マインドフルネスと「何故?」は両立しない
「何故?」と考えている時、僕たちはマインドフルでいられない。 逆にマインドフルな時は「何故?」とは考えない。
たとえば、眠りに落ちる瞬間を、決して意識ではとらえられないように。 「マインドフルネス」と「疑問」は、1枚のコインの裏表のようなものだ。
- 何故マインドフルネスが必要なのか?
- マインドフルネスは何の役に立つのか?
- いま現在に集中することが、一体何になるのか?
- 観察は、幸福をもたらしてくれるのか?
僕たちがこう「考えている時」、それはすなわち、
- マインドフルでない状態
- いま現在に集中していない状態
- 観察をしていない状態
だ。
「何故?」と考えながら、同時にマインドフルネスをとらえることは出来ない。 「何故?」と疑念を持った瞬間に、音も立てず、くるりと、マインドフルネスは消えてしまう。
お互いがお互いの裏側にあるせいで、二つは永遠に混じり合わない。
このことを理解するのは重要だ。 なぜなら、僕たちがマインドフルネスについて思考を巡らせている時、マインドフルネスは消えている。 つまり「マインドフルネスには意味がない」という頭での結論に陥りがちだからだ。
僕は何も、マインドフルネスに疑問を呈してはいけないとか、考えることをやめるべきだと言っているわけではない。 どれだけ考えても良いけれど、この二つが同時に存在し得ないということは、前提として理解しておいたほうが良いと思っているだけだ。
マインドフルネスは「思考」ではなく「質」の中にある。 それが訪れれば、自然に分かる性質のものだ。
僕たちがマインドフルネスな時、僕たちはマインドフルネスに疑問を抱かない。