないのが無意識じゃないか?)

でも日常の中で、無意識の働きは簡単に見つけることが出来る。

考えずに服を着替える

たとえば、服を着替えるときのことを考えてみよう。 服を着替えるのは、意識のプロセスだろうか? 無意識のプロセスだろうか?

小さい子どもにとっては意識的なプロセスだろう。 なぜならまだ、服の着替え方に慣れていないからだ。

だけどほとんどの大人にとっては、ほぼ無意識のプロセスになっているはずだ。 なぜなら、人生で何千回も服を着替えてきたから。

僕たちが 何も考えなくても 体が自動的に動いて、ボタンを留めたり、ジャケットを羽織ったりしていることに、気付いているだろうか?

いちど、何も考えずに服を着替えられるかどうか、試してみてほしい。 (何も起こらなかったら、ごめん。僕の場合は成功した)

発見

僕は最近、自分が何も考えなくても、自動的に服を着替えられることに気付いた。

このとき「おお、何も考えなくても、体が自動的に動いている!」というのを目の当たりにして、本当に驚いた。 大げさに言うのならば、意識というものの神秘を垣間見たような気がした。(いや、大げさじゃないかもしれない)

僕が今まで「自分で考えて、服を着替えている」と思っていたのは、ただの思いこみだったのだ。 服を着替えるというプロセスが、一番最初は意識的なものだったせいで、その名残が残っているだけなのだと理解した。

つまり、それから僕は「服を着替えている自分」の邪魔をしない。ただ、それだけで良くなった。

こうして意志力の消耗を抑えることに成功した。

f:id:yumainaura:20170423115034p:plain

脳のプロセス

これは人間の脳のプロセスからいうと、本当のことらしい。

たとえば今僕はブログを書いているが、キーボードの配列を全て記憶して、意識して指を動かしているわけではない。 意識の上位のレベルにおいては「何を書こうか」ということさえ、意識的にはおこなっていない。

ほとんどのことは自動操縦で進んでいき、僕の意識はそれを見守っているだけという感覚だ。

(瞑想を続けていると、無意識的な行動に対する観察もうまくなる)

飛行機は自動操縦

もうひとつ例えを出そう。 たとえば現代の飛行機は、ほとんどが自動操縦で飛んでいるという。

自動操縦で飛んでいるにも関わらず、余計に操縦桿を握れば、飛行機は逆にバランスを崩してしまうだろう。

人間の行動というのもこれに似ている。 生活のほとんどは、実は自動操縦で動いている。

僕たちが操縦桿を握るのは、手動でコントロールする必要が出たときだけだ。 イレギュラーな対応が必要になった場合だけで良い。

日常の実践

たとえば、忙しい時は自動操縦に任せる。

朝忙しい時に「あれをして、次にこれをして」と頭で考えて、それを実行するのはエネルギーを使うだろう。 なので意志を介在させずに、体が動くままに任せてみたりする。

すると案外、体はうまく事を運んでくれたりするのだ。 自分の意識は、ただそれを見守るだけで良い。

メリット

「自動操縦に任せるメソッド」の良いところは、とにかく、楽になるところだ。 マニュアルの操縦を最低限に減らすことで、エネルギーの消費も最小限にすることが出来る。

最初はちょっとコツが必要かもしれない。 だけど本当に楽になるので、ぜひ試してみてほしい。

もちろん、そもそもまだオートメーションのレベルにない行動に関しては、最初に着替え方を覚える子どものように、意識的に覚えなければいけないだろう。

けれど既にオートメーションされている行動に対して、マニュアル操作はしなくて良い。

それよりも、もっと重要なことに意志力を使おう。 日々の重要な決定や、そして行動のために、些細なことに消耗せず、意志力を潤沢に残しておこう。

具体的な訓練

たとえば、

  • 着替えの時
  • 食事をする時
  • (車の通らない安全な)道を歩く時

など、日常の行動で、自動操縦が働いているかどうかを観察してみる。

そこにマニュアルの意識が入り込もうとするたびに、それをやめて、オートな働きにまかせてみる。