自動操縦の行動に任せる 〜無意識に服を着替える方法〜
この記事では、ひとつ面白い遊びを紹介しよう。 それは「何も考えずに、服を着替えられるか?」という実験だ。
意識と無意識
僕たちは体を自分でコントロールしていると思いこんでいるが、実はそうではない。体は無意識レベルで動いている。
理論的には誰もが知っているかもしれないが、それを日常の中で見つけられているかというと、別問題だろう。 (だって、そもそも意識できないのが無意識じゃないか?)
でも日常の中で、無意識の働きは簡単に見つけることが出来る。
考えずに服を着替える
たとえば、服を着替えるときのことを考えてみよう。 服を着替えるのは、意識のプロセスだろうか? 無意識のプロセスだろうか?
小さい子どもにとっては意識的なプロセスだろう。 なぜならまだ、服の着替え方に慣れていないからだ。
だけどほとんどの大人にとっては、ほぼ無意識のプロセスになっているはずだ。 なぜなら、人生で何千回も服を着替えてきたから。
僕たちが 何も考えなくても 体が自動的に動いて、ボタンを留めたり、ジャケットを羽織ったりしていることに、気付いているだろうか?
いちど、何も考えずに服を着替えられるかどうか、試してみてほしい。 (何も起こらなかったら、ごめん。僕の場合は成功した)
発見
僕は最近、自分が何も考えなくても、自動的に服を着替えられることに気付いた。
このとき「おお、何も考えなくても、体が自動的に動いている!」というのを目の当たりにして、本当に驚いた。 大げさに言うのならば、意識というものの神秘を垣間見たような気がした。(いや、大げさじゃないかもしれない)
僕が今まで「自分で考えて、服を着替えている」と思っていたのは、ただの思いこみだったのだ。 服を着替えるというプロセスが、一番最初は意識的なものだったせいで、その名残が残っているだけなのだと理解した。
つまり、それから僕は「服を着替えている自分」の邪魔をしない。ただ、それだけで良くなった。
こうして意志力の消耗を抑えることに成功した。
脳のプロセス
これは人間の脳のプロセスからいうと、本当のことらしい。
たとえば今僕はブログを書いているが、キーボードの配列を全て記憶して、意識して指を動かしているわけではない。 意識の上位のレベルにおいては「何を書こうか」ということさえ、意識的にはおこなっていない。
ほとんどのことは自動操縦で進んでいき、僕の意識はそれを見守っているだけという感覚だ。
(瞑想を続けていると、無意識的な行動に対する観察もうまくなる)
飛行機は自動操縦
もうひとつ例えを出そう。 たとえば現代の飛行機は、ほとんどが自動操縦で飛んでいるという。
自動操縦で飛んでいるにも関わらず、余計に操縦桿を握れば、飛行機は逆にバランスを崩してしまうだろう。
人間の行動というのもこれに似ている。 生活のほとんどは、実は自動操縦で動いている。
僕たちが操縦桿を握るのは、手動でコントロールする必要が出たときだけだ。 イレギュラーな対応が必要になった場合だけで良い。
日常の実践
たとえば、忙しい時は自動操縦に任せる。
朝忙しい時に「あれをして、次にこれをして」と頭で考えて、それを実行するのはエネルギーを使うだろう。 なので意志を介在させずに、体が動くままに任せてみたりする。
すると案外、体はうまく事を運んでくれたりするのだ。 自分の意識は、ただそれを見守るだけで良い。
メリット
「自動操縦に任せるメソッド」の良いところは、とにかく、楽になるところだ。 マニュアルの操縦を最低限に減らすことで、エネルギーの消費も最小限にすることが出来る。
最初はちょっとコツが必要かもしれない。 だけど本当に楽になるので、ぜひ試してみてほしい。
もちろん、そもそもまだオートメーションのレベルにない行動に関しては、最初に着替え方を覚える子どものように、意識的に覚えなければいけないだろう。
けれど既にオートメーションされている行動に対して、マニュアル操作はしなくて良い。
それよりも、もっと重要なことに意志力を使おう。 日々の重要な決定や、そして行動のために、些細なことに消耗せず、意志力を潤沢に残しておこう。
具体的な訓練
たとえば、
- 着替えの時
- 食事をする時
- (車の通らない安全な)道を歩く時
など、日常の行動で、自動操縦が働いているかどうかを観察してみる。
そこにマニュアルの意識が入り込もうとするたびに、それをやめて、オートな働きにまかせてみる。